第113話

「……そろそろ刻限か。此方こちは邸に戻る」

 黄泉姫は首を傾げて笑い、少し乱れた長い髪を払う。

此方こちの長居が過ぎると、『月窮げっきゅう』の身に障るのでな」


御方おんかたさま……ありがとうございます」

 一戸は納刀し、礼儀正しく片膝を付いて深く礼ををする。

 彼女の行動には翻弄させられたが、戦う術を与えてくれたことには深く感謝する。

 国の至宝であった『宿曜すくようの太刀』を預かるには、未熟な身だ。

 だが、最後の闘いには、おおいなる助けとなろう。

 一戸は、改めて覚悟を決める。


 和樹も彼に倣い、同じ姿勢で頭を下げる。

 自分――神名月かみなづきは、玉花ぎょくかの姫君とその父王より『白鳥しろとりの太刀』を授けられた。

 今、玉花ぎょくかの姫君の分身とも言える黄泉姫から、一戸が秘太刀を授かった。

 二つの国の二振りの至宝の太刀が、自分たちの手にある。

 これは、二つの国の全ての命の『願い』を託されたに等しい。

 

 ここに降りて最初に出会った犬の家族、道端で動かぬ人々の影――。

 彼らの失った意思を取り戻し、彷徨う魂をすくい取らねばならない。

 いつか――人も動物も植物も蘇ると信じて。



「あの……奥方さま……」

 月城に寄り添っていた雨月うげつが、小声で問う。

「我らは……どうすれば宜しいのでしょう……」


 振り向くと――たち四人は、子供のように身を寄せ合っている。

 生首が消えた時、彼らは自分たちの消滅も覚悟したが――それは免れた。

 だが、存命が続くか否か――不安は残る。

 

「案ずるな。間もなく、迎えの牛車が来よう。お前たちは、それに乗って蓬莱の尼の邸に行け。この騒乱が治まれば、畑でも耕せ。砂糖とやらを作れるやも知れぬぞ」


 黄泉姫の冗談交じりの言葉だったか――たちへの処遇に、和樹は驚愕した。

 蓬莱の尼姫は、玉花ぎょくかの姫君の分身でもあり、父の魂を匿ってくれている御方だ。

 自然と身構え、顔を上げて訊ねる。


「奥方さま、蓬莱の尼君さまは……」

「ああ、其方そちの父が、尼の邸に居たのだったな」


 黄泉姫は、懐から蝙蝠かわほり扇を出し、開いて口元を覆った。

「気に入らぬ尼だが、あの邸はこの王都で最も強固な砦である。白織しらほり月窮げっきゅうの親御たちも其処に移したいが、生身の者には相応しからぬ場所だ。三夜も過ごせば、命を削られるであろう。今少し、此方こちの寝殿で過ごさせるしかあるまい? 此方こちとて、容易たやすく動けぬのだからな」

 

 そして、四人の偽りたちを眺め――小馬鹿にしたようにケラケラと笑う。

「そやつらクソ虫のような雑魚が動こうが、あの御方は気にもまぬがな」


「あの御方……?」

 一戸も顔を上げる。

「それは、神逅椰かぐやのことではないのですね!?」


 黄泉姫の生首に対する態度を見ると、『あの御方』は彼とは別の存在であると推察された。

 神逅椰かぐやが最後の敵だと思い込んでいたが、それより上位の存在が居るのか――?


 和樹も生唾を呑み、方丈老人の背を見つめた。

 今まで同行してくれたこのおきなは、そんなことを一度も口にしていない。

 このおきなが、それを知らない筈が無い。



「『宵の王』……『宝蓮宮ほうれんのみや』の御神木と一体化した怨霊よ。そやつが、この闇の世界を統べし者……」

 黄泉姫は、瞼を浅く閉じる。

 妖し気ながらも、深い洞察に満ちた表情だ。

「……では、此方こちは戻る。如月きさらぎたちの傷は、月窮げっきゅうに任せよ。それでも、直ぐには動けまいが」



 そして彼女は深く瞼を閉じ――その身が揺れた。

 フランチェスカが直ぐに駆け寄り、彼女を支える。

 半歩遅れて和樹と一戸も動き、蓬莱さんを座らせた。

 蓬莱さんは荒く呼吸し、胸を手で押さえ――瞼をゆっくり開ける。

 

「お姫さま、大丈夫ですか!?」

 フランチェスカは半泣きで、主の手を握る。

 蓬莱さんは大丈夫と答え、倒れている月城とうずくのる上野を肩越しに見る。


「二人を治さないと……美名月みなづき、私をあそこに!」

「はい!」

 よろける蓬莱さんを三人は立たせ、上野たちの所に連れて行く。

 頼れるのは、彼女の治癒能力だ。

 

 最も重篤な月城の頭を膝に乗せ、右手を彼の額に翳す。

 左手で上野の手を握ろうとしたが、上野は拒否した。


「俺はいい……神名月かみなづきの上衣を一枚だけ貸してくれ……」

「……分かった……」


 和樹が銀糸織りの上衣を肩に掛けてやると、上野はそれに包まった。

 癒し効果で、痛みが退いているのだろうか。

 険しかった表情が緩み――荒い呼吸も落ち着いて行く。

 そこに、太郎丸とチロが近付いて来た。

 太郎丸は、お面を咥えている。


「……忘れてた……オレの顔面……!」

 上野は覚束ない手つきながらお面を取り、自分のを眺めた。

 は、バツが悪そうにそっぽを向く。

 上野は、何とも言えぬ表情で――お面の鼻を突いた。

 木彫りのように弾力は無く、本人そのままの顔立ちの面である。

 

「これさ、さっきはオレの顔にくっ付かなかったよな……?」

「ひょっとしてだけど……」

 和樹はふと思い付き――お面を眺めた。

「顔面を取られたのは、僕の家の浴槽から沸いた水に触れられて…だよね。そして、ほっちゃれ先輩のニセ者も居た筈だけど……」


水影月みかげづき様のニセ者の仕業か!」

 一戸が語気を強めた。

 忘れていたが、偽の『八十八紀の四将』が一人残っていた。

 そして彼女は、『水の術』の使い手だ。

 風呂から湧いて出た水が、彼女の能力と関係している可能性が高い。



「御前さまは……どこに居る?」

 雨月うげつが、神名月かみなづきに訊いた。

 神名月かみなづきは、水影みかげ御前と現世うつしよに行ったこともあったから。

 けれど、神名月かみなづきは首を振る。


「知らないよ。ずっと会ってないし……白織しらほりちゃん……」

 未練いっぱいに呟き、肩をガクリと落とす。

 その様子を眺めた和樹は、彼への遺恨を流そうと努める。


 久住さんを拉致したことは、簡単には許せない。

 しかし彼も造られた存在で……遣り方が間違っていたとは云え、久住さんを本気で好きだったのだ。

 彼が必死で、月城と上野を介抱する姿を思い浮かべると、恨むことは出来ない。

 ただ、『人の道』を学ぶ機会が無かっただけなのだ。

 雨月うげつの影響か――他者を助けることを知り、それを実行してくれた。



「……もう、帰った方が良かろうて」

 方丈老人が呟いた。

水葉月みずはづきは、現世の我が家に連れて行く。ここまで治癒すれば、後は現世でも治せる」


「……お願いします」

 一戸は深々と頭を下げた。

 傷は未だ深いが、方丈氏がそう断言するのなら信頼するのみだ。

 月城の肩の斬り傷は痛々しく生々しいが――彼には、人ならぬ治癒能力があるのかも知れない。



「……あれ……牛車だよ」

 フランチェスカが指差した方を見ると、淡い光に包まれた牛車が近付いて来た。

 牛を先導するのは牛飼い童一人のみで、薄緑色の童水干姿で、獅子を思わせる面を付けている。

 

 童は一同の手前で牛を止め、闊達に挨拶をした。

「尼姫さまの使いの小君こぎみと申します。お迎えに上がりました」


「……御足労じゃったの。そやつらを頼む」

 方丈老人は、たちに錫杖を振る。

「お主ら。家来なんぞ居ないから、勝手に乗れ」


「はい……では、おいとまいたします」

 雨月うげつは、他の三人を促す。

 彼の愛馬の黒炎は消え、太郎丸も如月きさらぎの肩に飛び乗った。


 彼らは何度も振り返り、牛の牽く網代車あじろぐるまに乗り込んだ。

 牛車が進み出すと後ろの御簾みすを上げ、名残惜しそうにこちらを覗く。

 チロが吠え、太郎丸も呼応するように吠えた。


 和樹は「あの牛飼い童は、父の傍に居る子ではないか」と思ったが、それを口にすることは憚られた。

 それを訊ねたら、泣いてしまいそうだったから。

 

 そう――父に会いたい。

 牛車に付いて行きたい。

 出来るなら、自分のに伝言を託したかった。

 僕も母さんも元気だ、と。


 けれど、誰もが傷付いている――。

 自分だけが甘えることは出来ない。



「……気にしなくて良かったのに」

 一戸が横に来て呟いた。

 その両手には、『白峯丸しろみねまる』だった物の亡骸が握られている。


「大丈夫だよ……」

 和樹は返答し、遠ざかる牛車を見送る。

 後ろの御簾が閉じられ、その姿は闇に馴染み――消えた。


 蓬莱さんが、帰りましょうと囁いた。

 周囲に水が溢れ、全員がたちまち呑み込まれる。

 見上げると、金色の月が輝いていた。

 それは陽炎のように揺れ、溶けるように消えた。

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