第106話

「てめえ、クソガキ! オレの顔面じゃねーか!」


 上野は叫び、飛び掛かる体勢を取ったものの……寸での所で耐えた。

 香ばしいほどに罠の臭いが漂っており、ニセ雨月うげつも本物に目配せしている。

 その瞳には僅かの当惑も見える。

 彼にとっても、仲間の童子姿は意外なのだろう。



雨月うげつくん、こっちおいでよ~」

 童子姿のニセ神名月かみなづきは、片手で竹馬を振り回す。

 竹の棒の先端に、木彫りの馬の顔とわらの尻尾を付けて跨って遊ぶ玩具だ。


「……うん、みんなで遊ぼう……」

 ニセ水葉月みずはづきは、恥ずかしそうに俯き、ニセ如月きさらぎは鞠を蹴った。

 皮製の白い鞠は、コロコロし和樹たちの前に転がって来る。



「触れないで!」

 蓬莱さんは、腰を据えた声で叫んだ。

「邪悪な気配がします! 絶対に、それに触らないで!」


 一同は後ずさりはせずとも、鞠との距離を縮めぬよう足を踏ん張る。

 決して怖じず沈着な蓬莱さんが、顔を強張らせている。

 よほど危険な物体に間違いない。


 和樹たちは、背を合わせるように陣を取る。

 敵との闘いは始まっている。



「おい、クソガキ!」

 上野は、自分のニセ童子を睨み付ける。

「てめーらの大将はどこだ? ガキを寄越して、優雅に酒盛りか?」

「知らない。遊んで来いって言われただけだもん」


 すると――二人の会話に、ニセ雨月うげつが割り込んだ

如月きさらぎ……みんなも手持ちの玩具を捨てて、こっちに来い!」


「はぁ?」

 ニセ神名月かみなづきは口を尖らせた。

雨月うげつくんこそ、何でそいつらと一緒なんだよ。僕たちが嫌いなの?」


「……みんなのことが好きだ……だから、こっちに来るんだ!」

 ニセ雨月うげつは左腕を差し出す。

「……家臣に『死ね』と言う奴を信用しちゃ駄目だ!」



 その言葉に、和樹たちは目前の闘いの厳しさを覚悟する。

 ニセ雨月うげつは、もう敵では無い。

 その彼が助けたいと願う仲間を、傷付けることは出来ない。


 闘いを生き延び、大人になる――。

 それの望みを叶えたいが、ニセ雨月を助けたことは大きなハンディになった。

 だが、朝露の一滴ほども後悔はしていない。

 『義』を捨てての勝利など、『近衛府の四将』の誇りが許さない。

 人として、『人の思い』を踏みにじっての勝利は望まない。

 

 



 ――すると、土を蹴るような音が聞こえた。

 全員が耳を澄ます。

 只ならぬ『何か』が接近して来る。


 和樹は、抜き身の『白鳥しろとりの太刀』のを感じた。

 警告を与えるかのように、刃が小波さざなみのように振動している。

 妖月あやづきと対戦した時でさえも、無かった現象だ。

 

 数多の剣士たちの手を経た霊刀が、警鐘を鳴らしているのだ。

 刃を通じて、危機を伝えている――。



「……どうしたのですか?」

 温和で澄んだ男性の声が、闇の奥から木霊こだまする。

 和樹・上野・一戸の――魂に潜む記憶が瞬時に浮き上がった。

 

 月城は、きつく唇を噛み締める。

 彼は、この声を直に聞いている。

 彼は呟いた。

羽月うづきの中将様……」


 

 その瞬間、和樹たち三将の心臓がギュッと締まった。

 誰であるかは、解ってはいた。

 それでも、その名を訊くと血管が震える。

 方丈老人は瞼を閉じ、低い声でまじないを唱えた。



 ――けぶる血の香気を引き連れて、その姿は闇より滲み出た。


 白き無紋の法衣に、紫紺色の袈裟を纏い、袈裟と同色の指貫さしぬき袴を履いている。

 つむりには薄灰色の帽子もうすを被り、長き数珠を左手に掲げている。

 御顔に深き笑みを讃え、木沓きぐつの音をなびかせながら近付いて来る。

 その足元には、黒いチワワが纏わり付いていた。



 和樹のこめかみが激しく痛んだ。

 あの瞬間の感覚が、腕をさいなむ。

 

 火名月ひなづきの大将たちは、命と引き換えに彼を助け出した。

 三神月みかづきの中将の術で、敵地から転移させた彼を受け止めた。

 彼の身の丈は半分になっていて――けれど、生かされていた。

 分かってはいたが――神逅椰かぐやの狂気に戦慄した。

 

 無二の友に、かくも残忍な仕打ちが出来るのか。

 かくなる仕打ちの果てに、何を得ようと言うのか。


 邪悪に身を捧げた先達を支えながら、雨月うげつと相槌を打った。

 士族出身の我らの処刑は避けられない。

 せめて、神逅椰かぐやの実弟の如月きさらぎと、平民の出の水葉月みずはづきの助命を願い出よう、と。

 

 生きられる者は生き延び、後世に伝えて欲しい。

 心ある者は、決して屈しなかった。

 果敢に邪に立ち向かったと――。



 だが――心ある御方は全てを奪われ、こうして立ち塞がっている。

 どう立ち向かうべきか、逡巡していると――ニセ童子たちが動いた。


「僧正さまだー!」

羽月うげつの僧正さま!」

「一緒に遊んでー!」


 童子たちは嬉しそうに駆け寄り、ゆっくり進む僧正の周りでスキップをする。

 黒チロはニセ如月きさらぎの肩に飛び乗り、甘えて鳴く。



「……お前、奴を見たことがあるか?」

 上野はニセ雨月うげつに訊ねたが、ニセ雨月うげつも怯えたように首を振る。

「宰相と一緒に居るのを何度か見たけれど、雰囲気が全く違う……僧正の法衣は着てなかった……」

 彼も蒼白で、すっかり委縮している。


 一戸は、自らを鼓舞するように指示を出した。

月窮げっきゅうの君は下がって! フランチェスカは白炎を下げて、皆を守れ! 」

「はいっ!」


 フランチェスカは手綱を取り、後ろに連れて行く。

 蓬莱さんはニセ雨月うげつの手を取り、小走りに後退する。

 彼女は『癒しの術』の使い手で、切り札的な存在だ。

 本人は前線に出る覚悟はあるが、無闇に前線で動くのは禁物だ。

 敵が彼女を狙うとは思わないが、今回ばかりは何が起きるか分からない。



「……ああ、みんな。立派になったね」

 羽月うづきの僧正は立ち止まり、童子たちの頭を撫でながら――和樹たちに微笑んだ。

「こうして再会できるとは夢のようだ。嬉しいよ」


「……あんたの頭を割れば、夢から覚められるだろうけど」

 上野は失笑を浮かべた。


 和樹と一戸は目配せする。

 上野の中に潜む『如月きさらぎの中将』の片鱗を感じる。

 実の兄への憎悪をたぎらせる厄介な存在だ。

 本人が気づいておらず、コントロール出来ないだけに歓迎し難い。

 別人格に等しく、何をやらかすか分からない。



「……傷つけ合うのは望まない」

 一戸は――地面に転がる鞠を避けつつ、前に出た。

「我らの戦うべきは、宰相の神逅椰かぐやだ。貴方とは、話し合いで決するのが望ましい。そちらにおいでの黄泉姫君は、話の分かる御方と心得る。ならば、貴方も話が通じぬ訳でもあるまい」


「……君たちが平伏せば、我が友の宰相君もお喜びになる」

 羽月うづきの僧正は、数珠を束ねて手の甲に巻く。

「私は、我が友に恨みは持っておらぬ。我が友は、ここで幸福に暮らしている。友の安寧な暮らしは喜ばしきこと、私は僧として、この世の平安を祈るのみ」



「……袈裟の下に、刀剣を穿いていらっしゃるようですが?」

 月城は指摘した。

 肩から吊るされた袈裟の下から、鞘の先端が見える


「困ったな」

 羽月うづきの僧正は、にこやかに笑う。

「五条袈裟じゃ、太刀を隠すには長さが足りなかったね」


「友人の装束の布地をケチるとは、セコい宰相様だな」

 上野の口から皮肉が飛ぶ。


「まあ……こんなものは飾りだけれど」

 羽月うづきの僧正は、袈裟を両手で引き裂いた。

 汚物を捨てるように地に投げ付け、上半身の法衣と単衣を脱ぐ。

 引き締まった上半身と、腰に下げている刀剣が露わになる。

 漆黒の鞘に収まった大太刀で、柄には銀色の糸が巻かれている。

 月光も射さないのに、その糸は白銀を放っている。

 

 

 和樹たちは、大太刀から放たれる『気』に威圧され、喉を鳴らした。

 敵が所持しているのは、間違いなく『宿曜すくようの太刀』だ。

 如何なる力を秘めているのか――周囲に霧が立ち込め出した。

 体感気温が下がり、大気も重くなる。

 まるで、水中に引き込まれたようだ。

 意識して力を入れないと、思い通りに動けない。



「はは…はははは……」

 笑い声が響いた。

 羽月うづきの僧正の声では無い。


「……そんな顔をするなよ、アラーシュ……ここだよ……」

 

 ――神逅椰かぐやまなこが、青白く光った。

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