第137話
牛車が止まり、一行は靴を履いて外に出た。
上野はまだ青い顔をしており、月城の腕に掴まっている。
四人が降ろされた場所は広い庭で、左を見渡せば草地の向こうに池が在り、すぐ奥には数本の松の木が植えられていた。
右には寝殿造の母屋がある。
床板や柱は経年劣化で少し変色いるが、吊るされた
その手前の
だが、同じ人形を並べたように見える。
彼らには『個』は無い――。
「姫さまの乘られた牛車は?」
刀を持つ一戸は、棒立ちする武官に訊ねる。
「姫さまは、隣の寝殿に上がられました。そこの母屋にて、宴が開かれます。ここでお召し替えなどして、しばしお待ち下さいませ」
言い終えると、武官や随身は寝殿の庭に――まるで、置かれた駒のように並んだ。
月城は嫌悪に眉をひそめ、三人に囁く。
「……ここは、武官殿に従おう」
「……本気かよ……」
上野は吐き気を抑えるように口元を覆い、投げやりな視線を武官たちに向ける。
が、一戸も月城に同意した。
「……助けなければならない人たちが居る。その人たちの安全を確保できないうちは、おとなしく従おう」
「……そうだね」
和樹は、上野の背を撫でた。
敵の言葉通りなら、寝殿造の邸宅が複数存在するようだ。
学校で習った『源氏物語』の『六条院』は、四つの邸宅が東西南北に配置され、光源氏が愛した紫の上は、『春の町』と呼ばれた邸宅の女主人だった。
ともかく、連なる邸宅のどこかに久住さんは居る。
和樹は逸る気持ちを押さえ、慎重に事を運ぼう、と言い聞かせる。
何より、左手首には『
この数珠は、『その時』が来れば糸が切れる。
まだ、『闘いの時』では無いらしい。
『その時』のために、無駄な消耗は避けねばならない。
自らを律し、靴を脱ぎ、短い
控えていた
広い母屋は、几帳と立て障子で仕切られている。
板敷きの床に四枚の畳が四角を描く形で置かれ、四人は向かい合って座った。
車酔いの残る上野だけは、ごろりと寝転がる。
風の音だけが低く響く中――
「昆布茶でございます」
素っ気なく言い、
赤い漆器には、半透明の液体が注がれている。
月城は液体のにおいを嗅いで言う。
「……普通の昆布茶だな。生姜が混じっているようだが、飲めばスッキリするんじゃないか?」
「……貰う……」
上野は茶碗を取り、うつ伏せのままで昆布茶をチビチビと啜る。
和樹も、昆布茶を飲んでみた。
昆布の甘味と塩味の中に生姜の辛みが感じられ、悪くない味だ。
「……着替えはどうする?」
月城は何とも言えぬ表情で、立ち障子の前に置かれた竹籠を指した。
竹籠には蓋は無く、畳まれた着衣の上には紙札が置かれている。
紙札には、『
「……着る勇気があるか?」
一戸は、いつになく当惑気味に伺いを立てる。
和樹は、膝立ちで竹籠の前に詰め寄った。
竹籠と畳とを往復するのは、これで三度目だ。
神札の下には、丁寧に畳まれたスーツ一式が在るのだが……
ジャケット・ズボン・ワイシャツ・蝶ネクタイ。
形は現代の物と同じだか、ジャケットとズボンの色味が非常識すぎた。
最上級の薄地の絹織物で仕立てられているが、一戸のは艶やかな橙色である。
平安朝装束では男性が来ても変な色では無いが、スーツとなると話が変わる。
どう見ても、芸人のステージ衣装である。
和樹のスーツは濃い桜色、上野が緑色で、月城が山吹色だ。
蝶ネクタイは、全員分が真紅である。
まともなのは、白ワイシャツだけだ。
腹正しいことに、全員分が体にジャストフィット仕様である。
「……ニセ
月城は推理したが、おそらく正解だろう。
だが、どこをどう模倣したら『タキシード』が『芸人衣装』になるのだろう?
いや、この場で『タキシード』を出されても困るが。
「これ……どうやって仕立てたんだ?」
昆布茶を飲み干した和樹は、ズボンの裾を眺めた。
糸で縫っていないのが判る。
「米粒を潰して練った糊で貼り合わせてる。ごく普通の仕立て方法だ」
当時を知る月城は答える。
「シャツの襟と袖口は糸で縫ってるな。呪詛が縫い込まれている気配は無い。着ても大丈夫だ」
「……いやだ」
和樹は首を振り、横目で上野を見た。
上野は車酔いを口実に、
まあ、気持ちは分かる。
「……
一戸は竹籠から目を離し、本題に戻る。
寝殿を囲む随身たちに害意が無いことは理解している。
彼らは、ただのハリボテだが――
「……久住さんと村崎綾音さんの御両親と思われる気配は在る。だが、この寝殿には居ない。それと、遠くに巨大な魂の固まりと言うか『集合体』が在る。御神木を覆うように、無数の魂が集められているようだ。ただ、方角が断定できない。気配は読めるが、霧に包まれているように
――現世と黄泉の狭間に存在する月城は、霊的な探知能力に長けている。
彼が言うのなら間違いない。
「……敵意を持つ者は?」
一戸も昆布茶を飲み干し、手元の刀を見る。
当然、刀を持って宴席に出るつもりだ。
「……上に居る」
月城は天井を見上げた。
その視線は、天井を越えた遥か上に注がれる。
「御神木は、この『
――敵が待っている。
四人は、心の奥底で囁いた。
とうとう、来るべき時が来た。
全ての宿縁を終わらせる時が。
「四将さま。隣の寝殿にて、宴の席が整いました」
一戸は刀を握り締めて立ち上がる。
和樹と月城も立ち上がり、最後に上野がゆっくり腰を上げた。
お面を顔の右側に移動し、皮肉な笑みを唇に
「やっと、胸のムカムカが治ったぜ。御神木の頂上まで行けば、さぞスッキリするだろうな」
「……無茶はするなよ。生きて帰るために」
一戸は肩越しに振り返り、目を伏せた。
そして自ら御簾を捲り上げ、銀灰色の岩に塞がれた空を見る。
在りし日の故郷は神秘を纏い、冷酷に輝いている。
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