第19章 夏の果て、嵐の前

第114話

 八月中旬――晩夏も近付く頃、桜南高校の二学期が始まった。

 体育館での校長の訓辞に続いて、身だしなみチェックが行われる。

 教室に戻った後は、一年生と二年生は学力テスト。

 三年生は、進路相談と通常授業となる。

 

 

 一年一組の生徒たちも、無言でテストの準備をする。

 和樹は物理のノートを眺めつつ、教室の顔ぶれを見回した。

 

 蓬莱さんは、特に動揺した様子は見せない。

 黄泉千佳ヨミチカは上機嫌で、スイーツの本を見ている。


 一戸を見ると目が合い――何となく頷き合った。

 上野は、痛みが残る体を引き摺るように登校した。

 クラスメイトたちには、家の階段で転んだと言い訳をした。

 左の二の腕に残る鬱血を見せると、みんなが納得して「気を付けろよ」と心配してくれた。


 『魔窟』での負傷は、現世の肉体にも影響する。

 蓬莱さんこと『月窮げっきゅうの君』の力を以っても、一夜で全快とは行かない。

 ましてや、『羽月うづき様』の『宿曜すくようの太刀』に斬られたのだ。

 歩けるだけでも、おおいに感謝すべき事案だろう。

 

 だが一点だけ――上野には変化が起きていた。

 例の『顔面』を、祭りのお面の如く頭の側面に付けている。

 上野――『如月きさらぎ』のが手放した、上野本人の『顔』だ。

 戻って来たのは良いが、どうしても元に戻らないらしい。



「『魔窟』から戻ったら、横に落ちてた。顔に当てたけど、やっぱり引っ付かねえ。そしたら、待ってましたとばかりに舟曳ふなびき先生から電話が来て、和紙を細長く切って『黄泉の水』に浸して輪っかにして、お面に付けろと。それを頭に載せとけって言われた」



 ――登校時に、和樹たちはそのさまを眺めて絶句した。

 顔面が戻って来たのは喜ばしいことだが――見た目に難がある。

 顔が二つ並んでいるのは、率直に言って不気味だ。

 だが、上野曰く――「顔の正面に当てると、視界が塞がっちまう」とのこと。

 

 幸い、今の所それを視ることが出来るのは和樹たちや黄泉千佳ヨミチカぐらいだ。

 彼女は「ゲロきもい~!」と通学バスの中で騒いだ訳だが。



(当面は仕方ない…か)

 和樹はノートを仕舞い、嘆息する。

 顔面を元に戻すには、やはり『水影月みかげづき』のに協力させるしか無いのだろう。

 素直に協力してくれる相手とは思えず、前途多難だ。


 そして――空いている月城の席を見る。

 月城が、自分たちと違うことは理解している。

 彼は生身のまま、『現世』と『魔窟』を往来している。

 霊体を斬られた上野と違い、本体を斬られた月城のダメージは計り知れない。

 方丈家が彼を預かっているが、日那女にメッセージを送っても「心配するな」と返信が来ただけだ。


 方丈家でどのような手当てが行われているか不明だが、放課後に訪問すると決めている。

 ただし、一戸と二人だけで。

 騒々しい黄泉千佳ヨミチカは除外し、蓬莱さんには彼女のお守りをして貰う。

 当然ながら、上野は帰宅して休養だ。



 

 ――かくしてテストも終わり、生徒たちは帰宅の途に着いた。

 明日も二科目のテストが残っており、部活も無い。

 和樹と一戸は、方丈邸方面に行くバスに乗った。

 他にも数人の生徒が乗っており、二人は無言で吊り革に身を託す。


 和樹は流れる景色を眺めつつ――自分たちの過去を思った。

 今更ながら、『神名月かみなづき』と『雨月うげつ』には、得も言えぬ絆が在った。

 『如月きさらぎ』や『水葉月みずはづき』との絆に比べて強い、と言う訳では無い。


 ただ――共に士族の出自であり、『有事には、真っ先に命を投げ出す覚悟』を擦り込まれた者同士の絆だ。

 士族は、月帝と国と民を守る使命を誇りとした。

 近衛童子たちも武芸を叩きこまれるが、それとは異なる。

 父祖より続く血脈に受け継がれた『本能』と表現すれば良いのだろうか。

 

 士族は産まれ落ちた瞬間から、その身は我が物ならず。

 誇りのためには、命を惜んではならぬ――。

 二人に取っては、貴族出身の『如月きさらぎ』も、庶の出の『水葉月ルみずはづき』も庇護対象だ。

 生死を共に――そう誓い合った四人だが、生来の気質を止められるものでは無い。

 

 身分に関わらず、幼き者と老いた者を先んじて助けよ――

 幼き者は国を担い、老いた者の知恵は国を助ける――

 そう教わっていた。

 




 やがて二人はバスを降り、コンビニに立ち寄った。

 カップ入りのプリンアラモードを八つと、紅茶のペットボトルを購入する。

 自分たちと、方丈家の二人。

 月城と、舟曳ふなびき先生。

 家政婦さんと、訪問介護員。


 在宅の可能性のある面々を考えての購入だが、足りなけれは自分たちの分を辞退すれば済む。

 二人は会話しながら、人通りの少ない歩道を行く。


「上野のお面は、お前のお母さんには視えるのかな」

「さあ……体育館では、周りの反応は無かったな。あれだけの生徒なら、霊感のある人も居そうだけど。いつだったか、お前の羽織袴も視えた人は居なかったようだし。霊感関係なしに、現世の人間には視えないんじゃないかな?」


「俺たちのニセ者は、誰でも視えるんだな」

「らしい。僕たちが『魔窟』の物に触れられるのと一緒なんだろう。強い能力者って言うか……そうした者は、互いの世界を行き来して、食べたり飲んだりも出来る」



「……どう思う?」

 一戸は足を止めた。

「……黄泉姫は、ラスボスは『宵の王』だと言った。御神木と一体化した怨霊だと。じゃあ、そいつは何だ? 誰が御神木と一体化したんだ? 神逅椰かぐやか?」


 和樹も立ち止まり、漠然と空を見る。

 千切れ雲は厚くて、少しばかり灰色で――這うように空を横切る。


 ――神逅椰かぐやを倒せば良いと思っていた。

 だが昨夜の神逅椰かぐやは、想像の斜め下の見苦しい姿を晒してくれた。

 自分たちを脅すためか、わざわざ生首で現れ、挙句は黄泉姫に弄ばれていた。

 

 あれが『花窟はなのいわ』の王と王后を捕えている者の姿なのか?

 二つの世界を闇に捕えている怨霊なのか?

 余りに卑小すぎる――。



「……御神木と一体化した怨霊が、ひとつとは限らないのかも。数え切れない人々が亡くなったから……」

 和樹は、答えをはぐらかす。

「玉花の姫君も分裂してるし。蓬莱さん、黄泉姫、僕の父たちを匿ってる尼姫……」


「そうだったな……」

 一戸は、再び歩を進める。

「どうせ、神逅椰かぐやだって復活するだろう。あの生首なんて、奴の遊びに過ぎない」


「……うん」

 和樹も同意する。

 そして――ふと思った。

 黄泉姫が、また現世に来てくれないかと。

 彼女は、自分たちが求める情報を持っている筈だ。

 『宵の王』について、明快に語って欲しい。

 敵の能力が分かれば、戦いは有利に動くだろう。

 少しでも、生き延びる確率を上げたい。


 ただ、不安は大きく払拭された。

 父の魂は無事であり、久住さんも黄泉姫が匿っている。

 黄泉姫は気まぐれだが、久住さんや村崎さんの御両親を傷付けたりしないと確信を持てた。

 人質扱いせず、親切心から守ってくれているのだろう。

 それが救いであり、大きな収穫だ。



「おい、暑いから早く行こう」

 一戸は足を速める。

 最後の力を振り絞るように、太陽が顔を出した。

 木々の影が濃さを増し、額に汗が浮かぶ。


 方丈邸まで、あと少し。

 スズメたちの鳴き声が響き、二人はその下を潜り抜けた。

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