第20章 ゆく川は流れ、想いは空に融ける
第118話
翌日――。
桜南高校に、一陣の風が吹いた。
『三年生の方丈日那女が自主退学する』と云うニュースが、たちまち校内を荒らしたのだ。
同好会の白衣姿で知られていた日那女だが、『桜夏祭』での三蔵法師役で更に名を馳せ、その顔は多くの生徒に覚えられた。
それがこの時期に突然の『自主退学』となれば、様々な憶測が飛び交うのは無理からぬことだった。
三年生の吉崎
余程に驚いたらしく、同好会の生徒たちに聞き込みをしているらしい。
学力テストの合間ではあったが、蓬莱さんは丁寧に応対した。
「その……お父さまの介護のためと聞きました」
「……メッセージを送っても『ごめん』としか返って来ないんだよ。大学受験の準備だってしてたのに……」
打ち合せ通りの言い訳をすると、吉崎さんは肩を落として「放課後に日那女の家に行く!」と言い残して退室した。
日那女は友人にも内緒で、退学届を提出して帰宅したらしい。
退学の話を知った
居る筈の友の姿がない――
それは、幸福な日常の一角の崩壊だ。
受け入れるには、短くない時間を要する。
立ち去る吉崎さんの後ろ姿を眺め――和樹は心の中で頭を下げた。
辛いのは、彼女とて同じだ。
辛い気持ちに、強弱など無い――。
――最後の科目のテストが終了し、昼休みに入った。
午後は通常授業に、今日からは一部の部活も始まる。
剣道部も、巨大ロボット研究所も。
研究所の新所長は、二年生の笹森さんが務める。
今日は、前所長の話題で持ちきりだろうが……。
生徒たちが思い思いの昼を過ごす中。
和樹と一戸と上野は、体育館裏の水飲み場に集まった。
そこは、前と変わりなく見える。
傍の大木は、過ぎる夏を捕えようとする如く、固い枝を天に伸ばしている。
繁る葉の中から、雀の声が響く。
校庭で軽くボールを回しているのは、サッカー部の男子たちだ。
今は八人しか居ないが、来年は倍ぐらいの部員が確保できるかも知れない。
「ほれ、食えよ」
上野は大木に腰を預け、パラソルチョコを二本ずつ渡す。
例の顔面は、顔の真後ろに付けている。
当初は、顔の横に付けていないと違和感があったそうだが、少し慣れたから後ろ向きに付けているらしい。
和樹としては、その方が助かる。
「いただきます……」
和樹は、チョコを開封して口に入れる。
甘さがじんわりと広がり、疲れた頭に染みる。
上野も、舌先でチョコを突いた。
「放課後、月城ちゃんの見舞いに行こうと思ったんだが、先輩たちが押しかけるなら中止だな」
「お前は家で寝てろ。追試があるから、無理を押して出席しなくても良かったのに」
一戸はたしなめるが、上野は鼻高で笑う。
「我が家の優秀な看護学生の見立てを信じろよ。……そんでさ、聞いてくれ。オレ、兄貴と同じ看護大学を目指すことに決めた」
「えっ」
「えっ」
和樹と一戸は顔を見合わせた。
突然の宣言に驚かざるを得ない。
彼の選択をどうこう言うつもりはないが、意外な選択だったからだ。
「おいおい、そんな引いた顔すんなよ」
上野は、ピッと腰を伸ばした。
「オレ、将来なんて深く考えてなかった。親父は画家だけど、特に絵が好きな訳でも無いし。でも、今回の怪我で思い直した。兄貴は、いずれは介護施設を経営したいと言ってる。その時は、オレも手伝いたい。大学でボランティアサークルに入って、介護施設を訪問したい。そこで、殺陣を披露しちまうぜ! 似顔絵も描いちゃうぞ!」
「上野……」
彼の笑顔に、涙腺が大きく緩む。
五十年前、彼は『兄貴と電器屋を経営する』と言っていた。
彼は、あの時のままだ。
転生しても、何も変わっていない――。
「……ナシロは、教師か役所の職員になるんだっけ?」
一戸は問い、和樹は頷く。
「うん、母さんのために地元から離れない。一戸は、東京の大学に行くんだよね」
「ああ……祖父から離れたいってのもあるけどな。でも、まだ大学は決めていない。消防士になる夢は変わらないけどな」
「月城ちゃんは、どうすんにょかねえ?」
上野は、二本目のチョコを口に含む。
「彼、大沢さんと良い感じだったし。何つーか、頑張って欲しいな」
それを聞いて、和樹も心底から同意する。
闘いに勝利したとして――月城は現世で生き続けることが可能なのか?
それは分からない。
けれど、彼へのわだかまりなど、ひとかけらも無い。
彼も、生きて欲しい。
この現世で、自分たちと一緒に。
「闘いが終わって、いつか俺たちが生涯を終えて、また生まれ変わったら……きっと『魔窟』のことも、俺たちが『第八十九紀の近衛府の四将』だったことも覚えてないんだろうな」
「そうだね……」
一戸の言葉は
短い草が風に揺れ、タンポポが白い綿毛を飛ばそうとしている。
「そう言うなって。霊界とやらで再会したら『お前だったのかよ!』って笑おうぜ。月城ちゃんも一緒にな」
上野はチョコのスティックを包み紙で巻き、ポケットに突っ込んだ。
タンポポの綿毛が舞い上がり、風に乗って空へと旅立つ。
冬を越えた新たな命は、どこかで芽吹く。
「それよか……お前、方丈様に頼み事したんだって?」
「うん……けじめを付けるよ」
和樹は、口を一文字に結ぶ。
「『魔窟』に偵察に行って来る。降りる場所は、僕が最初に降り立った都の外れだ。蓬莱さんと二人だけで行く。その場所に降りられるように、書道用紙に座標を記して貰ったんだ」
「そうか……」
上野は、一戸を横目で問う。
すでに話を聞いていた一戸は、無言で応じた。
上野はフワリと笑い、白い綿毛が消えた方向を見た。
「
「うん、困っちゃうよ」
和樹は照れ笑いし、チョコのスティックを片付ける。
蓬莱天音さんは、
だが、意思を与えられている。
姫君の意を受けつつも、本人の意向で闘いに随行してくれる。
そして、闘いは終盤に辿り着いた。
終われば、蓬莱天音さんは消える。
現世を去り、その体は村崎綾音と云う本来の体の持ち主に返される。
その時――
『黄泉の泉』に亡骸を沈められ、魂を流された者は二度と『
いわゆる『現世』と『霊界』を行き来するのみだ。
――故郷は、手の届かぬ異界となる。
寂しいし、悔いが無いと言えば嘘になる。
だが――自分たちは正しいことをした。
誇りを守り抜き、命を捧げた。
だから、今が在る。
故郷のために闘い、それが故郷の未来に繋がっている。
故郷の復興は、そこで生きる者たちに任せよう。
三人は、空を見上げた。
見えずとも、命は終わらない。
繋がり、未来へと続く。
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