第121話

「……その点に付いては礼を言う」

 日那女は、僅かに首を前に傾けた。


神無代かみむしろくんたちの手を汚させずに済んだからな。私と同じ姿の女を始末するのは、気が進むことでは無かっただろうし」


 そしてひと呼吸を置き、考えを張り巡らせる。

 黄泉姫は妙な嫌がらせをしてくるが、敵対している訳ではない。

 

 先の闘いでも、雨月うげつに『宿曜すくようの太刀』を授けてくれた。

 今日は、黄泉千佳ヨミチカを襲撃しようとした水影月みかげづきを倒してくれた。


 その詳細は分からないが、黄泉姫いわく――

現世うつしよかわやに紛れし其方そちを引き摺り戻して始末した」とのこと。


 

 だが――倒した証拠を持って来たのは歓迎せざる行為だ。

 自分以外の者の目に触れなくて良かった、と心底から思う。

 自分でさえ、膝の震えを必死に押し殺している。

 

 過去世では、人をあやめた。

 神逅椰かぐやの雑兵たちを斬り、術で溺死させ、自らも討ち死にした。

 

 それでも、現世で無惨な遺骸を目にするのはこたえる。

 だが、黄泉姫は指に付いたジャムを優雅に舐め、首を傾げて訊く。


水影月みかげづきよ、この『ぱん』とやらは、もう無いのか?」

「無い。もう一度言う。早く帰れ」

「……つまらぬな」


 黄泉姫は不服そうに唇を尖らせ、立ち上がった。

 くつを履いて庭に降り、血の滲む包みと太刀を拾う。


「……其方そちまみえるのは、これが最後であろうな。其方そちと話すのは嫌いでは無かったぞ。其方そちと、此方こちは似ている。互いが嫌いな所も、神名月かみなづきたちに最後の願いを託している所もな」


 

 黄泉姫は――瞼を閉じて微笑んだ。

 その顔は、蓬莱天音にそっくりだった。

 仲間に囲まれていても、どこか寂しそうな孤高さを感じさせる表情。

 姉だった亜夜月あやづきの――恋人の変貌を憂いた顔にも似ている。


 あの姫君が、最後に見たものは何だったのだろう――


 黄泉姫のなびく黒髪を見つめ、あのを思う。

 父と母を殺され、夫となった神名月かみなづきの中将を殺され――

 それ故の『罪』――


 それを誰が咎められよう?

 姫君に『罪』を問えよう?

 神逅椰かぐやを殺すべく立ち向かった自分と、如何ほどの差異があろうか?



「待て……黄泉の御方おんかたよ。ひとつだけ、お教え願いたい」

 かつての『水影月みかげつき』は、両の手のひらを膝に当てて問う。

御方おんかたさまの最も古き記憶は、如何なるものでございましょうか?」



「やはり、気付いておったか」

 黄泉姫は、茫洋たるまなこで庭を見渡した。

 表情が消えた白い顔の、その黒き瞳は果て無き虚無を従えている。


「月光が射す夜……此方こちは、男の首を引き摺っていた。父上と母上と背(夫)の仇を討ったまでのこと。だが、その首は笑っていた。我が意を得たり、とばかりに嘲笑を止めなかった。次に覚えているのは、クソ名月の首の後ろを刺したことだ。奴は直ぐ死んだ。傍には、『神無代かみむしろ和樹』と名乗る……我が背の写真とやらが落ちていた」



 ――風が草を揺らし、池に小波さざなみが立った。

 

 水影月みかげつきは瞼を閉じ、次に開けた時には黄泉姫の姿は無かった。

 血の臭いも消え、隅に蹲っていた黒猫は庭に走り出た。


 水影月みかげつきは両手を合わせ、密やかに祈る。

 死した者のために。

 死した者の魂の救済のために。

 死した者のために戦う勇士たちのために。



 暫し後――瞼を上げて、昏睡状態の月城に声を掛ける。

水葉月みずはづき……お前の浄化の力が必要だ。彼らの憎悪を取り除いてやってくれ……」

 





  ◇

  ◇

  ◇

  ◇




 静やかであった殿舎は、今ばかりは喧騒に揺れていた。

 神名月かみなづきたちが、大忙しで殿舎の護りを固めているのだ。

 

 蔀戸しとみどを閉じ、御簾を二枚重ねて吊るし、その内側には『まじない』を書き連ねた立て障子を置く。

 

 月光が一条たりとも射さぬようにせよ、との『蓬莱の尼姫』からのお達しなのだ。


 故に『八十九紀の四将』のたち、『小君』と名乗るわらわ、そして五人の下男はひさしを駆ける。

 殿舎の全ての柱や、渡り廊下の床にも呪符を貼って回る。

 

 

 この殿舎は、尼姫君の住まう『寝殿』と『東の対屋』と『西の対屋』から成る。

 たちは、『西の対屋』で寝起きし、昼は『東の対屋』で過ごしていた。

 『東の対屋』の主は神無代かみむしろ裕樹だが、ここでは『弦月げんげつ』と名乗っている――。



 務めを終えたたちと小君は『東の対屋』に戻った。

 昆布茶で喉を潤し、一息をつく。

 弦月げんげつは彼らを労わり、揚げ菓子も勧めた。

 小君は真っ先に手を伸ばし、如月きさらぎも子供っぽい仕草で口に放り込む。


「済まないね。何もしてあげられなくて」

「いいえ。動いている方が性に合っておりますので。それに、月光は殿とののお体に触ると聞きました。我ら、力の限りに殿とのを御守りする所存です」


 雨月うげつは、東の対屋の主に礼を持って接する。

 と云えど、本人の性分が反映されるものらしい。

 時と共に、雨月うげつは所作も整ってきた。

 『自決しろ』と命ぜられたことが余程の衝撃だったのか、それまでの軽薄さが吹き飛んでしまったようだ。

 一皮剥けた状態、とはこのことだ。

 他の三人も幼稚さは残っているが、邪気はすっかり失せている。


 水葉月みずはづきも揚げ菓子を食べ始めたが、神名月かみなづきは御簾の向こうを想って嘆く。


白織しらほりちゃん……元気かな」

「心配するな。黄泉の御方おんかたの寝殿も、護りを固めている筈だ」


 雨月うげつが慰めたが、神名月かみなづきの消沈は覆らない。

 が――膝立ちで弦月げんげつの前に進み出ると、背を縮めて謝罪した。


「ごめんなさい……白織しらほりちゃんにも酷いことをしました……」

「もう、謝らないで。君たちは、悪意ある者に利用されただけだ」


 弦月げんげつは、優しく言葉を掛ける。

 狩衣姿の四人と違い、特別に仕立てた現代の和服姿である。

 その膝元には、如月きさらぎの飼い犬の太郎丸が座って寝息を立てていた。


 四人を見回した弦月げんげつは、彼らに笑顔を送る。

 彼らは、自らを消される覚悟で神逅椰かぐやに歯向かったと聞いた。

 自分の息子と、その友人たちの化身の少年たち――

 無縁とは言い難い少年たちを、誇りに思わずにはいられない。

 彼らの勇気で、息子たちは生き延びたに等しい。

 頭を下げるべきは、こちらなのだ。



「尼姫君は、ご無事なのでしょうか?」

 雨月うげつは不安そうに言う。

「それに『花弦の王君さま』と『王后さま』も。以前、『王后さま』に大変な御無礼を働きました」


「私はその方々をを存じ上げないが、お二人とも君たちの心変わりを知って喜んでいらっしゃるだろう。さあ、食べて鋭気を養おう。戦いが終われば、国を再興するのは君たちだからね」


「……はい!」

 雨月うげつも、捻じった揚げ菓子に手を伸ばす。


 これから暫しの間、部屋に籠もって過ごさねばならない。

 国の命運は、本物の『八十九紀の四将』たちに託された。

 自分たちは、ここで弦月げんげつ殿を護る――

 そう決意している。


 この世界の月光は、現世で生を受けた者には害を及ぼしてしまう。

 それが魂であれ実体であれ、月光を浴びることは、身の損壊に繋がる。

 

 最後の闘いが始まれば、月光が荒れ狂うのは間違いない。

 だから月光を遮断するために御簾を一枚増やし、悪しき存在を避ける『まじない』を記した立て障子を掲げた。

 数百枚の呪符も貼った。

 出来ることは、全て成した。


 

 雨月うげつは顔を上げ、御簾の外の空を思い描く。

 全てが終わった時は、どのような空が其処にあるのか。

 現世で見たような美しい空が見れますように、と彼は願った。

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