第139話
近付いて来る男四人の足音。
月城が呟いた言葉「お
和樹は言葉を失い、リーダーの一戸を横目で見た。
一戸も口を一直線に結び、憮然と相槌を打つ。
ミゾレも不安そうに「にゃ…」と鳴いて、台座に飛び乗った。
蓬莱さんは持っていた扇を開いて口元を隠し、方丈翁は瞼を閉じて口髭を撫でる。
異様な展開に、和樹はただ
父の『
ところが過去世の父親たちが現れるとは。青天の
本物だろうが偽物だろうが、自分たちの戦意を削ぐ卑劣な罠であることは、疑いの余地が無い。
「けっ、セコい手を使いやがって」
そう憎まれ口を叩いた上野を見ると、上野のお面が泣き顔に変化していて、引っくり返りそうになった。
お面の目が潤んで涙を浮かべ、口元がブルブル震えている。
和樹は――いや、
こんな部屋は嫌だ、こんな
あの幼い泣き顔が、すぐ横にある。
片や右横の月城は、息さえ止まったように固まっている。
転生者では無い彼は、実の親の記憶が鮮明だろう。
守ることが出来なかった家族の記憶――。
再会できる喜び以上に、罪の意識が彼を
(くそっ!)
和樹は、数珠を引っ張った。
この糸が切れたら『
しかし、鋼のワイヤーのように強靭な糸は指に食い込むだけだ。
「宰相殿、
どこかに控えていた家来が、四者の名を告げた。
三人目までは役職名だが、四人目は出身地名である。
本名を使わぬ慣わしゆえだ、
いっそう気を張り詰める和樹の背後に、堂々と歩く衣冠の宰相が姿を現した。
やや大柄な体躯に黒の袍を纏い、青い宝玉を縫い付けた白玉帯を腰に巻く。
顔立ちはいかつく、並んで座る和樹たちには目もくれない。
だが蓬莱さんが視界に入ると、その表情は僅かに和らいだように見えた。
それに続く
白玉帯には鹿の角から削り出した玉を飾り、士族であることを示している。
動きが制せられる下襲は床に付かぬ長さで、いつでも主のために戦う意思を表す。
こちらも、蓬莱さんに向かって黙礼をした。
地方士族の
やはり士族の常として下襲は短く、背を垂直に伸ばして進む。
この男性が背後を通った時、和樹の首筋は震えた。
袍に焚き染められた梅の花を思わせる香りが、目尻を撫でる。
父が好きだった香りで、母みずからが調香していた――。
肩を窄めて最後尾を歩く
無位無冠ゆえに帯に飾り石は無いが、織が優美な厚布で仕立てられている。
農民には破格の待遇だが、それも息子が『近衛府の四将』に任ぜられたこそだ。
ただし緊張のせいか、足の運びが覚束ない。
前を歩く
四人の父親は和樹たちの背後を回り、ゆっくりと各自の椅子の前に立つ。
和樹は――真正面に立つ三十歳ぐらいの男性に目を向けた。
中肉中背で、どことなく現世の父である裕樹の面影がある。
不意に、草原で戯れる自分の姿が脳裏を過ぎった。
深い草に包まれた初夏の草原――
家来三人に囲まれつつ、足の短い栗毛の馬によじ登った日のこと。
逞しい月毛の馬に乗った父は、我が子の成長に目を細めている。
「
「まだだよ、アトルシオ。馬を思い通りに歩かせられるかい? 馬はとても優しくて臆病だ。馬を怯えさせてはいけない。騎乗したらしっかり前を見て、行きたい方向を見つめるんだ。馬と心が通じていれば、馬は手綱を通してそれを感じ取る」
「手綱を通して?」
「そうだ。馬は手綱から、お前が行きたい所が何処かを読み取れるんだよ」
「分かりました、
そして馬の首を撫でると、馬上の父も微笑んだ。
だが、彼が愛馬の体を拭いたのは三度に留まった。
この翌日に帝都からの使者が到着し、二日後には慌ただしく故郷を発った。
彼が故郷の『
「……うむ、揃いましたな」
方丈翁の声で、和樹は過去の記憶を振り払う。
改めて見回すと――月城と蓬莱さんだけが着席している。
主賓の蓬莱さんはともかく、月城は放心状態で動けそうに無い。
月城――
我が子が、とんでもない無礼を働いていると思っているのだろう。
上席の宰相に至っては、今にも月城を罵倒しそうな顔付きだ。
事が荒立たないよう祈りながら、成り行きを見守っていると――方丈翁が、口を袖口で押さえて咳ばらいをした。
そして。こなれた口振りで話し出す。
「僭越ながら、公主さまに代わってこの老体が挨拶申し上げる。王帝三家の方丈氏が始祖の
――聞いた瞬間に、宰相の顔色が豹変した。
激しく動揺し、口をパクパクさせて一同を見回し、両の手のひらを下に向けて上げ下げする。
「みな、跪け」とでも言いたげだが、
「ほっほっほっ。宰相よ、まだ修行が足らぬな。ほれ、みな着席せい」
方丈翁は笑い、宰相は「ははーっ」と深く礼をして着席した。
ここに至り、
二人とも慌てて拝礼して着席し、数秒遅れで
それは和樹たちも同じだ。
方丈一族は、花の国の黄泉の泉の守護者とは知っていたが、王族に匹敵する血筋とは知らなかった。
それも、ごく限られた身分の者しか知らない血筋らしいが――
「ん~。
方丈翁はヒョイと手招きし、一戸は神妙な顔で傍に寄る。
その耳元で、翁は皆に聞こえる声で言った。
「そなた、
「……お心遣い、感謝いたします……」
一戸は腰を落として席に戻り、上野と席を交代した。
一戸もやっと上野のお面の泣き顔に気付いた様子で、彼の気を引き立たせるように背を軽く叩く。
だが、一戸が刀を持っていても誰も指摘しない。
どうやら父親たちには刀が見えておらず、服装も礼服の袍を着ているように見えているようだ。
この罠の顛末はどうなるのか――
最後の最後に、自分たちの父親を斬れとでも言うのか――
募る不安と格闘していると、一戸が開いた隣に座った。
そして、忍び声で言った。
「方丈さまからの言伝だ。絶対に父親たちに触れるな。触れると、御神木に持って行かれる、と」
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