第119話

 始業式から五日後の土曜日。

 和樹は、念入りに身支度を整えた。

 

 『メンズ高校生・失敗しないデートコーデ』なるウェブサイトを参考に、手持ちのシャツとパンツで、それらしいスタイルを作り上げる。


 ロングの白タンクトップにブルーグレーの半袖トップスを重ね、ネイビーのパンツと黒のローファー。

 白いトートを肩から下げた、見本写真に近いコーデだ。


 黄泉千佳ヨミチカのコーデは知らないが、久住さんのコーデから離れてはいない筈だ。

 彼女が何を着ようと、それより派手になることは無いだろう。


 トートの中身を再確認し、父の遺影に手を合わせてから玄関を出る。

 母は出勤日で、「黄泉千佳とデートに行く」とは伝えてある。

 母は、余計なことは言わずに家を出た。

 九月九日に、最終決戦のために『魔窟』に行く――

 まだ伝えていないが、さすが何かを感じ取っていることが表情や仕草から判る。


 話せば、母は自分が居ない時に泣くのだろう。

 だが、父の魂を救い出さねばならない。

 久住さんと、村崎綾音さんの御両親を現世に連れ戻さねばならない。

 

 現世で、『神無代かみむしろ和樹』として生き続けるために――




「あっひょっひょ~、ナシロっちぃ~、お待たせ~♪」

 玄関チャイムを鳴らしてから八カウント後に、黄泉千佳ヨミチカがドアを開けた。

 ミゾレも、ニャンと鳴いて出て来る。


 濃い目ベージュのタイトなサロペットスカート、白シャツに白ベレー。

 黒サンダルに白ソックス、くすみピンクのショルダートート。

 首を傾げて微笑む様は、久住さん本人と何ら変わりない。

 和樹も思わず微笑み返し、屈んでミゾレの頭を撫でた。


「夕方には帰るから……お前はお留守番だ。ところで、お母さんは?」

「パートちゃんだよ。三時過ぎたら帰るって言ってた」

「そうか、じゃ行こうか」

「はっぴち~♪ ミゾレにもおみやげ買っちゃうからね♪」


 

 浮かれ気分の黄泉千佳ヨミチカを連れ、和樹はマンションを出た。

 今日も空は晴れ渡り、短い夏は未だ頭上に留まっている。


 二人はバス停まで歩き、駅までバスに乗り、モールのシネコンに向かう。

 定番スナックのキャラメルポップコーン・コーラ・メロンソーダとパンフレットを買って席に着く。

 観たのは吹奏楽部の生徒たちを描いたアニメで、席の半分以上は埋まっていた。

 パンフによると、高校吹奏楽部の本物の演奏を使用しているとのことだ。

 

 鑑賞後は、近くのビルに移動した。

 そこの三階ではウサギキャラの期間限定ショップが開催中で、黄泉千佳ヨミチカに白ウサギの縫いぐるみを買ってあげた。

 

 これらデート代は、岸松おじさんのポケットマネーである。

 自分の貯金から工面するつもりだったが、事情を聞いた母が二万円を差し出してくれた

 

 ――和樹の闘いに必要になるかも知れない。

 そう考えた岸松おじさんが、母に渡してくれたそうだ。

 おねだりすることに馴れるのは心苦しいが、致し方ない。


「成人した姿を見せてくれることが、最高の返礼だ」と、おじさんは言ったそうだ。

 そのためにも――ありがたく頂戴した。

 黄泉千佳ヨミチカの件が解決したら、報告を兼ねて礼を言おう――。

 

 

 おじさんに感謝しつつ、その足で向かいのラーメン屋に行く。

 二人で味玉・モヤシ追加の味噌ラーメンを啜った。

 黄泉千佳ヨミチカの満面の笑顔で、スープも一滴残らず飲み干してくれた。


 そして舌をサッパリさせるべく、駅ナカでソフトクリームを買い。裏のガーデンを望むベンチで頂く。

 ガーデンと言っても整備途中で、花壇には土が敷き詰められているだけだ。

 けれど遠くの稜線は碧く浮かび――あそこに、この地のカミがおわすのでは、と和樹は感慨深く眺める。


 何枚も写真を撮り、そしてタクシーに乗った。

 黄泉千佳ヨミチカもさすがに和樹の懐の心配をしたが、和樹は笑って答えた。

「歩くと、二十分は掛かるからね。心配いらないよ」

「ふーん……どこ行くのん?」


「スイーツガーデンだよ。一昨日、学校で『スイーツの本』を見てたよね」

「わふぉ! ナシロっち優しい~♪」


 黄泉千佳ヨミチカは、両手でガッツポーズをとる。

 その屈託ない笑顔を見て――和樹の心も不思議と和む。


 最初に彼女を見た時は、絶望しか無かった。

 本物は拉致され、ニセ者が『のほほん』と笑っている。

 ふざけるな、と怒りが湧いた。


 けれど、今はそれを悔いている。

 彼女に罪は無いし、こうして接していると妹のように思える。

 

 とにかく、彼女に暴言を吐かなかったことだけは、少し自賛したい。

 彼女も、最初は幾許かの敵意が在ったが、それも無くなった。

 野良猫が人馴れし、餌をねだるようになった――そんな感じだろうか。


 そんな彼女を、どう説得すべきか迷う。

 君が生まれた故郷で暮らして欲しい――

 率直に、そう告げるのは難しい。

 

 あちらに平和が訪れたとしても、現世の文明とは大きく違う。

 平安時代に似た文明と、それより千年を経た現世の文明――。

 現世の文明を知った者に、千年前の世で暮らすことを納得させるのは困難だろう。

 その時を、出来るだけ遅らせたい――。


 

 けれど、五分後にはスイーツガーデンに到着した。

 黄泉千佳ヨミチカは歓声を上げて降車する。

 小高い丘を臨むスイーツガーデンには、工房と売店、カフェが併設されている。

 二人はガラス越しに工房を見学した後、カフェに入ってケーキブッフェを頂くことにした。

 時間は八十分で二千二百円。

 フリードリンクで、プチケーキ・バウムクーヘン・クッキーにイチゴ大福などの和菓子もある。


 黄泉千佳ヨミチカは大はしゃぎで、何種類ものプチケーキを皿に並べた。

「おいち~♪ 抹茶ケーキもチーズタルトもウマママ~♪」


 はしゃぐ彼女を――和樹は、優しく見つめる。

 客は少ないが、それでも幾許かの視線を感じる。

 幼児のように歓声を上げる黄泉千佳ヨミチカは、やはり目立つ。

 が、それも今は気にはならない。


 彼女をあの世界に返すことへの罪悪感が、ひしひしと募る。

 皿に取ったキビ大福もシュークリームも、一向に減らない。


「ナシロっち、食べないのぉ?」


 ――聞かれて正面を見据えると、黄泉千佳ヨミチカの丸い目にぶち当たった。

 気まずさを払うべく、キビ大福に黒文字でカットする。

「いや、食べるよ」

「うん、食べてん♪ あたし、お手洗い行って来るぅ♪」


 黄泉千佳ヨミチカは機嫌よく立ち、奥の化粧室に向かった。

 和樹は、やはり――落ち込む。

 デートに誘うんじゃなかった、と悔やんでしまう。

 無邪気な姿に、余計な罪悪感を抱え込んでしまった。

 楽しそうにケーキを食べる彼女に「現世から出て行ってくれ」などと、どんな顔で言えば良いのだろう。



 悶々とキビ大福を口に運ぶうち、やがて黄泉千佳ヨミチカが戻って来た。

 戻るのが遅いのが気になっていたが――その顔を見た和樹は、眉をひそめた。

 口を四角く開け、今にも泣き出しそうに小刻みに震えている。

 顔色も悪い。


「どうしたんだ!?」

「……あの……あの……」


 思わず身構える和樹だが――黄泉千佳ヨミチカはプルプルと鼻を震わせて言う。

「お帽子……トイレの中に落とした……」

「は?」


 ――確かに、彼女が被っていた白いベレー帽が無い。

 

「……手で拾ったんじゃないよね?」

「うん……落としたことを、店員さんには言ったよ。お帽子も……捨ててって」


「それで良いよ」

 和樹は、穏やかに微笑んで見せる。

「帰りにモールに寄ろう。確か、帽子屋さんがあった」

「……怒らないの?」


「大丈夫だよ。新しいのをプレゼントするよ」

「ナシロっちぃ……」


 ぐずる黄泉千佳ヨミチカの両手を、和樹は握り締める。

「ほら、まだ制限時間が残ってる。フルーツもあるから食べよう。僕もいっぱい食べるから!」

「……うん、食べる!」


 ようやく、黄泉千佳ヨミチカに笑顔が戻ったのだが……

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る