第140話

 『御神木に持って行かれる』――。


 その意味を、和樹は瞬時に理解する。

 月城は『御神木に、死者の魂が囚われている』と言っていた。

 つまり、目前の父親たちに触れれば、自分たちの魂も御神木に囚われて動けなくなるに違いない。


 この父親たちも、微神木に囚われていたとしたら――

 自分たちを罠に掛けるための『釣り針』として利用されているのなら――



「……移動するな、と言うことだな?」

 和樹は左隣の一戸に囁いたが、それが聞こえたかのように、上野が皮肉っぽく言った。

「地震が来ないことを祈っとけ」

「……そうしよう」


 一戸は答え、左手に刀を握ったまま気難しい顔で周囲を目で追っている。

 敵の出方、避難経路など、あらゆる事態を想定して先を読もうとしているようだ。


 和樹も必死に状況を分析する。

 自分が神逅椰かぐやであれば、父親たちを出してどうする?

 どうやって、息子たちに父親を触らせる?

 蓬莱さんも方丈翁も落ち着いているが、二人には自分たちが視えないものが視えているのか?


 

 とにかく、危険ラインに達しているのが月城だ。

 彼にとっては過去世の父親でなく、現世の父親なのだ。

 ただでさえ罪悪感に囚われていて、それがようやく振り払われようとした時に心を乱された。

 

 お面が泣き顔のままの上野もまずい。

 如月きさらぎは、父親を慕ってはいなかった。

 兄ともども、むしろ父親を嫌っていた。

 

 だが、それは表の顔だったのかも知れない。

 父親に愛して欲しかったのかも知れない。

 お面の泣き顔を見ていると、そう思わざるを得ない。

 

 いずれにしろ、術士二人の気力が削がれるのは痛い。

 むしろ、そのために父親を引っ張り出したと診て良いだろう。

 




「お招きいただき、まことに光栄にございます」

 大兄おおえ兵部卿殿が神妙に頭を下げた。

 本人の意思なのか、神逅椰かぐやの台本通りに喋っているのか不明だが、父親たちから悪意は感じない。

 

 方丈翁はうんうんと頷き、穏やかな笑顔で一同を見回した。

「今宵は内々の宴にて、かしこまるのは公主さまの意にそぐわぬ。みな、席に着かれよ」


「では、公主さまには無礼ながら……」

 宰相もゴホンと咳ばらいをしてから椅子に掛けた。

 他の皆もそれに倣い、椅子に腰を降ろす。


 すると、廂を歩く複数の足音が聞こえた。

 わらわたちが、御膳を運んで来たのである。


 同じ顔のわらわが九人。

 わらわが二人。

 

 童たちは同じ歩調で粛々と、盆に載せた器を運ぶ。

 わらわは、蓬莱さんとミゾレに器を差し出す。

 

 四角い漆器には、いかの酢の物とふきの煮物、そして一切れの鮎寿司が盛られていた。

 いかの酢の物には菊花、煮物にはとろろ、鮎寿司には瓜の漬物が添えられている。

 酒が注がれた盃も載っている。


 会席風の盛り付けだが、神名月かみなづきたちが生きた時代の料理では無い。

 例の『結婚情報誌』か、久住さんたちから料理の情報を得たのだろうか。

 父親たちは不思議そうに、漆器を眺めている。


 

 ミゾレは運ばれた焼き魚が食べ始め、蓬莱さんは箸を取った。

「私の故国の、ある地方の料理です。『会席料理』と申します。調理した食材が順番に出されます。お口に合えば宜しいのですが」


 蓬莱さんは堂々と、盃を取って啜った。

 さすがに酒では無く薄めの昆布茶が注がれていたが、蓬莱さんの行動を見た宰相・大兄おおえ兵部卿・大椎国守おおじのかみは驚愕して口を開けた。


 宴席に高貴な女人が出ることは無い。

 几帳で囲まれた御座所に女人が着くことはあるが、それは高貴な女人の代理の内侍ないじである。

 その内侍ないじに膳が運ばれても、箸は付けない。

 代理であれど、男の前で食事を摂るのは無作法と見做されているからだ。

 ゆえに、蓬莱さんの行動に身分ある父親たちが肝を潰したのは当然だ。



「どうしました? この鮎を乗せたいいは美味しそうですよ?」

 蓬莱さんは、寿司を箸で半分に切って口に含んだ。

 慎重に噛み、静かに飲み込む。


「……鮎が、桜のような柔らかな香りを放っております。酢が、いいの甘さを引き立てています。周賀しゅうが殿は、故郷でお米を作っていると聞きました。秋には稲穂が黄金に輝くと聞きましたが、まことでしょうか?」


「……は…は、は……」

 話を振られた水葉月の父親は、ぱくぱくと唇を上下させるだけで発声できない。

 父親に取って、目の前で食する姫君の姿は余りに非現実なのだ。

 まして声を掛けて下さるなど、夢よりも遠い出来事だった。



「……水葉月みずはづきの中将よ、父の代わりに答えよ。稲穂の黄金は如何なりや?」

 方丈翁は酒を口に含み、いかの酢の物に箸を付ける。


 ……月城はゆっくり顔を上げ、遥か先を見つめるように方丈翁を眺めた。

 和樹は月城の左手に触れ、深く相槌を打つ。

 

 月城は我に返ったように喉を鳴らし――立ち上がった。

 そして思い付くままに詠んだ。



  金色こんじきの 稲田いなだ秋し野 奇稲田くしなだの 

  君が舞う袖 染めるつかな



 ――金色の秋の稲田を、豊穣を司る奇稲田くしなだ姫が舞っております。

 ――ひるがえる姫の袖を、夕陽が染め上げておりました。



 

 少しの間を置き、宰相が「ほ……」と呟いたのを全員が聴いた。


「……公主さまに、少しでも稲田の情景が伝われば嬉しゅうございます」

 月城は僅かに震える声で言い、頭を下げながら着席した。


 ミゾレは嬉しそうに「ニャン!」と鳴き、蓬莱さんは扇を口元に当てて言う。


「土と生きる人の力強さと気高さ、収穫の喜びが伝わる御歌でした。私が見たことも無い金色の稲穂に、美味しい米が実っているのですね。その金色は、如何なる黄金の器よりも尊く輝いているように思われます。感服いたしました」


 そして、未だ尻込みしている周賀しゅうが殿に向かって頷くように頭を下げた。

 周賀しゅうが殿はテーブルに額を付け、ただ感激し、恐縮する。

 国の姫君からの心の籠もった言葉こそ、黄金に優る輝きだ。

 


「この酒も、米から出来ているもの。今宵は古き世の舞姫を思いつつ、味わわせて頂きましょう」

 大兄おおえ兵部卿は盃を掲げたが――方丈翁を見て、遠慮がちに訊ねた。

「……『会席料理』とやらには、酒のお代わりは無いのですか?」



「ほっほっ。お望みなら用意させましょう」

 方丈翁は目を細め、自らも盃をあおる。


 しかし、和樹と一戸は半ば呆れて顔を合わせた。

 方丈翁は、まるで我が邸のように振る舞っている。

 蓬莱さんもだが、彼女は『蓬莱天音』では無く『玉花ぎょくかの姫君』そのものだ。

 彼女の遠い記憶の中の人格が、表に出ているのだろうか。

 それは優しく、温かい。



「あー、我らが酔い潰れる前にだな……大将、代表して父君がたに挨拶をせい」

「は……はいっ」


 突然話を振られた一戸は、思わず立ち上がってしまう。

 父親四人の視線が集まり、上野のお面も泣き止んで瞬きした。

 

 和樹は、まだ緊張が解けない月城の息のおとを聴きながら――過ぎた過去に思いを寄せた。


 敵の手中にも関わらず、ここには不思議と温もりが溢れている。

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