続・第18章 真なるもの、虚無なる者

第112話

 『落葉らくよう』は、暮れ行く秋を惜しんで調香する習わしだった。

 遠き過去――処刑を覚悟した雨月うげつたちも、狩衣に『落葉らくよう』を焚きしめた。

 『近衛府の四将』として、誇り高く命を終えるべく。

 羽月うげつの僧正も――滅せられるために闘いに臨んだのだ。

 操られた身ながら、最後の希望を自分たちに託したのだ。

 


「うあああぁぁぁぁん」

 慟哭が声が響き――見やると、フランチェスカと水葉月みずはづきが顔をにしている。

 他の者たちも、俯いて鼻を啜っている。

 チロと太郎丸も、俯いてクンクンと鳴いている。

 少なからぬ者たちが高潔なる先達を惜しみ、涙で見送ってくれる。

 それは尊い救いだ。


 哀悼が闇を包む中――「ぐぐおっ」と不快な唸りが轟く。

 生首が目を剥き、口に詰め込まれた草鞋わらじを押し出そうとしているのだ。



「ほほっ。見苦しゅうございますよ、殿」

 黄泉姫は、生首の乱れ髪を整えてやる。

 悪鬼を思わせる表情が露わになり、雨月うげつですら視線を逸らす。

 かつての美々しい神鞍月かぐらづきの大将の面影は、一粒も残っていない。



「猫よ。如月きさらぎが腰紐に挟んでおる霊符を三枚持て参れ」

 黄泉姫はと命じ、フランチェスカは渋々と従う。

 命じている相手は、主君の体に入り込んだ別人格だ。

 好感は持てないが、敵対している訳でも無い微妙な距離がある。

 

「あの……借りるね」

 横たわる如月きさらぎのベルトから霊符を取り、神妙に黄泉姫に差し出す。

 すると――黄泉姫は笑顔で、生首の前で細長い霊符をヒラヒラと揺らして見せた。

 霊符に触れて平気な所を見ると、邪悪なる存在でも無いのだろうが――


「ほっほっほっ。これをこうして、ぺったんこ~☆」

「ぐががげげごぉっ!!」


 額に霊符を貼り付けられ、生首は苦悶に翻筋斗もんどり打った。

 焼ける臭いと薄煙が上がり、生首の髪が逆立つが――息絶えはしない。

 耳を塞ぎたくなるような、詰まった悲鳴を上げ続ける。


「ほう、これでは足りぬか。では、ぺったんこ~☆ぺったんこ~☆」

「ぐごっぼげええっ!」


 ――左右の頬にも霊符を貼り付けられた生首の表情は、筆舌に尽くし難い。

 だが黄泉姫は満面の笑みを浮かべており、たちは怖気づいて尻餅を付く。

 御簾みす越しではあるが、この夫婦の御座所に居合わせたことがある。

 会話は聞かなかったが、特に不穏な気配は無かった。

 だが今は――妻には『憎』とも『嘲』とも付かぬ『異形の念』が渦巻いている。




「クソが……!」

 

 ――昏倒していた如月きさらぎが掠れ声を発し、震える身を返した。

 衣類は血で染まり、息も荒い。

 出血が止まったとは云え、切り裂かれたシャツの下から生々しい傷跡が覗く。

 神名月かみなづきは、彼に駆け寄った。


「動くな! 現世の体の生死に関わるぞ!」

「知ってるよ! 何度も死んでるからな!」


 その顔は、怨嗟に歪んでいる。

 神名月かみなづきは押し留めることが出来ずに、差し伸べた手を引いた。

 彼の血走った瞳は「お前に何が解る」と語っている。

 尊敬していた兄が豹変し、二つの美しい国を闇に沈めた。

 その中には、彼の父母や祖父母も含まれている。

 近衛府の仲間たちも、後輩たちも――


 彼から滲み出る自責と憎悪は、神名月かみなづきさえも縛め、動きを封じた。

 

 如月きさらぎは血を吐く息遣いで、事切れかけた蟻のように這い――落ちていた刀に手を伸ばす。

 水葉月みずはづきが持ち込んだ、柄に霊府を貼った『浄霊刀』だ。

 ベルトに挟んでいる霊府は残っているが、それは意中に入らない。

 怒りに駆られ、裏切り者を斬り裂くべく――刀を取ろうとする。




「……どうしたんだよ……アラーシュ……」

 弱々しい声が、暗い重い闇を大きく揺さぶった。

「……そんな恐い顔するなよ……いや……俺のせいだよな……」

 

 宙に掲げた如月きさらぎの手が止まる。

 地に打ち付けられた影の如く静止し、慄くように首を後ろに動かす。

 天を見上げて伏している水葉月みずはづきの瞼は落ちているが、白い唇は僅かに動いていた。

「……アラーシユ……ここに来て……笑ってくれないかな……」


 彼は力尽きたように唇を閉じたが……雨月のいつわりは、冷たい額を撫で、まだ息があることを口を開けて示した。



「……ごめん……ごめん…!」

 堰が崩れたように、上野は大粒の涙を零す。

 刀に伸ばした手が落ち、向きを変え、永き友情を誓った友に這い寄る。

 残りの二人も、傷付いた二人を支えた。

 仲間の傷を手で温め、ゆっくり呼び掛ける。

 幼い頃――修練で疲労した身を温め合ったように。

 あの時の温もりは、懐かしい心震える記憶だ――。

 

  



「いつになっても、手間の掛かる童子どもよ……」

 寄り添う和樹たちを眺めていた方丈老人は、白炎からと飛び降りた。

 もう片方の草鞋わらじも脱ぎ、黄泉姫の元に断つ。


「その哀れな妄執鬼を、預けてくれませぬか?」

「こんな者で良ければ。ほっほっほ」


 黄泉姫は、生首を置いていた大袿おおうちきと払った。

 生首を馬の足元に転げ落ち、足掻いて左右に揺れる。

 老人は仰向けの生首の額に草鞋わらじを置き、錫杖で突くと――生首は断末魔の唸りを上げ、黒塵と化した。


 それを横目で見ていた一戸と和樹は、ほうっと肩の力を抜く。

 二人の陰に居た上野には見えなかっただろうが――断末魔が消えた時に、彼が固く目を閉じたのを見た。

 


「……これは『影』に過ぎぬ。お主らの手を煩わせるまでも無い。お主らには、暫しの休息が必要であろう」

 老人は再び黄泉姫を見上げ、恭しく訊ねる。

「黄泉の奥方よ、頼みがある。『宿曜すくようの太刀』のことであるが」


「言われるまでも無い。此方こちもお主と同じ考えよ。猫よ、そこにある『宿曜すくよう』と折れた薙刀を此処に」


「えっ!? あたしが触って良いんですか?」

 フランチェスカは戸惑うが、黄泉姫はフッと微笑んで一蹴する。

此方こちは月帝の世継ぎの公主ぞ? 月帝が不在にして、『宿曜すくよう』を託された剣士が亡き今は、此方こちが『宿曜すくよう』の主である。主が命じているのだぞ?」


「は、はいっ!」

 フランチェスカは、命令に従う。

 『宿曜すくようの太刀』を鞘に納め、『白峯丸しろみねまる』と共に左右の腕で抱え、よたよた歩く。

 両方ともかなりの重さで、非力とは言い難いフランチェスカでも運ぶのに難儀する得物だ。


 二つの得物が黒炎の足元に置かれると、フランチェスカは畏まって背後に下がる。

 黄泉姫は自ら馬から滑り降り、『白峯丸しろみねまる』に手を翳した。

 すると、折れた『白峯丸しろみねまる』から金色の光が湧きでた。

 数百年の間に蓄積された、主の『想い』だろうか。

 主が命を預けた薙刀の『力』は失せていなかった。

 その『力』は胎児に似た形となり、黄泉姫の胸元で脈動する。


 黄泉姫は。威厳に満ちた声音で告げた。

雨月うげつの大将。『宿曜すくようの太刀』を其方そちに託す」

「……公主さま……」


 一連の事態を見守っていた雨月うげつであるが、それでも信じられない風情だ。

 黄泉姫の思惑が読めぬ上に、自分が『国の至宝』を預かるに値するとは思えないからだ。

 だが、黄泉姫は唇を曲げて言い捨てる。


「ふん、青グソ大将が。此方こちの勅命が聞こえぬか。さっさと『宿曜すくよう』を持て」

「は……はい! 承り申し上げます!」

 

 一戸は狼狽うろたえつつ進みで、片膝を付いて『宿曜すくようの太刀』を拾い上げる。

 ずしりと重いが、まるで他の手にも支えられているような奇妙な感覚がある。


「……羽月うづき様……」

 思わず呼び掛けると……光の胎児は螺旋に姿を変え、『宿曜すくよう』に巻き付いた。

 たちまち黒き鞘には金色の紋様が浮かび、太刀柄たちづかに巻かれた糸も艶やかな金色に変容する。

 たった今に巻かれたような、染み一片も見当たらない美しい金色だ。

 それは新たな命を奏でるように輝く。

 


其方そちのために生まれ変わった『宿曜すくよう』である。抜いて見よ」

「はい…!」


 黄泉姫に促され、立ち上がった雨月うげつは抜刀する。

 白銀に輝く刃が現れ、一面を照らした。

 それは眩しくも暗くも無く、望月のように優しく闇を照らした。

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