第136話
闇と閑寂に包まれた王都――。
風すらも動かず、王宮に向かう剣士たちのみが音を奏でる。
都の中心を貫く広い大路をゆっくり歩き、時折頭上を眺める。
静謐なる月の底は、灰銀色の大地のみを晒している。
そこには命の気配は無く、ただ寂寥の輝きのみを見せつける。
「思ったんだけどよ」
上野は、月を指して言う。
「ラスボスを倒したら、月が崩れてこの国が埋もれるってオチじゃねえよな?」
「そんなことはさせない!」
一戸は、きっぱりと否定した。
「俺たちは、二つの国を救う。まだ生き延びている人々や、新たな世界に生まれる命を守ってみせる!」
「……はいはい。昔から、お前の前では冗談も言えねーぜ」
上野は、後頭部にくっ付いている顔面で、一戸の前にホレホレと差し出す。
「んで、この町にも生きている人間は居るんですよね?」
「居るが、今は寝静まっておるな。百人程度と云うところか。皆、影のように蠢く存在ではあるがな。かつては、二十万人近い民が住んでいたのだが」
方丈翁は辺りを見回した。
「京都の平安京の推定人口は十万人前後、中国の長安の都は百万人だと学校で教わりました」
ミゾレを抱く蓬莱さんの声は利発だ。
「月の帝都同様に、この王都も栄えていたのでしょうね」
大路の左右には塀が立ち並び、塀の向こうには立派な邸の屋根が見える。
「この辺りには、学寮が在ったな。学生たちが住み、『
「方丈さまも、そこで学ばれたのですね?」
月城は、感慨深げに塀の向こうを見渡す。
昔の平和な光景とは比ぶべくも無いが、建物は昔の形を保っている。
童子の頃、四人でこの都に滞在して歴史や古い慣習を学んだ。
祭りの日には大路に繰り出し、雅な行列に歓声を上げた。
あれから、永い時が流れたとは思えない。
「……また、車輪の音が近付いて来るな」
一戸は立ち止まり、一同も耳を澄ませる。
大路の前方から、木の車輪が回る音が響いて来る。
牛車であることは間違いない。
「お迎えであろう。これは助かる」
「えー!? 敵のお迎えじゃないんですか?」
方丈翁は腰を押さえて立ち止まったが、上野は首を傾げて舌打ちする。
「本気で乗る気ですか? 気が付いたら、まな板に載せられているかもですよ?」
「向こうとて、築いた国を荒らされたくないのであろう」
方丈翁は竹筒の水を飲む。
「……我らは懲りずに闘いを挑んで来た。闇に閉ざされた故郷を解放するためにな。だが、放って置くことも出来たのだよ。現世で普通に暮らし、死に、また転生する。わしもお主らも、それが出来なかった……」
「出来る筈がありません」
一戸は、明確に否定した。
「多くの無念を見てしまった以上、背を向けるなど言語同断です。それに、
「ふん、めでたい馬鹿ばかり揃っておるわ」
方丈翁は少年たちを眺め、編笠を深く被り直す。
そうして待つうちに、二台の牛車が現れた。
一台は
続くのは、
随身たちは松明を掲げ、護衛の家来たちも三十人はいる。
糸毛車には、袿の裾を端折って歩く六人の女房達も付いている
ただし、いずれも能面のような顔立ちであるが。
「
黒服の武官が、恭しく挨拶をする。
「宴の準備が整ってございます。さあ、御同行を召されませ」
「わしは?」
「ニャン?」
方丈翁とミゾレは手を掲げる。
すると、武官は僅かに口元を緩めた。
「導師さまと御猫の御膳もございます。御車にどうぞ」
「……乗りましょう」
蓬莱さんは、怖じることなく言った。
「方丈様は、私と御一緒に」
言うと、スルスルと糸毛車に近付く。
家来が置いた踏み台に上がり、靴を脱ぐと、別の家来が靴を取る。
方丈翁も草鞋を脱ぎ、遠慮せずに上がり込む。
ミゾレも、寝転んでゴロゴロと寛ぐ。
その様子を見た和樹たちも、ぞろぞろと
仕えていた姫君に従うより、他にすべきは無い。
ただし、無言のうちに脱いだ靴は持って上がった。
それを見る家来たちも、別に咎めない。
四人は内部を見渡して乗り込み、自ら
進行方向に向かい、前列左に一戸、右に上野。
後部左が月城で、右が和樹だ。
和樹は、開いている右側の窓から顔を出す。
随身たちは一糸乱れず右足を踏み出す。
歩幅や歩く速度は、CGキャラのコピペのようで不気味だ。
実際、彼らはそのような存在なのだろう。
人の形の駒に過ぎず、書かれた台本通りの台詞を声出ししているに過ぎない。
見ると、一戸は片膝を立てて座っている。
何か起きた場合に、すぐに車外に飛び出せる大勢だ。
和樹もそれに倣う。
武器は、月城が持ち込んだ刀のみだが、それは一戸の脇に置かれた。
万一の事態には、彼が抜刀して対処に当たる。
ピリリとする緊張に満たされる中――牛車は動き出した。
「おえええええええ~」
動き出して五分。
早くも上野が音を上げた。
大路の土はほぼ平らに馴らされているが、それでもサスペンションなど無い乗り物である。
上下左右の揺れを止める手立ては無い。
上野は窓から顔を出し、はぁはぁと息を吐く。
傍を歩く随身は、厄災を避けるべくサッと身を引いた。
「端の横板に掴まれ。少しはマシだ」
月城が助け船を出すが、気休め程度の効果だ。
正座しようが、三角座りをしようが、車酔いを収めるのは困難だろう。
「……寝ろよ。膝枕を許す」
一戸がは正座し、上野は横座り姿勢で一戸の膝に頭を置いた。
上野が寝そべって、他の三人が縦並びに座る手もあるが、バランスが悪くて却って揺れる危険がある。
和樹は、ハンカチで上野の青い顔を仰いだ。
「大丈夫? まあ、牛車に乗ったのは……昔だからね」
和樹は、在りし日を思い出す。
四人で牛車に揺られたのは、羽月さまの
八十八紀の四将の遺髪を収めた箱を持ち……
辛い思い出だに、胸に熱い涙が溢れる。
あの時、自分たちも『死』を避けられないと悟った。
だが、ここまで状況が悪化するとは想像も出来なかった。
自分たちが命を差し出せば、民の犠牲は食い止められると思った。
そこで少しばかりの誤解が生じ、
「……変な気分だ。三十分ぐらい牛車に乗ってる感覚なのに、現世では一分も経っていないんだろうな」
一戸は、腕時計を見て笑う。
和樹も自分の腕時計の針を確かめる。
午後九時二十八分で停止したままだ。
「……『
外を覗き込んでいた月城が囁く。
和樹も膝を立てて、窓から顔を出す。
前方――糸毛車の先に、高い門扉が見える。
門扉の左右に聳える壁は、三階ぐらいの高さだろうか。
その上には、月の底面の威容が見える。
この底の上部に、月の国が在るのだろうか。
ゲームなどでは珍しくない光景だ。
浮遊する大陸や城に、人々が住む設定――。
「王姫さま、ご到着!」
鐘が鳴り、兵士が告げる。
出迎えの騎乗した随身たちに左右を囲まれ、逃げる隙間が見当たらない。
「……大丈夫だろうか?」
和樹は、すがに不安に押されたが、月城は冷静に答える。
「仰々しいが、随身たちは飾りだ。たぶん、お前の平手打でも引っくり返るだろう」
――半幽体に等しい月城には、和樹たちには視えないものが視えているらしい
ここまで来たら、大波に乗るしかない――。
和樹たちは下車の準備をする。
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