第141話

「では……『第八十九紀 近衛府の大将』たる雨月うげつが謝辞を述べさせて頂きます」


 一戸の声が僅かに揺れているのは、緊張のためだけでは無いだろう。

 遠い記憶より滲む情愛は、抑えきれるものでは無い。

 

 和樹も真正面を向き、父親だった人を眺める。

 人生の半分に差し掛かった人は、束ねた髪を烏帽子の中に収めていた。

 立派に成長した我が子に、熱い眼差しを送り続ける。


 だが、方丈翁は忠告してくれた。

 父親たちに触れたら、『持って行かれる』と。

 それが偽りである筈が無い。

 父親たちは、何も知らずに己の身を利用されている――。


 だが罠の内に在りつつも、雨月うげつは朗々と語り続ける。

  


「……我らのために、かくなる宴を御用意いただき、月帝さまと公主さま、方丈さまには深く感謝いたします。


 我ら四人が出会ったのは、十年も前のことです。

 近衛府に集った多くの子供たちの中から我らは選び出され、殿舎の一部屋に案内されました。


 そこには四人分の畳と枕と上掛け。

 四人分の文机と硯箱と竹籠がありました。

 四人ともが、ここで暮らすことを悟りました。


 家族と離れての暮らし、そして連日の鍛錬は辛いことも少なくありませんでした。

 

 けれど導師様たちからは貴重な教えを授けられ、時には湖で魚を獲り、野山で薬草を摘みました。

 

 私の横に並ぶ友と学びも悩みも分かち合い、掛け替え時を過ごしました。

 生まれた土地の慣習の違いなど、我々には無意味でした。


 その友と、晴れて『近衛府の四将』として立てたことは、大いなる誇りです。

 我ら四人の絆は不変です。

 時を隔ても、誰にもこの絆を断つことは出来ません。


 我らは『義』に従い『正しき』を成すことを、誓いました。


 父上たちに我らの誓いを披露する機会を与えて下さったことに、心から礼を述べさせて頂きます。


 全ての魂に、『大いなる慈悲深き御方』の御加護があらんことを」



 雨月うげつは、背をピシッと伸ばした。

 他の三人も揃って立ち上がり、四人は父親たちに拝礼した。


「ありがとうございました!」


 四人の声は見事に揃う。

 自分と云う存在は、父親たち無しでは語れない。

 その思いを込めた一言である。


 大兄おおえ兵部卿と大椎国守おおじのかみは顔を合わせて満足気に微笑み、周賀しゅうが殿は袖で目元を拭った。

 宰相は眉をへの字に曲げ、納得と不満が半々な顔付きで我が子を凝視する。

 我が子が『大将』の地位を逃したのは不満だが、それも止む無しと思えたのだう。


 

 それにしても、雨月うげつの締めの言葉は神逅椰かぐやへの強烈な皮肉でもあった。

 上野のお面も、喜々と口元を歪めている。



「ほっほっほっ。では、酒を持たせましょう。料理は順番に出されますので、ご賞味くだされ」

 方丈翁は、まるで宴会の幹事でもあるように振る舞う。

 その泰然自若さに、和樹も腰を据えた。

 席を動かず、父親たちには触れず――神逅椰かぐやが動き出すのを待つのみだ。

 


 宴は、表面上は穏やかに進む。

 見た目美しい料理が運ばれ、和樹も舌鼓を打った。

 味付けは現代の料理に近く、父親たちはその濃い目の味に驚嘆したようだった。

 だが、完食したから気に入って貰えたのだろう。

 

 その間も蓬莱さんと方丈翁は、父親たちに何かと声を掛け続けた。

 実は、父親たちを立たせないための巧妙な手段だった。

 

 姫君と方丈翁に話し掛けられるとあらば、席を立つのは不可能だ。

 高位の者を無視して、息子の傍に行くのは無礼千万なのだ。

 

 

大椎国おおじのくには、海が近いと聞きましたが」


「はい。その先には普陀烙ふだらく山があると言い伝えられています。けれど、海の先に漕ぎだした者はおりません。普陀烙ふだらく山には、神泉があるとも言われておりますが、そこは人が立ち入ってはならぬ神聖な場所なのです」


「古き神族が水を汲んだとされる泉ですね。私も十二の齢に、古き神と交わる儀式を行いました。『大いなる慈悲深き御方』は、修行の果てに古き神の御声を聴き、悟りを開いたと言われておりますね」


 蓬莱さんは、博識さと賢明さを発揮し、次々と父親たちに問う。

 彼女の本体の『蓬莱の尼姫』の記憶と人格が表に出ているのだろう。

 だが気さくで穏やかな口調は、委縮していた周賀しゅうが殿の心も解したようだ。

 故郷の村の様子などを手振りを交えて答え、蓬莱さんは放牧や乳しぼりの話などに聞き入った。

 

 

 そのうちに、会席料理のコースも終わりが訪れた。

 締めの甘味として、牛乳を煮詰めたと、茹でた豆を添えた餅、干した山葡萄が出された。


 だが――

 この宴が終わる頃に攻撃が始まる。

 和樹たちは、無言のうちにそれを確認し合っていた。


 敵は絶対に、父親たちが自分に接触するような罠を張っている。

 四人は笑顔の裏で、最悪の事態を覚悟していた。

 


「ニャオ……ニャ?」

 ミゾレがテーブルの下をウロウロし、しかし素早くテーブルに飛び乗った。

「ニャッニヤッ!」


「……雨月うげつ……!」

 月城も立ち上がる。

「……下だ!」


 それを合図に、四人は椅子を蹴り倒して立ち上がった。

 ミゾレが荒々しく鳴き、蓬莱さんの膝に飛び乗る。

 父親たちは、何事かと手を止めた。

 息子たちが険しい顔で立ち上がり、椅子を蹴り倒したのだ。

 宰相は咎めるよりも驚きが優ったのか、大口を開けて息子を見つめるのみだ。


 

「……さて、宰相殿」

 方丈翁は目の前の盆を床に放り、テーブルに飛び乗った。

「そなた、わしの真似をしろ。他の者たちもじゃ」


「はて? 何ゆえに、そのような御無体を……」

 宰相は、大きく顔をしかめる。

 膳を放り、卓に上がるなど訳が分からない。

 しかも、横には公主たる姫君が座っているのだ。



「すみません。皆様、お願いします」

 蓬莱さんも膳を床に落とし、ドレスの裾を捲ってテーブルに上がって正座した。

ミゾレは、その膝に乗る。


「皆様もどうぞ」

 姫君は微笑んだ。


「……はい……」

 動いたのは、大兄おおえ兵部卿だ。

 盆を床に落とし、物の怪に化かされたような顔で、袍の裾を捲ってテーブルに乗る。


 大椎国守おおじのかみ周賀しゅうが殿も、仕方なくそれに続いた。

 最後まで躊躇っていた宰相殿も、とうとう他の者たちに従った。

 宴席の卓に上がるなど、全く意味が分からない。

 我が息子はと云えば――立ち上がって鋭い眼差しで四方を見渡している。

 


「アラーシュ……説明してくれぬか?」

 息子に呼び掛け、膝立ちしようとしたら――背が軽くなった。


「……宰相閣下っ!」

 大椎国守おおじのかみが叫んだ。

 振り向くと、卓の下に垂れていた下襲したがさねの長い据が千切れて落ちた。

 まるで、布が燃えたように千切れ落ちた。

 それは瞬く間に灰と化し、同時に床から灰色の霧が立ち昇り始める。


「こっ、これは!?」


「騒ぐでない!」

 方丈翁は一喝した。

「そなたら四人は、決して卓から降りるな! 霧に触れてはならぬ!」



「……それで良いのかぁ?」

 和樹たちの後ろ――ひさしに、わらわが出現した。

 降って湧いたように突然に――しかも、膳を運んで来たわらわたちとは別人だ。

 黒い水干と括り袴を纏い、髪を美豆良みずらに結っている。

 

「……お前……ガレシャか!?」

 宰相は、血の気の退いた顔で叫ぶ。

 わらわの顔は――我が子に間違いない。

 将来の家長として育てた長男だ。

 長男の、幼い頃そのままの顔立ちだ。

 だが、その表情は餓鬼の如く醜く歪んでいる。



「アラーシュ、その下郎を抱き締めてやれよ! さもないと、そいつが消えるぞ! てめえらには、二択しか無いんだよ! 下郎どもの魂が消えていくのを見物するか、下郎と仲良く御神木に引っ付いて泣き喚くかの二択だ! 好きな方を選べ!」


 幼き外見のガレシャ――神逅椰かぐやの、怨霊の如き声が鳴り響いた。

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