終章(参) 宿閻(しゅくえん)

第138話

 一行は渡り廊下を通り、自分の靴を持ちつつ隣の寝殿に向かう。

 『寝殿造』については授業で教わったが、実際に歩くとテレビ番組で観た大きな寺を思わせる構造である。


 寺は畳敷きの部屋があり、それを囲むように廊下があった。

 しかし『寝殿造』の母屋は板敷きで、高貴な御方は畳を置いて座る。

 母屋と廊下(ひさし)を隔てるのは、襖や障子でなく御簾みすだ。

 ひさしは客の接待にも使われ、几帳や立て障子で仕切って、女房の寝所にすることもある。


 

 四人はわらわ二人の先導で、幅広のひさしをゆっくり歩く。

 庭の草木や花は揺れているが、まるで切り絵が揺れているように感じる。

 香りが漂って来ないせいか、舞台セットのように感じてしまう。



「……宴席と聞き及びましたが、主人は如何なる御方でしょうか?」

 四人の先頭を行く一戸が訊ねた。

 だが、わらわたちは振り向きもせずに右を歩く一人が答える。


「我らは何も知りませぬ。四将さまを案内せよと命ぜられたに過ぎませぬ」

「……失礼した。余計な問いであった」


 一戸は謝意を示す。

 一戸本人というより、雨月うげつが若干混じっていると和樹は思った。

 いや、自分も神無代かみむしろ和樹が百パーセントだとは言い難い。

 『魔窟』の存在を知って八か月余り。

 自分の中に眠っていた魂の記憶が、知らず知らず『神無代かみむしろ和樹』に浸み込んでいるのかも知れない。


 『神名月かみなづき』は、何度も何度も転生している。

 彼を背負った者たちの生涯は短かった。

 けれど、闘いの経験は蓄積されている。

 全ては、この時のためだったのだ。

 

 何者にも負けぬ心と力を――。

 和樹は、左手首に掛かった数珠に願う。

 

 


 一行は、渡り廊下で繋がった隣の寝殿に移った。

 ここの母屋で宴席が用意されているようだ。

 見え透いた罠だが、久住さんたちの無事を確かめなければ動けない。

 月城は何も合図しないから、久住さんたちはこの寝殿には居ないのだろう。



 庭を見ると、十メートルほど離れた一角に藤の花が咲き誇っていた。

 格子状に組んだ木棚に、数え切れないほどの紫色の花の房が垂れている。

 夜の闇に浮かび上がった幻想的な光景だが、やはり香りは漂って来ない。



「……気を付けろ」

 月城が低温で囁いた。

「ここは恐らく……如月きさらぎの実家を模している。如月きさらぎから聞いた。実家の庭には藤の花が植えられている、と。雨月うげつも『父上が藤の宴に招かれた』と言ってた」



「……そうか」

 一戸は沈着に答え、美しく咲く藤の花を睨む。

 可憐な小花の房が、吹く風に小さく揺れる。

 

 和樹も覚悟を決めた。

 宴席は、神逅椰かぐやの仕掛けた悪しき罠に決まっている。

 

 上野はと云うと――無言で足を運んでいる。

 彼の胸中は察せられるが、今さら何も言うべきことは無い。

 実兄だった男を倒す覚悟は出来ている筈だ。


 それに自分も……




 寝殿中央に着いた一行は、母屋の中を見る。

 御簾みすは上げられ、中の明かりがひさしを照らしている。


「四将さま、中にお入りください」

 わらわたちは御簾みすの向こうに並んで座り、頭を下げる。

 左手に刀、右手に靴を下げた一戸は躊躇せずに中に入る。

 和樹たちも、油断はせずに後に続く。



 御簾みすの内側の母屋は、意外な装飾がされていた。

 細長いテーブルの両側に、背もたれ付きの椅子が置かれている。

 椅子は全部で八脚で、四脚ずつが向かい合わせの状態だ。

 テーブルには白い麻布が敷かれ、各自の席の前に朱塗りの盆が等間隔でセットされていた。


 テーブルの端は主賓席らしく、白い天蓋の下に肘掛付きの椅子がある。

 その左横にも椅子が一脚。

 右横には畳が敷かれた小さな台座があり、梯子で登れるようになっている。

 どうやら、ミゾレの席らしい。

 天蓋付きの主賓席は蓬莱さん用で、左横は方丈翁用だろう。


 これも『結婚情報誌』の写真を参考にしたのだろうか。

 天蓋を除けば、大きな違和感は無い。



「……座ろう」

 一戸は、主賓席の向かって左側に進み出て座る。

 庭を背にする位置であり、母屋の内側を背にするより危険が少ないと判断したのだろう。

 最初に案内された寝殿と違い、こちらの庭には武官や随身は居ないから。


 かくして主賓席に近い席には一戸が座り・上野・和樹・月城の並びで座った。

 過去世の記憶は、どう足掻いても切り離せない。

 

 四将の大将であった一戸が上席に座るのは当然として、彼が着席した直後には月城が末席に着いた。

 四人の中で、生来の身分が低いことを意識したのだろう。

 上野も和樹もそんな拘りは全く無いが、月城が着席した以上、他の席を勧めるのも気が引ける。

 

 和樹は何となく月城の左隣に座り、上野は空いていた席に座る。

 少しばかり気まずい雰囲気になった時、女性の声が母屋の奥から響いた。

 

 

「……姫さまの御出ましにございます」

 テーブルの向こうの立て障子越しに、優しい衣擦れの音が耳を押す。

 すぐに奥から蓬莱さんが姿を現し、四人は反射的に立ち上がって迎えた。


 蓬莱さんは、淡いピンク色のドレスを着ていた。

 肩口は大きなパフスリーブで、その下は腕にフィットした長袖になっている。

 オーバードレスは腰の背後で留められ、大きなリボンが付いている。

 アンダードレスは白い薄いレースを何枚も重ねて、歩くたびに揺れる。

 髪は結い上げ、花飾りの付いたバレッタ風の櫛で留めている。

 

 花嫁のお色直しドレスと言うよりは、写真で見た『鹿鳴館ドレス』を彷彿させた。

 


(……あの雑誌に、こんなの載ってたっけ?)

 和樹は首を捻りつつも、肌が火照るのを自覚する。

 芥川龍之介の小説『舞踏会』のヒロインを思わせるコーデだ。

 ヒロインは薔薇色のドレスを着ており、非常に美しかったと書かれていた気がする……。

 



「おんや、そなたらは着替えなかったのか?」

 蓬莱さんに付いて来た方丈翁は、四人を一瞥する。

 方丈翁は、灰色の袴に黒い羽織と云う普通の出で立ちだ。

 その後ろを付いて来たミゾレは、首に白いレースの首輪を巻いている。


「……オレらには勿体ないスーツだったので」

 上野はブイッと口角を上げ、和樹に耳打ちする。


「おい、爺様たちはまともな礼装だぞ。オレらの芸人スーツは嫌がらせか?」

「……あの雑誌に『ゲッツ!』の人の写真でも載ってたんだろ」

「……着ていたら、一発芸をさせられてたぜ」


 上野は失笑し、腕組みをした。

 

 そして蓬莱さんは天蓋下の椅子の前に立ち、自分の姿をチラと見降ろし、口元を拳で押さえて僅かに肩を上げた。

 自分のドレスが大袈裟だと思ったのかも知れない。


 

 一同が気まずく立ち尽くしていると――ひさしの向こうから複数の足音が聞こえた。

 衣擦れの音もするが、女性の装束では無い。

 明らかに、男性がきょを曳いて歩く音だ。


「……男が四人だ」

 月城は察知し、警鐘する。

 一戸は、正面の空いている椅子を睨む。

 空席を埋める者たちが現れたのだ。



 だが――月城は息を呑んだ。

 目を見開き、口元を震わせ、糸が切れたように椅子に崩れ落ちる。

 



「……おとう……」


 彼の掠れ声が、宙をぎった。

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