第97話

 動物園の入場ゲートを抜けた和樹たち一行は、順路に従って見学することにした。

 右には鳥舎があり、そこから反時計周りにペンギン、キツネやオオカミ、ヒグマやチンパンジーなどの獣舎を通過。

 中央の休憩所で昼食を摂り、資料館を見学し、カバやキリン、北極グマにアザラシを見る定番コースだ。



「わーい、フラミンゴピンク~☆ かわいい~☆」

「……テンション高いね、久住さん」

 幼児のようにはしゃぐ黄泉千佳ヨミチカに、大沢さんは苦笑いを繰り返す。

 体の同じで中身は別だと知らないから当然だが――和樹たちは気が気でない。

 

 もうひとり――やはり動物園初体験の月城は冷静ながらも、ペンギンには目を丸くしていた。

 テレビで観たことはあれど、やはり実物は違う。

 それに見慣れたオオカミやシカが、人間の飼育下にあることには興味津々だ。

 柵の内側のオオカミたちに疑問を提示すると、一戸が丁寧に説明する。


「……絶滅に追い込んだ獣を保護して展示するとは、矛盾しているな」

「日本は、野生種を絶滅させた。だが、オオカミの餌だったシカが増えすぎて生態系が崩れ、食害も少なくない。だから世界各地で、オオカミの復活計画が進んでいる。日本では、展示と繁殖がせいぜいだが」

「あの世界では、獣を根絶させると云う発想は無かった。山や森で人が獣に襲われるのは、当たり前だった」

「絶滅させたくせに、必要になったから復活させようなんて虫が良すぎるよな」


 頷き合う月城と一戸の間に、ヒョイと上野が割り込んだ。

「こんな所で禅問答かよ。写真撮ろうぜ~」

 女子たちと和樹を呼び、スマホを構えると――蓬莱さんは、自分のスマホを近くの大学生らしきカップルの女性に見せた。

「すみません。撮っていただけますか?」


 女性は快く応じ、笑顔の七人全員が無事に写真に収まった。

 スマホを返して貰い、お礼にカップルの写真も撮る。

 そして次のゾーンに向かおうとすると――カップルの声が聞こえた。

「びっくりした。三木瞳ちゃんかと思ったよ」

「ホント似てる~。他の人たちも見てるね」



「……だってさ。俺たちチョイと鼻高♪」

 声を聞いた上野はニヤけ、こちらを注視する観客たちにヒラヒラと手を振る。

 けれど蓬莱さんは、即座に笑って否定した。

「やだ、瞳ちゃんの方がずっと可愛いよ。でも折角だから、目立つように歩こう」


 蓬莱さんは、いきなり一戸の左腕に腕を回した。

 黄泉千佳ヨミチカは囃し立てるように「およよよよよよ~♪」と嬌声を上げる。


 和樹も、蓬莱さんの行動に驚いたが、一戸は表情を引き締めて目配せした。

 そして彼女にささやいたのを、和樹は聞き逃さなかった。

「……敵ですか?」


 すると蓬莱さんは――にこやかに応えた。

「方丈先輩が、楽しんで来いって言ってた。同好会の心配は無用だって」


 和樹と一戸は、そっと視線を交わして頷き合う。

 何かが起きているのは間違いない。

 方丈日那女が、何らかの迎撃行動に出たことも確実だ。

 

 だが――自分たちは、不用意に動かない方が良いらしい。

 蓬莱さんも威厳を笑顔でつくろい、無言のめいを下す。

 彼女は、あの世界では『月のいわ』の『公主(帝位継承者)』だった。

 月帝に仕える自分たちには、あるじに等しい御方である。

 彼女は『公主』として、自分たちの内なる魂に命じているのだ――。


 和樹は上野たちにも伝えようと前を見ると――上野と月城が、横目でこちらを見ていた。

 瞳に浮かぶ刃のような輝きは、永遠の絆を誓い合った戦友の眼差しだ。

 やはり、彼らも異変に気付いてくれた。

 何もするな、と伝えるべく彼らに近付く。

 水影月みかげづきと公主の姫君の御下命に従わねばならない。

 今の使命は、『ここで楽しく過ごすこと』だと――。

 

 

 

 しかし警戒は緩めることなく、園内を見回っていると――体感時間は早く進む。

 あっと言う間に昼になり、一同は園内中央の休憩所に入り、開いているテーブルを囲んだ。

 フードコート風の休憩所は、弁当の持ち込みが許されている。

 観光客はラーメンや豚丼などを注文するが、地元の家族連れは弁当持参派が多いのだ。

 

 和樹たちも――月城以外は、持参した弁当を広げる。

 一戸は、稲荷ずし・根菜の煮物・串揚げにぬか漬け各種。

 蓬莱さんと大沢さんは、サンドイッチとサラダがメイン。

 やはりと言うか……上野は、四段の重箱をデデン、と中央に置いた。


「上野浩子の特製重箱弁当を見よ! 月城の分も作ってもらったぞ~」

 蓋を開き、四つ並べた重箱の中身は……豪華だった。

 生麩とコンニャクの田楽・鮭の塩こうじ焼き・焼売・ホタテと白菜のクリーム煮・大豆ミートのスコッチエッグ・人参と枝豆とコーンの温サラダ・キーウィと干し柿。

 それらが、三段目と四段目に彩りよく詰められている。


 そして一段目は、ブラックタンのチワワ(チロ)のキャラ弁だ。

 中央には白米を盛ってチロの顔や耳を作り、海苔で黒毛部分を表現する。

 瞳と鼻は、スライスしたブラックオリーブ。

 カットした魚肉ソーセージを、ちょこんと出した舌に見立てた。

 その四方には、ウィンナーのカレー炒めと茹でたカリフラワー・ブチトマト・蜜柑のシロップ漬けが配置されている。


 二段目は四つに仕切られ、左上には白馬(白炎びゃくえん)の顔、右下には猫(ミゾレ)の顔が描かれている。

 白炎びゃくえんは、顔の周囲を黒ゴマで潰し、目はゴマ・顔の馬具は細切りの昆布・たてがみは錦糸卵を盛った。

 三毛猫のミゾレの目はオリーブ、模様を金ゴマとカツオふりかけで表し。周囲を桜でんぶで飾る。

 御飯と隣り合うスペースには、一段目と同じおかずが詰まっているが、ウィンナーが魚肉ソーセージに変わっていた。

 


「上野くんのお母さまって、運動会のお弁当も豪華だったよね」

 大沢さんは、感嘆して呟く。

「犬はチロちゃんで、猫はミゾレちゃんでしょ。馬は?」

「ほら、最近競馬デビューして話題になった白毛の馬。こいつ、馬が好きだから」

 口が達者な上野は出まかせを言い、月城を二本の人差し指で差す。

 

 振られた月城は否定も出来ず……コクコクと頷く。

「あの、馬を見るのが好きで、乗りたいな、とか、思ってるんです」

「私の学校でも馬を飼ってるんですよ。進級すれば、馬の生態の授業があるんです。月城さんは、農業が好きですか?」

「はい……僕に、合ってると、思います。将来、米とか作るのも良いな、と」

 

 月城は恥ずかし気に、ぎこちなく喋る。

 その原因が――女性への不慣れさだけでは無いことを一戸は察していた。

 『桜夏祭』後の王后の言葉が、鮮明に蘇る。

 


 ――彼は、今も半身を『黄泉』に置いているに等しい。身が傷付いても、簡単には死なぬが……『魔窟まくつ』で、心の臓を損傷すると極めて危うい。そなたらと違い、現世での転生は叶わぬ。魂は『黄泉の川』に囚われ、少しずつ削り取られ、塵となって永遠に流れを彷徨うであろう……。


 ――本人は、それを本望と考えている。そなたらが彼を赦そうとも、彼は自身を赦してはおらぬ。

 


(月城が闘いで死ぬことを望もうと……俺たちは、それを認めない!)

 一戸は、あてどなく宙に彷徨う月城の視線を受け止めてやりたかった。

 死ぬ必要は無い。

 想う人のために生きろ、と今すぐ言ってやりたかった――。



「あ~~ん。ミゾレ弁当が欲しいよ~☆」

 上野が二段目を月城に差し出すと、黄泉千佳ヨミチカは駄々をこねた。


「これは、最愛の月城くんに作って来たんだにょ~」

「いいよ。これを食べろよ」

「うぁーい。じゃ、あたしのベーグルサンドとお取替え~」

「おいおいにょ~」


 嘆く上野を尻目に、月城と黄泉千佳ヨミチカは弁当を交換する。

 他のみんなも、各自の弁当の一部を交換して食べることにした。


「みんな、三段目と四段目は好きに摘んでくれ。取り皿も持って来たにょ~」

「うん。月城。僕のザンギも、黄色い紙が敷いてるアルミのは大豆ミート製だから」


 こうして『魔窟まくつ』の闘いの事実を知る者もそうでない者も――敵の脅威から離れ、ひと時の余暇を楽しむ。

 

 喪失感を抱える者も、淡い想いに当惑する者も――丹精込めて作られた弁当の味に舌鼓を打つ。

 

 窓から見える真夏の青い空、子供たちの声、シャッターを切る音。

 友が居て、家族が居て――穏やかで幸福な日常だ。

 これが近い将来終わらないことを――雨月うげつの大将は祈る。

 祖母が煮込んだ稲荷の揚げは甘く、静かに舌に染み渡った。







(まったく……何てクソ田舎だ!)

 一戸蓮のは舌打ちしつつ、一戸家の周辺の一角を歩き続ける。

 立ち並ぶ家は立派で、住民はそこそこの暮らしを送っているようだが、いんかせん出歩く者が皆無に等しい。

 洗濯物を干す住民は居るが、敷地から出て来ないことに憤る。


(馬鹿どもめ! 出て来やがれ!)

 呪いの言葉を吐きつつ、歩を進めていると――前方から子供四人が歩いて来た。

 全員が男で、手にした棒菓子を食べている。


「明日は、タルヒン球場でレオンズとの試合だな!」

「ファクトリーズの勝ちに決まってるじゃん」

「でも、今年のファクトリーズは最下位だぜ」

「ゲームしたいよ~。来月出る『ドラゴニアス・サガ』を予約した!」



 ――四人の会話は、理解の域を越えていた。

 が、くだらない遊びの話をしているのは間違いない。

 『近衛童子』として鍛錬の日々を送った自分に比べ、堕落した奴らだと蔑視する。

 面倒だから、こいつらを殺そうか――とも思った。

 

 要は、本物の『雨月うげつ』を『下手人』に仕立てれば良いのだ。

 この子供ガキどもを殺して、自動車に飛び込めば目的は達成される筈だ。

 だが――神逅椰かぐやの勅命は『一戸家の人間を殺して、自害せよ』だ。

 それを違えるのは――不服従は許されない。

 結果は同じでも、過程を変えるのは重大な謀反だ。

 謀反は死罪だ。

 


 

 「……死罪……」

 つぶやき、足を止めた。

 真横を子供たちが通り過ぎる。

 彼らの言葉は、無意味な音となって背を突く。



「蓮くん?」

 不意に名を呼ばれ、振り向いた。

 箱包みを抱えた男が、無防備に寄って来る。

 頭に何かを被り、白小袖の上に黒い紗を纏っている。


「蓮くん、どうしたんだい? 家に入らないのかい?」

 温和そうな声音で、男は話しかけてくる。

 は、彼の素性を思い出した。

 一戸蓮の叔父のクソ坊主だ、と。

 以前、堕霊に憑依されて負傷したが、快復したとは聞いている。

 

「また父さんに叱られたのかい? 暑いから家に入ろう。坊守ぼうもりさまが作った御萩おはぎを持って来たんだ。お盆には少し早いけどね。一緒に頂こうか」


 宇野笙慶氏は手にした包みをかざし、穏やかに微笑んだ。

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