第113話
「……そろそろ刻限か。
黄泉姫は首を傾げて笑い、少し乱れた長い髪を払う。
「
「
一戸は納刀し、礼儀正しく片膝を付いて深く礼ををする。
彼女の行動には翻弄させられたが、戦う術を与えてくれたことには深く感謝する。
国の至宝であった『
だが、最後の闘いには、おおいなる助けとなろう。
一戸は、改めて覚悟を決める。
和樹も彼に倣い、同じ姿勢で頭を下げる。
自分――
今、
二つの国の二振りの至宝の太刀が、自分たちの手にある。
これは、二つの国の全ての命の『願い』を託されたに等しい。
ここに降りて最初に出会った犬の家族、道端で動かぬ人々の影――。
彼らの失った意思を取り戻し、彷徨う魂をすくい取らねばならない。
いつか――人も動物も植物も蘇ると信じて。
「あの……奥方さま……」
月城に寄り添っていた
「我らは……どうすれば宜しいのでしょう……」
振り向くと――偽りたち四人は、子供のように身を寄せ合っている。
生首が消えた時、彼らは自分たちの消滅も覚悟したが――それは免れた。
だが、存命が続くか否か――不安は残る。
「案ずるな。間もなく、迎えの牛車が来よう。お前たちは、それに乗って蓬莱の尼の邸に行け。この騒乱が治まれば、畑でも耕せ。砂糖とやらを作れるやも知れぬぞ」
黄泉姫の冗談交じりの言葉だったか――偽りたちへの処遇に、和樹は驚愕した。
蓬莱の尼姫は、
自然と身構え、顔を上げて訊ねる。
「奥方さま、蓬莱の尼君さまは……」
「ああ、
黄泉姫は、懐から
「気に入らぬ尼だが、あの邸はこの王都で最も強固な砦である。
そして、四人の偽りたちを眺め――小馬鹿にしたようにケラケラと笑う。
「そやつらクソ虫のような雑魚が動こうが、あの御方は気にも
「あの御方……?」
一戸も顔を上げる。
「それは、
黄泉姫の生首に対する態度を見ると、『あの御方』は彼とは別の存在であると推察された。
和樹も生唾を呑み、方丈老人の背を見つめた。
今まで同行してくれたこの
この
「『宵の王』……『
黄泉姫は、瞼を浅く閉じる。
妖し気ながらも、深い洞察に満ちた表情だ。
「……では、
そして彼女は深く瞼を閉じ――その身が揺れた。
フランチェスカが直ぐに駆け寄り、彼女を支える。
半歩遅れて和樹と一戸も動き、蓬莱さんを座らせた。
蓬莱さんは荒く呼吸し、胸を手で押さえ――瞼をゆっくり開ける。
「お姫さま、大丈夫ですか!?」
フランチェスカは半泣きで、主の手を握る。
蓬莱さんは大丈夫と答え、倒れている月城と
「二人を治さないと……
「はい!」
よろける蓬莱さんを三人は立たせ、上野たちの所に連れて行く。
頼れるのは、彼女の治癒能力だ。
最も重篤な月城の頭を膝に乗せ、右手を彼の額に翳す。
左手で上野の手を握ろうとしたが、上野は拒否した。
「俺はいい……
「……分かった……」
和樹が銀糸織りの上衣を肩に掛けてやると、上野はそれに包まった。
癒し効果で、痛みが退いているのだろうか。
険しかった表情が緩み――荒い呼吸も落ち着いて行く。
そこに、太郎丸とチロが近付いて来た。
太郎丸は、お面を咥えている。
「……忘れてた……オレの顔面……!」
上野は覚束ない手つきながらお面を取り、自分の偽りを眺めた。
偽りは、バツが悪そうにそっぽを向く。
上野は、何とも言えぬ表情で――お面の鼻を突いた。
木彫りのように弾力は無く、本人そのままの顔立ちの面である。
「これさ、さっきはオレの顔にくっ付かなかったよな……?」
「ひょっとしてだけど……」
和樹はふと思い付き――お面を眺めた。
「顔面を取られたのは、僕の家の浴槽から沸いた水に触れられて…だよね。そして、ほっちゃれ先輩のニセ者も居た筈だけど……」
「
一戸が語気を強めた。
忘れていたが、偽の『八十八紀の四将』が一人残っていた。
そして彼女は、『水の術』の使い手だ。
風呂から湧いて出た水が、彼女の能力と関係している可能性が高い。
「御前さまは……どこに居る?」
けれど、
「知らないよ。ずっと会ってないし……
未練いっぱいに呟き、肩をガクリと落とす。
その様子を眺めた和樹は、彼への遺恨を流そうと努める。
久住さんを拉致したことは、簡単には許せない。
しかし彼も造られた存在で……遣り方が間違っていたとは云え、久住さんを本気で好きだったのだ。
彼が必死で、月城と上野を介抱する姿を思い浮かべると、恨むことは出来ない。
ただ、『人の道』を学ぶ機会が無かっただけなのだ。
「……もう、帰った方が良かろうて」
方丈老人が呟いた。
「
「……お願いします」
一戸は深々と頭を下げた。
傷は未だ深いが、方丈氏がそう断言するのなら信頼するのみだ。
月城の肩の斬り傷は痛々しく生々しいが――彼には、人ならぬ治癒能力があるのかも知れない。
「……あれ……牛車だよ」
フランチェスカが指差した方を見ると、淡い光に包まれた牛車が近付いて来た。
牛を先導するのは牛飼い童一人のみで、薄緑色の童水干姿で、獅子を思わせる面を付けている。
童は一同の手前で牛を止め、闊達に挨拶をした。
「尼姫さまの使いの
「……御足労じゃったの。そやつらを頼む」
方丈老人は、偽りたちに錫杖を振る。
「お主ら。家来なんぞ居ないから、勝手に乗れ」
「はい……では、お
彼の愛馬の黒炎は消え、太郎丸も
彼らは何度も振り返り、牛の牽く
牛車が進み出すと後ろの
チロが吠え、太郎丸も呼応するように吠えた。
和樹は「あの牛飼い童は、父の傍に居る子ではないか」と思ったが、それを口にすることは憚られた。
それを訊ねたら、泣いてしまいそうだったから。
そう――父に会いたい。
牛車に付いて行きたい。
出来るなら、自分の偽りに伝言を託したかった。
僕も母さんも元気だ、と。
けれど、誰もが傷付いている――。
自分だけが甘えることは出来ない。
「……気にしなくて良かったのに」
一戸が横に来て呟いた。
その両手には、『
「大丈夫だよ……」
和樹は返答し、遠ざかる牛車を見送る。
後ろの御簾が閉じられ、その姿は闇に馴染み――消えた。
蓬莱さんが、帰りましょうと囁いた。
周囲に水が溢れ、全員がたちまち呑み込まれる。
見上げると、金色の月が輝いていた。
それは陽炎のように揺れ、溶けるように消えた。
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