第111話

「我は、タウレリ士族のセオ。タウレリ・セイラン・セシャ・ルオトなる、アマの舟を守りし仙禽せんきんである」


 微塵も臆さぬ堂々たる名乗りを聞いた神名月かみなづきは、立つ距離を測る。

 雨月うげつとの距離は、五尺程度(150cm余り)。

 羽月うづきの僧正は、八尺余り前にいる。


 敵は間違いなく、雨月うげつの首を狙うであろう。

 敵の総大将との闘いは、一対一で行うのが礼儀である。

 本名を明かし、斬り合い、相手の首を獲りし時が戦の終わりだ。

 そうした勝利こそが、最大の名誉とされた時代もあった。

 剣士を目指す近衛童子たちは、繰り返し古き儀礼を教わった。

 それが、この期に及んで役立つこととなった。


 

(敵の動きを予測するのみ!)

 瞼を深く閉じ、心を研ぎ澄ます。

 

 『宿曜すくようの太刀』を持つ敵は、目では捉えられない。

 離れていた水葉月みずはづき如月きさらぎも一瞬で昏倒した。

 だが首を撥ねられなかった。

 

 『宿曜すくようの太刀』は、間違いなく一騎打ちのための太刀だ。

 総大将が自ら本名を名乗り、相手の首を狙うための太刀だ。

 相手の本名を知らねば、即死させられぬ不可思議な太刀に違いない。


 敵は、立っている雨月うげつの首を斬り離そうとする。

 そのためには、太刀を水平に振る。

 水平に近い角度で振る。

 刃先より少し下の、もっとも鋭利な部分で斬る。


(『白鳥しろとり』を盾にする!』)

 

 神名月かみなづきは瞬時に判断し、身を伏せた。

 この体勢から横に移動し、力を込めて太刀を垂直に上げるのは容易では無い。

 力の入れづらい体勢であり。雨月うげつの首を目掛けて振られる大太刀を止められるか分からない。

 

 だが、ためらう隙など無い。

 雨月うげつは自分を信頼し、囮となって本名を名乗った。

 自分が敵の太刀筋を読み、防ぐことを信じて。


 勝負は一瞬だ。

 反撃の隙も。



 闇の中――殺気を読み、『白鳥しろとり』に託す。

 先達たちが使い込んだ太刀。

 花の国を護ってきた霊刀。

 今、二つの国のために――。



 祈りが突き抜け、身が動く。

 敵は見えない。

 だが、雨月うげつが『白峯丸しろみねまる』の柄を両手で垂直に持ち上げたのが分かった。


 

 雨月うげつには見えている!

 敵と『宿曜すくよう』の太刀筋が見えているのだ!

 神名月かみなづきは確信した。

 やはり、名乗れば『宿曜すくよう』のあるじを目視できるのだ、と。

 だか『白峯丸しろみねまる』は、おそらく『宿曜すくよう』を防ぎきれない。


 

「俺が防ぐ!」

 神名月かみなづきは叫んだ。

 烏帽子をぎ取り、雨月うげつの手前に左膝を付いて着地する。

 立てた右膝の上に太刀を構えた右肘を付く。

 曲げた右足を軸にして右肘を引き、深く捻じって縮めた上半身を思い切り伸ばし、『白鳥しろとり』を突き上げた。

 

 白刃が記憶を貫き、白き衣の少女が浮かぶ。

 それは、あの日の『瑠璃子姫』だ。

 白き衣の少女は後に妻となり、『白鳥しろとり』を託された。



 無垢なる白と黒銀が、イカヅチの如く舞う。

 霊刀が激突し、魂を弾くが如き振動が踊騒はためく。


 

 突き上げた『白鳥しろとり』の切っ先が、雨月うげつの左頬を縦に裂いた。

 幾許かの血が『白鳥しろとり』と神名月かみなづきに滴る。

 弾き返した『宿曜すくよう』の残像を睨みつつ、名乗った。

 

 

「我が名を聴け! 我は、ヤクトラ・アルシエル・アトル・ラニシャなる、神る月より飛び立った白鵠びゃっこうである…!」




 瞼を上げると、目前に羽月うづきの僧正が出現した。

 『宿曜すくよう』の鈍い銀刃が、左奥に見える。

 素早く身を起こし、『白鳥しろとり』を左脇に引き、身を捻る。

 狙ったのは胴である。


 ――首を撥ねることは出来なかった。

 それが古き儀礼だとしても、四肢を断たれて身罷みまかられた御方の体を無用に傷付けられない。


 

 神名月かみなづきの内に、在りし日が浮かぶ。

 浅き春、鶯時祭おうじさいでの凛々しい御姿。

 『八十七紀の四将』は誇りと美しさに満ちていた。

 誰もが、永き安寧の日々を信じていた。

 しかし全ては失われ、深き宵に封じられた。

 それを終焉に導くために、自分たちは転生を繰り返している。

 今度こそ――

 今こそ――

 

 

 白き刃が僧正の右腹に食い込むと、奇妙な手応えがあった。

 重いが、肉を断った感触とは異なる。

 それは、泥を貫いた如し。

 されど『白鳥しろとり』は、黒き泥を物ともせず裂き貫く。


 

 闇より、青白い体が浮かび上がる。

 後方で介抱に当たっていた者たちも息を呑む。

 彼らの瞳が捉えた姿は痛々しくも――その表情は慈悲に満ちていた。

 


「……弟たちよ……見事であった……」

 羽月うづきの僧正は、『宿曜すくようの太刀』を落とし――脇腹を押さえて膝を付く。

 裂かれた脇腹からは、うごめく膿の如き黒い塊が飛び出ている。



羽月うづき様!」

 神名月かみなづきは『白鳥しろとりの太刀』を置き、駆け寄る。

 雨月うげつも後ろの様子を気にしながらも、偉大な先達を支える。

 

 後ろに控えるフランチェスカは――涙を零しながらも、両手で円を作って見せた。

 斬られた二人が危険を脱したのだろう。

 神名月かみなづきが脱いだ衣が出血を止め、傷を塞いだのだろう。


 神名月かみなづき雨月うげつも安堵したが……この現状を受け入れられない。

 敬愛していた先達を斬り、再び見送らねばならないとは――。



羽月うづき様……お赦しを…!」

 雨月うげつは陣羽織を脱ぎ、冷たい肩に掛けて差し上げる。

 僧正が正気を取り戻していることは、その言葉から明白だ。

 だが、神逅椰かぐやの呪縛で逆らえなかったのだろう。

 我が身の最期を委ねるために、闘いを挑まざるを得なかったことは想像が付く。

 それは余りに痛ましい……。


「すまぬ……水葉月みずはづき如月きさらぎを傷付けてしまった……」

「……羽月うづき様に罪はありません!」

 神名月かみなづきは震える手で、軽くなっていく身を支える。

 傷口から溢れる黒い塊は地に吸い込まれ、それと共に羽月うづきの僧正の重さは失われていく。

 

 雨月うげつも唇を噛み締める。

 遠いあの日も――神名月かみなづきと二人、羽月うづきの中将を支えた。

 皆で羽月うづきの中将と八十八紀の四将を見送ったのに――全員が邪悪な力で復活させられた。

 惨すぎる結果に、瞼が濡れる。



「そんな顔をしてくれるな。火名月ひなづきたちも解放され、君たちに感謝しているだろう」

 羽月うづきの僧正は、優しく微笑んだ。

 それは、二人が知る微笑みそのままだった。


「君たちに支えられて逝くのは悪くない……敵の息の根が止まらぬうちに、得物を捨てるなと教わった筈だが、それも良かろう……」

 彼は、黒炎の背に座る黄泉姫と――その膝の上の、かつての友を見上げた。

 その瞳には、憐れみとも哀しみとも付かぬ光を宿している。


「判っておろうが……あの首も、影のひとつに過ぎぬ。彼を救えとは言わぬ……闇に呑まれた二つの国を……君らに託す」


 僧正は、瞼を閉じた。

 傷口から沸く黒いうみも出尽くしたのか――黒い雫だけが流れ出る。

 

 それも途切れ――その身は幻のように薄れ、宙に掻き消えた。

 衣類も数珠も残らず――

 ただ、あえかな香りのみが漂う。

 それは、法衣に焚き染めていた『落葉らくよう』の香りだった――。

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