第108話

「おーい、何が始まるんですかぁ~?」

 神逅椰かぐやの生首が、不快な声で囃し立てる。

「クソども、動くなよ。楽しそうな風流ふうりゅう(芝居)が始まりそうですよ~」


 しかし、その言葉は和樹の耳には入らない。

 ニセ雨月うげつが、仲間と共に消失する道を選んだことに衝撃を受け、狼狽するだけだ。

 

 ニセ神名月かみなづきは、大切な久住さんを拉致した。

 久住さんが拉致された直後は、敵としか見ていなかった。

 だが――ニセ雨月うげつの『心』を知った今は、彼らへの敵対心は消えた。

 彼らは呪詛の罠に掛けられ、利用されていたに過ぎなかった。

 しかも、その罠は自分たちを人質にしたに等しい。

 よもや自分が人質になるなど、考えてもみなかった。



「死にたくないよ……」

 ニセ神名月かみなづきは、顔をくしゃくしゃにして呟いた。

白織しらほりちゃんが好きなんだよ……お嫁さんにするんだ……」


「……我らは、呪詛に縛られている。宰相がいる限り、それは終わらない。本物たちが倒されたとしても、その呪詛は解かれることは無いだろう。白織しらほりの君を、そんな恐ろしい呪詛に巻き込みたいか?」

 彼は、友を抱き締めた。

「お前は良い奴だよ。アラーシュとリーオを連れて逃げて来たじゃないか」


 そして、立ち尽くす友たちにも語り掛ける。

「現世には、すごく美味しい食べ物がある。『砂糖』っている甘味の粉があって、それを豆に混ぜて作った『かい餅』は甘くて、幾つでも食べられる。この世界でも……いつかは『砂糖』を栽培できるかも知れない。その時は、みんなで食べよう」



「はぁ? とうとう狂ったかぁ?」

 生首は凄絶な目付きで、ゲラゲラ笑った。

「てめーらは、消えたら跡形も無くなるんだよ! 何も食えなくなるんだよ! 死ね死ね死ね!」


「黙れ! 我らの勝ちだ!」

 彼は怖じずに、誇り高く言い放つ。

「消されると言うことは、我らが己の意志を貫いた証だ! 我らは、貴様の土偶にあらず!」


 それを聞いた仲間の二人も……頷いた。

 ――この感情は何だろう。

 ――何も考えずに笑っていた頃の記憶が、引く波の如くに遠ざかる。

 ――代わりに寄せるのは、熱い涙だ。

 ――生きて、友を愛した実感だ。

 ――厚い雲が割れ、淡い月光の向こうに輝く空が見えた気がした。


白織しらほりちゃん……ごめん……ごめん……」

 号泣しながらも、彼は仲間の手を取った。

 太郎丸が寄って来て――馬の黒炎も彼らの傍らに出現した。


 死ぬのは怖い。

 けれど、醜い化け物の呪詛には屈しない。

 消えることだけが、意志を持って生まれたことの証なのだ。



「はっはっひゃ~、面白かった~! ほれ、死ぬ時間ですよ~!」

 生首は勢いよく息を吸い、唇を捻じ曲げた。

 発音するには、ありえない唇の形だ。

 その唇から発せられた言葉で、呪詛は成就する。


 

 が――

「ふぉげっ!?」

 生首は呻いた。

 思いっきり開いた口の中に、草鞋わらじが押し込まれたのだ。


「ほがががっ!???」

 喉元近くまで押し込まれ、呪詛が唱えられない。

 何事かと上を見ると、口をへの字に曲げたフランチェスカが立っている。

 

「……おじいちゃん、これでいい?」

 彼女が肩をすくめて言うと、向こうの馬上の老人は裸足の足をブラブラさせた。

 生首は、驚愕に目をみはる。


「すまんのう。わしは行儀が悪くてな。草鞋わらじが飛んでもうたわ」

 老人は、ふてぶてしく笑う。

「わざわざ、鞠に化けるとは御苦労であることよ。御託を並べる前に、ニセ者どもを消すべきであったな。我が娘は『ヒーローの変身中は、敵は攻撃しない』とか言っておったが、さもありなん。口を塞がれては、呪詛を唱えられぬな」



 思ってもみなかった逆転劇に、和樹たちは呆気にとられる。

 ニセ者たちに気を取られている隙に、生首に近付いたフランチェスカが、その口に草鞋わらじを突っ込んだらしい。

 生首は必死に我が身を振るが、風に揺れる提灯のように揺れるだけだ。

 配下となった羽月うづきの僧正も、突っ立ったまま微動だにしない。


 ニセ者たちも、おずおずと生首の惨めな姿を見やる。

 直衣を着込んだ美々しい神鞍月かぐらづきの面影は、そこには無い。

 生首の下劣な表情こそが、仕えていた男の本質なのだ――。



「……何と汚らしい声の河鹿かじか(カジカガエル)よ」

 愉快そうな、謡うような美しい女の声が響いた。

 瞬時に、その主を和樹は見抜く。

 一同も、その声の主を追う。


 女は、頭にかついでいた薄紅色の単衣ひとえを外した。

 真ん中で分けた艶やかな垂髪すいはつが露わになる。

 その表情に刺さった棘のようなあやは、蓬莱天音のものでは無い。


「黄泉姫……」

 和樹は思わず構えを解いた。

 蓬莱さんの中に、黄泉姫が出現したのだ。

 

 彼女の真意は知るべくも無いが、ニセ者たちは救われた。

 生首の口に草鞋わらじを押し込んだのも、黄泉姫の指図だろう。

 意外過ぎる救いの女神を、一同は半信半疑で眺める。



「この首が我が背(夫)とは、情けのうて笑いが止まらぬ。御身と共に、分別も失のうたか。ほっほっほっほっほっ」

 黄泉姫は生首に近寄り、袖で頬をペチペチと打つ。


「なぜ、僧正が突っ立っているか判らぬか? 此方こちを誰と心得る? 月帝の後継たる公主ぞ? 僧正が穿く大太刀は、月帝より与えられし至宝なり。『宿曜すくよう』を穿きし者は、決して月帝にも公主の意思にも抗わぬ!」



 驚愕に、生首の表情が歪む。

 この場での敗北を、ようやく悟ったのだ。

 

 ――だが負けぬ。

 ――この身は、我の一部分に過ぎぬ。

 ――何度でも、造り直せる。


 そう叫びたいが、力が出ない。

 口に捻じ込まれたるは、ただの草鞋わらじでは無い。

 黄泉の川を往来する者の履き物は異形の力にて、飢えた土の如く呪念を吸い取っている。



「殿。ゆるりと見物いたしましょうか。ほっほっほっ」

 姫は妖しく笑いつつ、懐から出した小刀で、僧正の腕に絡まる生首の髪を断つ。

 脱いだ単衣ひとえにそれを包み、黒炎の背にフワリと飛び乗った。

 戸惑う和樹たちを冷えた瞳で見降ろし、一蹴する。


「第八十九紀の近衛府の四将よ。羽月うづきの僧正を倒し、『宿曜すくようの太刀』を此方こちに持て。そなたらの力を此方こちに見せよ!」


 花の国の姫にして、月の公主の化身の黄泉の御方おんかたは命じた。


 和樹・一戸・上野・月城は惑い、しかし直ぐに身を正す。

 彼らの中に、ある記憶が鮮烈に浮かび上がる。


 

 まだ幼き頃――御簾みす越しに言葉を頂いた姫の姿。

 四人の女の童を連れた少女の声は、愛らしくも毅然としていた。


「この国の全ての民は、皆様を歓迎しております。この国と民の安寧を、お預けいたしましょう」



 ――国と民の安寧を護れなかった。

 ――力及ばず、姫君の言葉を裏切った。


 だが、くつがえせる。

 自分たちは、まだ存在している。

 魂が消えぬ限り、立ち向かう。

 今は――今だけは、現世の思いは捨てよう。

 現世の名も忘れよう。

 『第八十九紀の近衛府の四将』として敵を斬り、乗り越える。

 

 倒すべき神逅椰かぐやの本体は、この先にいる。

 闇の先に佇む御神木の麓に。


 雨月うげつの大将は『白峯丸しろみねまる』を拾い、神名月かみなづきの中将は抜刀した『白鳥しろとりの太刀』を斜に構える。

 如月きさらぎの中将はベルトに挟んだ霊符の束を出し、水葉月みずはづきの中将も方丈日那女から授けられた刀を構える。

 その刀の柄には、浄化の霊符が貼られていた。



「……そなたらが、我の最後の敵か」

 羽月うづきの僧正の朗々たる声が闇を震わせる。

「我が弟たちよ、我を止めるが良い。我を越え、死せる者たちの無念を晴らせ!」

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