第18章(下) 黄泉影の刃(じん)

第107話

 ――和樹たちの手前に落ちていた鞠が動いた。


 半回転した白い物体の裏にあった二つの黒い穴。

 その内側の球体が更に半回転し、青く光る瞳が現れた。


 眼の間には、筋の通った鼻、そして濃い紅を引いたような唇。

 それらが整然と配置されているが、般若の面を思わせる憎悪を放っている。


 地より沸いた黒い細い蔓が白い頭部を包み、乱れた頭髪を作り上げる。

 頭髪の先はジワジワと伸び、羽月うげつの僧正の剥き出しの左腕に絡みつく。

 羽月うげつの僧正は静穏な笑みを浮かべたまま、腕を軽く曲げた。

 

 糸が巻き取られる如くに生首は僧正の元に擦り寄り、僧正は屈んで天頂部の髪を掴み上げた。



「アラーシュ~、こっちにおいでぇ~」

 生首の紅色の唇から毒々しい声音が発せられ、ニセ如月きさらぎは「ひぃぃぃ」と叫び、ニセ水葉月みずはづきは恐怖に泣き出した。

 チャランポランなニセ神名月かみなづきも、さすがに鳥肌が立ったらしい。

 竹馬を投げ出し、二人の手を取って駆け出す。


「こっちだよ!」

 フランチェスカが手招きし、三人は真っ青な顔で和樹たちの背後に走り込む。


「みんな!」

 ニセ雨月うげつは、膝を付いて仲間を迎えた。

 その笑顔は、一戸本人と変わらない。

 憑き物が落ちたような穏やかさで、仲間を迎え入れる。

 

 彼が三人に触れると――変化が起きた。

 童子姿の彼らは、たちまち少年の姿に戻る。

 消えていたニセ雨月うげつの右腕も再生し、着ていた現代服も仲間たちと同じ狩衣姿に変化した。

 断った髪だけは、元の長さには戻らないが。


「太郎丸、おいでっ!」

 ニセ如月きさらぎは、僧正の足元に座っている愛犬を呼んだ。

 黒チロは尻尾を振って駆けて来る。

 チロは白炎からヒラリと飛び降り、自分の化身と並ぶ。

 色こそ違え、体形も毛並みも瓜二つだ。



「ぎゃはははははははははは!」

 揃った一同を眺めた生首は哄笑した。

 吊り上がった目尻、避けたような口は鬼そのものだ。

 もはや、人の面影は無い。

 


「……どちらが相手だ? 僧正殿か、宰相か?」

 一戸は動揺を微塵も見せず、薙刀なぎなたを構えた。

 その視線は、和樹に注がれる。

宿曜すくようの太刀』に対抗できるのは『白鳥しろとりの太刀』だ、との無言の指示だ。

 

 両太刀とも、時と次元・生と死を超えた存在である。

 薙刀『白峯丸しろみねまる』も雨月うげつと数百年を共にした名刀だが、やはり霊性ではかなわない。


 その後ろでは、お面を手にした上野とニセ如月きさらぎが口論している。

「おい、被っても、お面が顔に引っ付かないぞ! どーすりゃいいんだ!?」

「知らねえよ! オレがやった訳じゃないし!」


「お前の犬が咥えてったのを見たぞ!」

「それも兄上の命令だって! 兄上に聞けよっ!」


「くそっ、くそっ、くっ付けえええ!」

 上野はお面を顔にパカパカと当てるが、一体化する様子は無い。



「こっちに来い~、アラーシュ~。くっ付けてあげるよぉ~」

 生首はニヤニヤ笑うが、上野は一蹴する。

「ざけんな、半ナマクソ野郎!」


「……じゃあ、死んじゃえええ!」

 生首は荒れ狂う声で、陽気に言い放つ。


 すると、常軌ならぬ現象が起きた。

 ニセ雨月うげつの左上腕部の皮膚が、裂けた。


っ!」

 裂けた部分からは血が噴き出したが――すぐに収まる。

 だが――数秒れて、一戸の同じところから血が噴き出す。

 小袖と陣羽織が裂け、和樹の顔にも血が飛んだ。

 一戸も動揺して目を見張り、月城が叫ぶ。

「まさか!?」

 

 彼のみならず、一同は瞬時に理解した。

 ニセ者の体が傷付くと、本体も同様の傷を負うのだと。


「そんな!?」

 フランチェスカは青ざめ、馬上の方丈老人を見上げた。

「お爺ちゃん、あれ何なんですか!?」


「本人の髪を埋めた泥人形に、楔を打ち込んで呪う。それと似た呪詛じゃな。政敵を追い落とすべく、一時期に流行った術よ。雨月うげつたちが生きた時代には禁術とされ、露見したら身分を剥奪されて、一族全員が出家させられた」


「術を破る方法はあるんですか!?」

「呪われた本人が泥人形の楔を抜き、黄泉の泉に流す。泥人形は水を吸い、元の泥に戻って泉の底に沈む」


 老人は平然と言い放ったが、フランチェスカの膝が大きく揺れた。

 つまりは――仲間たち自らが、ニセ者を始末する。

 だが、そんなことが不可能なのは彼女も知っている。



「そうだよぉ~ん」

 生首はケタケタと笑った。

「おい、雨月うげつ! テメエの手で、テメエの土偶の心臓を突き刺せ! そうすれば助かるぞぉお! そして土偶ども、泥に戻りたくなければ腹を切れ! されば本物が死んで、お前らは助かる! さっさとやらねえと、俺がお前らを消すぞぉ? そいつらが死ねば、腹の傷も治る! 治るまで、ちったぁ痛いけどなあぁぁぁ!」



 ――淀んだ絶望感が大気を満たした。

 誰も動かず、息の音だけが静寂を揺らす。

 

 和樹も、常軌を逸した悪辣ぶりに言葉が出ない。

 呪詛を交えた闘いは、想定していなかった。

 いや、ニセ雨月の片腕が消えた時点で、呪術を警戒して置くべきだったのだ。

 

 だが、どのみち今の結果は避けられなかっただろう。

 方丈老人も、『浄化術』の使い手の水葉月みずはづきも無言を貫いていると言うことは、『詰んでいる』に違いない。

 あの生首を倒すしか、この『呪詛』は解けないのかも知れないが、生首は羽月うづきの僧正の手の中だ。

 

 解ってはいたが――彼は『近衛府の四将』の矜持など、砂粒ほども残っていない。

 地面を這いずる蟻の方が、遥かに慈悲深いだろう。



「アラーシュ~、お前が泣いて土下座すれば、土偶どもを助けても良いんだけどなぁあ~~。ああ~、土下座だけじゃ駄目でしたぁ~。まずは、クソ生意気な雨月うげつの両目をホジホジして下さぁ~い」



「……楽しそうで羨ましいぜ、化け物が」

 上野は手を組み、せせら笑った。

 いや――上野では無く、『如月きさらぎの中将』だ。

 兄への憎悪をたぎらせる彼は、狼狽の気配も見せない。

「そんなに、目玉を穿ほじる所が見たいのか。化け物に相応しい趣味だぜ」


 ――自分の眼球を潰す気だ、と和樹たちは察した。

 蓬莱さんの力で治せるかも知れないが、それも闘いが終わればの話だ。

 結果がどうあれ、彼にそんなことはさせられない。

 

 裂いた袖で傷口を縛った一戸は――『白峯丸しろみねまる』を地に於いた。

 和樹も月城も、無言で地に横たわる『白峯丸しろみねまる』を見つめる。

 一戸は自らの眼球を犠牲にして、『如月きさらぎの中将』を制止する気だ。

 二人とも退く気は無さそうだが、そんな無謀は無意味だ。

 しかし、状況は悪化する一方だ――。



「……は、は、腹を切れば……いいんだよね……」

 ニセ神名月かみなづきの震え声に振り向くと……彼は、短刀を手にしていた。

 狩衣の中に隠し持っていたのだろう。

 しかし、その手は激しく震えている。

 上下の歯をカタカタとぶつけ、哀れなほどに怯えたきった表情だ。

 これでは、腹の皮一センチを切ることさえ出来ないだろう。



「……止めよう、アトルシオ……」

 ニセ雨月うげつは震える仲間の手を押さえた。

 その瞳は……濡れている。

 彼は声を詰まらせ、仲間を見つめた。

「あんな化け物に従っちゃ駄目だ。もう判っただろう? さいごぐらい……みんなで一緒に……」

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