第124話


 姫君の言葉は、あらゆる方角から神名月かみなづきを打ち据えた。

 並行世界、という概念が脳裏に浮かび上がる。

 それは『神無代かみむしろ和樹』が持つ知識だ。


 同じ土地で、同じ文明を育みながらも、異なる運命を辿った世界。

 ある世界では生きている者が、別の世界では亡き者になっている。

 僅かな行動の違いが、やがては大きな奔流となり、全く違った世界へと変貌する。


 では、ここは――



(……神鞍月かぐらづきが狂気に堕ちなかった世界なのか……?)


 神名月かみなづきの背筋を、戦慄が走る。

 それは、背骨を冷えた指で撫でられたような不快さだ。


 救いを求めるように、瞳を空に向ける。

 闇とは無縁の美しい空が広がっている。

 

 あの惨劇は起こらず、月の民は平穏に暮らしている。

 自分たち『第八十九紀の四将』は無事に任期を終えたのだろう。


 さらに歓声が高まり――目の前を、立札を掲げた四人の随身が通る。



『東門の大将 鳴神月なるかみづき

『西門の中将 咲夜月さくやづき

『北門の中将 夏初月なつはづき

『南門の中将 澪月みおつき



 字の読めない者も多く、読める者が声を張り上げて教えている。

 親が子を抱え上げ、首を伸ばす老人に場を譲る若者が居る。

 旅の僧が数珠を掲げ、世の安寧を祈る。

 

 続いて「新四将は女人ばかりだ」との驚声がうねった。

 術士が一人で剣士が三人だ、との声も混じる。

 お披露目行列で着る汗衫かざみの色で、剣士か術士かが誰でも判別できるのだ。


 

 立札を持つ随身たち通り過ぎた後――四騎がゆっくりと進んで来た。


 先頭を行くのは、桜色の汗衫かざみを纏う少女だ。

 上背が高く、臆せぬ表情が頼もしい。

 観衆には目もくれないが、それが『大将』を担う重責を感じさせる。

 

 次に続くのは、紅梅色の汗衫かざみを纏う二人。

 左右に並んで馬を進めているが、手綱の色で右を行く少女が『西門』だと分かる。

 

 『西門』は雅やかに観衆に笑顔を振りまき、若い男たちは大喜びで手を振る。

 『北門』は、そんな『西門』を呆れ顔で見ている。

 

 殿しんがりを努める『南門』は小柄で、腰に穿く太刀が大きく見えた。

 その大きな瞳は、感涙で揺れている。


 四人とも額で結った前髪に花かんざしを差し、背に垂らした髪が軽やかに風に揺れる。

 これから約五年の間、彼女たちが帝都の護りの象徴となるのだ。

 

 

『次の『四将』は、全員女人にょにんときた。華があって良いねえ』


 

 不意に、如月きさらぎの声が耳を震わせた。

 いや、違う。

 それは、自分が聴いたのでは無い。

 おそらくは――この世界の神名月かみなづきが聴いたのだ。

 それが、別世界の自分に伝わっている――。



 大歓声の中、四人の少女は目前を通り過ぎて行った。

 後を追うように移動する子供たちも居る。

 その中の女の子は「すごくかっこいい!」と興奮していた。

 前髪を上げ、揃いの汗衫かざみと紅袴姿の女将にょしょうたちは、女の子たちの憧れだろう。

 


 だが――神名月かみなづきは一歩も動けなかった。

 自分たちの世では、彼女たちも亡き者となったに違いない。

 神鞍月かぐらづき――神逅椰かぐやは、真っ先に『近衛府』を封鎖したのだから。

 

 以前、家に現れた亡霊と化した幼い童子たち――。

 あの子たちは、抵抗の術なく惨殺されたに違いない。

 だが、年長の童子たちは闘おうとしたかも知れない。

 後輩たちを庇おうとしたかも知れない。


 

 ここに来てようやく――惨劇の有り様を深く理解し、打ちのめされた。

 自分たちは『花窟はなのいわ』に匿われ、故郷を見殺しにした――。

 敵わずとも、故郷で死ぬべきだったではないか――。

 それが『近衛府の四将』の為すべき勤めだったのではないか――。


 悔いは波涛と化して押し寄せ、足を取らたように座り込む。

 


「……お殿さま、御加減が悪そうですが」

 傍らの子連れの男性が気遣って、躊躇いがちに手を差し伸べてくれた。


「……かたじけない。少し風に当たって参ります」

 神名月かみなづきはその手を借りると、周りが軽くどよめいた。

 お忍びとは云えど徒歩の上流階級は珍しいが、民草が差し伸べた手に触れてくれるのは異例なことだ。


「みなさま、ありがとうございます」

 姫君は顔を隠すように俯きつつも、礼を述べて神名月かみなづきの後を追う。

 観衆は二人のために道を開け、二人は雑踏を抜け出した。


 

 大路の端は空いていて、歩くのは難儀では無い。

 家々の塀の前を、二人は寄り添って歩く。

 だが、前方に並んで停止している牛車が見えてきた。

 貴族の奥方や女房たちが、屋形やかたの中から見物しているのだろう。

 牛車の前後には家来たちが付いているが、彼らも行列に見入っているようだ。



「ははさま、おうまさん」

 幼い女の子の言葉が、端の牛車の屋形から漏れ聞こえた。

 牛車の装飾から見て、士族の母子が乗っていると思われた。


「おうまさん、のりたい」

「まあ。大君おおいきみさまは、早くも『四将』に憧れていらっしゃる御様子」

「本当に。やはり、血は争えないのかしら」


 ――乗っているのは、士族の女の子と母親と乳母だろうか。

 ――だが、神名月かみなづきは母親の声に聞き覚えがあった。


 その声は、決して忘れられない声だった。


 思わず、その牛車に近寄る。

 家来の一人が気付いて此方こちらを見たが、すぐに臆したように立ち止まった。

 装束から、身分高い相手だと察したのだろう。


 

 神名月かみなづき檜扇ひおうぎを開き、顔の下を隠して声を張り上げる。

「もし……お伺い申し上げます。我は『神名月かみなづきの中将』にございます。もしや、其方そのかたは、紗夜月さやづき御方おんかたさまではございませんか?」


「え……まあ! 中将殿ですか? とにかく、此方こちらへ」

「では、失礼を申し上げます」


 神名月かみなづきは身を屈めて近付き、ながえ(牛車の引き棒)の手前で片膝を付いた。

 姫君も楚々と追い、彼の後ろに立つ。


 すると、屋形内から驚きの声が上がった。

「まあ……玉花の姫宮さま!」


「えっ!」

 驚愕した家来たち六人は、すぐさま地にひれ伏した。

 隣の牛車の家来たちも、その様子に怖じて後ずさりする。

 彼らにも、紗夜月さやづきの声が聞こえたのかも知れない。



「皆さま、お立ちを。今日は忍んでの御出ましです」

 神名月かみなづきは、慌てて牛車に顔を寄せて囁く。

 ここで騒ぎを起こすのは不本意だ。

 お披露目行列の人々は自分たちに気付かなかったようだが、観衆は自分たちを認識していた。

 

 声を掛けた紗夜月さやづきの一行も同様である。

 立ち上がった家来たちは、牛車と二人を守るように周囲を固めてくれた。

 揃いの水干姿だか、そのうちの二人はかなりの剣の使い手だと察した。

 その彼らも、紗夜月さやづきの剣技には及ばぬだろうが……。

 


「……とにかく、御簾みすを上げて」

 

 紗夜月さやづきが命じ、三十歳ほどの乳母が御簾みすを半ば巻き上げ、内側の駒に引っ掛けた。


 半分ほど上がった御簾の内側で――主の紗夜月さやづきは深々と頭を下げている。

 濃き薄きの藤色のうちきを重ねた上に、浅緑の小袿こうちぎを纏っている。

 

 その膝元には、撫子なでしこ色の単衣ひとえに卯の花色(白に近い黄色)のうちきを着た女児が座っていた。

 手には、小さな鞠を持っている。


 ――女児の目元を見た瞬間に、神名月かみなづきは確信した。

 この娘の父親は、雨月うげつだ、と。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る