第15章 人の心、人形の心

第87話

 和樹は月城に手を引かれ、走る。

 商業ビルの一階――。

 時計屋があり、靴下屋があり、たい焼き屋がある。

 人が歩き、店員がレジを打ち、ソフトクリームを持った少女たちの影が視える。

 まるで、真っ白い世界に入り込んだようだ。

 白い世界で、半透明な影が動くのが認識できる。

 それは、人々の霊体だろう――。

 話し声や、店内のBGMも認識できる。

 耳で音や声をを捉えると言うよりは、それらが体内から響いて来る感じだ。

 声も音も交わり合っているのに、すべてが聞き分けられる。

 

 前方には、自分の手を引く月城が居る。

 彼の着ている白Tシャツの袖口と黒髪が靡いている。

 自分の着ているポロシャツの色も分かる。

 この世界で色が付いているのは、自分たちだけらしい。

 セピアのフィルターを掛けたように、くすんではいるが――


 

 月城に導かれるままにガラス戸を透過し、予備校ビルに入る。

 学生たちの影が、移動している。

 ICカードをかざし、入って来る者と出て行く者が交差する。


(彼らと接触するな。接触すると、向こうの体調が悪くなるケースがある!)

 月城の指示が響く。

 彼は慣れているのか、こちらの意思が読めるようだ。


(階段を使う。慣れないうちは、俺の手を離すな!)

 月城は、エレベーター横の階段を登り始めた。

 そこも、生徒たちの影が上下している。

 和樹は彼らを避けつつ、月城と並行して一段ずつ登る。

 ガラス戸同様、壁や天井を透過することは可能だろう。

 だが天井を抜けて頭を出したら、生徒の足と接触した――と云う事故は避けねばならない



 二人は、五階に辿り着いた。

 月城は手前の女子トイレを眺め、早足に入って行く。

 和樹は一瞬ためらったが――覚悟を決めて足を運ぶ。


 すると――手洗いカウンターの前に、半透明の人間が立っていた。

 それは、能の女面おんなめんを被った少女だった。

 黒いリュックを手に下げ、チェックシャツを着て、デニムスカートを履いている。


(……中越さんだ!)

 月城は察した。

(同じクラスの……敵は、彼女に取り憑いてた!)

(いつ取り憑かれたんだ!?)


 訊き返した和樹は、カウンターの反対側の棚に、見覚えのあるトートバッグを見つけた。

 紺地に白文字のロゴが入った――久住さんが持ち歩いていたものだ。

(久住さん…!?)


 和樹は中を見回した。

 中越さん以外、誰も居ない――誰の気配も無い。


(……そんな……!)

 全身から力が抜ける。

 足元が崩れ、揺れ、今にも落下しそうな気配に包まれる。

 

 ――居ない。

 ――大切な人が消えた。

 ――敵に連れ去られた。


 


(きゃははははははは!)

 能面の下から、不協和音の如き嬌声が響いた。

(ざまあ見ろ! ざまあ見ろ!)


 敵はリュックを振りかざし、突進して来た。

 こちらを倒す気は無いらしい。

 目的を果たしたからだ。

 敵を殴っておけ、とでも命令されているのだろう。

 

 月城は和樹の手を離し、ベルトに挟んでいた霊符を取り出す。

 素早くリュックを避け、能面の額に霊符を張った。

 能面は粉々に割れ、目を見開いた中越さんの顔が現れる。

 中越さんはふらつき、倒れかけ……


 その時、一気に色彩と感覚が戻った。

 月城が、二人の体を現世に戻したらしい。

 彼は気絶した中越さんを抱き止め、彼女のリュックは床に落ちる。

 


神無代かみむしろ…!」

 月城が声を掛けたが、和樹の耳には届かない。

 ガクガクと震える手で、久住さんの帆布のトートバッグに手を伸ばす。

 触れると、中に醤油さしが入っているのを察した。

 複数あるようだが……中身は、ほぼカラらしい――。

 


「……そんな……」

 

 ただただ……悔やんだ。

 彼女の身に危険が迫っているのを感じていたのに――

 敵に狙われているのを知っていたのに、護れなかった。

 どうして、一緒に講習に通わなかったのか。

 岸松おじさんに費用の援助を頼めば、おじさんは承諾してくれた筈だ。

 自分の愚かさが、ただ憎い。

 現世では無力な自分が、腹正しい――。




「間抜けヅラ~、きゃはははっ」

 聞き覚えのある声が聞こえた。

 聞き慣れた久住さんの声だ。

 だが、本人の声で無いことは直ぐに分かった。

 彼女は、他人を嘲笑しない。

 他人を、小馬鹿にしない。



「……準備万端だった訳だ……」

 月城は、嘲笑の主を睨む。

 

 トイレの入り口に、久住千佳の人形ひとがたが居る。

 今日の彼女と似た服装――白シャツにチェックスカートの制服コーデで。

 軽く片足を曲げ、シャツの衿わ掴んでヒラヒラさせる。


「どぉ? 似合う? 似たスカートを、大急ぎで用意して貰ったんだけど」

 人形ひとがたは、自信たっぷりに微笑む。

「もぉ、そんな顔しないでぇ。女子高生が行方不明になって、警察沙汰になるのは、あんたたちも避けたいでしょ? 思いやりのある神逅椰かぐやさまは、ちゃんと身代わりを用意してくれたのでしゅ~♪」



「……哀れだ」

 月城は人形ひとがたを睨み、小声で吐き捨てる。

神無代かみむしろ、俺たちは一旦ここを出る」


「……は?」

 和樹は、放心状態で応えた。

 だが月城は冷静に、テキパキと指示を出す。

「そこのニセ者。教室に戻って人を呼べ。友人が倒れたと言え。そして、下に行って待ってろ」

「はぁ? 家に帰りたいんだけど?」


「黙れ。俺に従え。これから、水影御前みかげごぜんの家に行く」

 中越さんを棚の横にある椅子に座らせ、立ち尽くす和樹の手を取る。

神無代かみむしろ、ここは仕切り直しだ。久住さんは絶対に助け出す!」


 力強い激励に――和樹は涙目で、友を見上げる。

 敵は、久住さんに一方的な想いを抱いている。

 それまで、彼女が傷付けられないとは断言できないが――

 

 月城は、和樹の腕を取った。

「しっかりしろ! 立ち止まってる暇は無い!」


 月城は有無を言わせず、また霊界へと踏み込んだ。

 一刻も早く、対策を講じなければならない。

 呆然としている和樹を引き摺り、来た道を引き返す。



 


 その二時間後。

 一戸は、方丈家の玄関をくぐった。

 出迎えたのは、蓬莱さんである。

「待ってた! みんな、揃ってるけれど……」

「久住さんのご家族とは、連絡が着いたのか?」

「ええ。お母さまには『先輩の家で勉強する』と……ニセ者の久住さんに言わせた」

「中越さんは?」

「救急搬送されたわ。月城くんは、命に別状は無いと言ってくれた。教頭先生の時と同じ症状だと思うけど、一晩ぐらい入院するかも」

「……くそっ!」


 一戸は、自身に怒りをぶつける。

 ここに至るまで、敵をのさばらせていたのは大失態である。

 積極的に、敵の捜索に当たるべきだった。

 自ら手の指をへし折ってでも、『治るまで稽古が出来ません』と祖父を言いくるめるべきだった。


 蓬莱さんを追い越し、以前に集まった和室に向かう。

 障子を開けると、仲間たちが座卓を囲んでいた。

 方丈日那女の向かいに、上野と月城。

 その右横に、深く項垂れた和樹が居る。

 一戸は和樹の横に、蓬莱さんは日那女の横に座った。

 そして久住さんのニセ者は――座布団を枕にして横向きに転がり、スマホゲームに熱中していた。

 下半身にタオルケットが掛けられているのは、お行儀が悪いからに違いない。


「さて……フランチェスカ以外は揃ったか」

 日那女は腕を組み、寝転がるニセ者を睨み付けた。

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