第110話

 鮮血を撒き散らしながら昏倒した如月きさらぎを、二人は視界の隅で捉える。

 幸い、切断された部位は無いようだ。

 出血は酷いが、息は在る。

 だがこの状態が続くと、上野本人も死に至る。


 

 背後から、フランチェスカたちが駆け寄って来た。

「早く、後ろに下げて!」

 彼女の指示で、たちが如月きさらぎの体を背後に移動させる。

 

 彼らには、感謝の一言しかない。

 神逅椰かぐやの邪念から生み出されたが、根底には『心』が存在した。

 彼らが目覚めた切っ掛けが、雨月うげつが「死ね」と命ぜられたこと。

 それが彼に自我を与え、仲間たちを改心させたとは皮肉なものだ。



 雨月うげつ神名月かみなづきは一瞬だけ頬を緩めたが、すぐに引き締める。

 どうにかして、羽月うづきの僧正様を正気に戻せないか。

 そう考えるが、名案は浮かばない。

 今まで闘った四将たちも、致命傷を与えて『心』が戻った。

 

(やはり、倒すしか無いのか!?)

(だが、どうやって!?)


 阿吽の呼吸で、無言のうちに互いの考えを読み取る。

 『如月きさらぎの中将』は「俺の首を落とせよ。だが……無理だよな」と言った。


 間違いなく、彼は『宿曜すくようの太刀』の能力に気付いた。

 彼の行動と言葉に、鍵がある筈だ。

 二人は、千切れんばかりに頭脳を回転させる。

 

 ――俺の首を落とせよ。

 ――教えてやるよ。こいつらも知らない俺の本名をな。




 彼の言葉が三度繰り返され、四度目に突入しかけた時――二人の意識は、落ちた。

 何かに引きずり込まれたように、鈍色の穴に吞み込まれる。

 だがすぐに、穴の奥に灯りが視えた。

 それは、仄暗くも暖かかった。


 そこは、近衛府の武徳殿ぶとくでんだった。

 修練中の幼い雨月うげつたちが過ごした殿舎だ。

 セオ・アラーシュ・アトルシオ・リーオが寝食を共にした家だ。


 懐かしい匂いに酔い、その心地良さに瞼が下がる。

 懐かしい夢に、思わず手を伸ばす。

 

 伸ばした手の先にあるのは、使い込んだ筆だ。

 柄は黒ずみ、毛先は四方に開いている。

 けれど毛が抜けるまで使い込み、最後に供養して火にべる習わしだ。



「ほーら、こうやって円を書いて……」

 アラーシュが筆を取り、文机の上の『き返し紙(再生紙)』に、太い円を記す。

「……毛羽立って書きづらいなあ」


 貴族の彼は、質の悪い『き返し紙』がお気に召さないのだろう。

 だが、リーオは目を輝かせて見ている。

 紙も筆も、庶民には手の届かぬ貴重品だ。

 ましてや農民には不要な品でもあり、帝都に来るまでは見たことも無かった。


「それで、どうやるんだ?」

 向かいに座っていたアトルシオは、声を潜めて訊ねる。

 部屋を仕切る障子の向こうからも、童子たちの声が響く。

 術士見習いの童子たちが、今日教わった『宿曜すくよう星宮せいぐう占道せんどう』について話しているのだろう。

 

 夕げの後の自由時間だが、最近は誰もが軽い緊張感を持って過ごしている。

 他の組の童子たちは、競争相手でもあるのだ。

 二百人余りの童子から、『近衛府の四将』に選ばれるのは四人一組だけ。

 教わったことを仲間で共有し、将来のために吸収しなければならない。

 十歳に満たないアトルシオも、必死に図面を見つめる。



「リーオも書きなよ」

 アラーシュは筆を差し出すが、筆使いに自信の無いリーオは首を振るばかりだ。


「うん、とにかく円の中を区切るんだよ。二十八に分ける」

 アラーシュは、円を直線で分割していく。


「これで十六……あれえ?」

「……それを半分ずつにしたら、二十八より多くなるよ?」

「……線の引き方が違うんじゃないかな。導師様は、どうやっていた?」

「知らない。記した紙を吊るしただけだから」

 

 アトルシオとセオは円を覗き込み、リーオは困惑して背を縮める。

 言い出したアラーシュも、筆を宙に留めたまま気まずそうに仲間を見る。


「とっ、とにかく円の中を二十八に分けて、生まれた年や月、刻を割り当てる。そこから守護鳥を決めて、産まれた赤さんの命名をする。それが、一生の運命に結び付くんだって」


「『算術占道せんどう』は、アラーシュが書いた十六に分ければ済むのにな」

 セオは、一同を宥める。

 細長い算木を縦横に並べる計算方法や、田畑の広さを求める方法も教わっているが、さすがに円を二十八等分する方法は分からない。

 大学寮の試験に出そうな難問に思える。


 『き返し紙』も、ひと月に使える枚数は定められており、余分には使えない。

 四人は紙の上に算木を並べ、燈台の油が切れるまで、円を二十八等分する方法を試し続けた。

 いつしか『宿曜すくよう星宮せいぐう占道せんどう』のことは、頭から離れていた――。




 ――繋がった!!


 雨月うげつ神名月かみなづきは、同時に瞬きをする。

 言葉にせずとも、互いの意思が伝わる。

 何をすべきか、アラーシュが示唆してくれる。


 ――俺の首を落とせよ。

 ――教えてやるよ。こいつらも知らない俺の本名をな。

 ――守護鳥を決めて、産まれた赤さんの命名をする。

 ――それが、一生の運命に結び付く。



 

 

「我が名を示そう……」

 雨月うげつは、両腕で『白峯丸しろみねまる』を捧げ持つ。

 神名月かみなづきは、一音の欠片も逃すまいと耳をそばたてる。

 瞼を閉じ、敵の気配を全身で読む。


 勝負は一瞬だ。

 それを逃せば、友の首は跳ぶだろう。

 友は自分を信頼している。

 だから、自分は『白鳥しろとりの太刀』を信頼する。

 古の神、この柄を握った先達の剣士、半身とも云える『瑠璃子姫』。

 すべての力を受け止められるよう祈る。



「我は、タウレリ士族のセオ。タウレリ・セイラン・セシャ・ルオトなる、アマの舟を守りし仙禽せんきん(鸛)である」


 その声は、闇を払うが如く響く。

 何も恐れず、堂々と、麗々と。

 自らの命を説く。



 神名月かみなづきは、その一音が終わらぬうちに、霊刀が叫んだのを聴いた。

 どう動くべきかを知り、深き浅きに身を沈める。

 そこは黄泉にもあらず。

 出づる命は輝き、終焉の静寂が誘う。


 その中に脈打つは、黒銀の刃の声。

 その刃は、それを断つべく閃く。


 自らが纏う白き衣が視えた。

 白き長き袴、白き袿を重ねたるは我であり、瑠璃子姫である。

 黒銀の閃きは断たねばならぬ。


 

 断てる!


 

 ――白鳥が跳ね、舞った。

 羽根が黒銀の閃きを包み込んだ。




「あああああああっ!」

 フランチェスカが叫んだ。

 闇の中に、三つの影は集っていた。

 

 真っ二つに折れた『白峯丸しろみねまる』が地に落ちた。

 雨月うげつの首元で、黒刃が輝く。

 首を断つべく振られた太刀を受け止めたのは、『白鳥しろとりの太刀』である。


 雨月うげつと僧正の間に屈んで割り入った神名月かみなづきは、刃先を天に捧げた。

 下から突き上げた刃は雨月うげつの頬を浅く切り、血を滲ませた。

 されど、彼の命を護った。


 体勢を崩した雨月うげつは後ろに倒れ、神名月かみなづきは身を翻す。

 太刀を引き、名乗った。

 

「我が名を聴くが良い。我は、ヤクトラ・アルシエル・アトル・ラニシャなる、神る月より飛び立った白鵠びゃっこう(白鳥)である…!」



 月の形見たる『宿曜すくようの太刀』は、まことを知った敵の命を断つ刀剣である。

 逆に、まことを知った敵には太刀筋を見破られる『両刃の剣』なのだ。



「……弟たちよ……見事であった……」

 

 『宿曜すくようの太刀』が、音を立てて地に横たわる。

 羽月うづきの僧正は、腹を割って蠢く『闇の塊』を押さえつつ――膝を付いた。

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