第75話

火名月ひなづきに霊符を使わせたら駄目だ!」

 月城が叫び、自らは三神月みかづきに斬りかかる。

 和樹と一戸は得物を構え、月城の意図を察して火名月ひなづきに向かう。

 

 逃げ場のない舞台上で、『炎の術』を展開されたら致命的だ。

 上野の『氷の技法』で対抗可能とは云え、油断は出来ない。

 舞台上から押し出されないよう立ち回り、火名月ひなづきを先に倒すのが最善策だろう。



「やべえ……」

 和樹たちの斬り合いを目前に、上野は必死でコピペ作業を繰り返す。

 地面から氷柱を出せても、それで良いというものではない。

 斬り合いの邪魔になるし、ヘタをすれば味方の怪我を誘発しかねない技だ。


「くっそ! ヒナ先輩、強すぎっしょ!」

 歯噛みし、剣が使えない自分を責める。

 やはり『八十八紀 近衛府の大将』の地位は伊達ではない。

 火名月ひなづきは、剣士ふたりを相手に善戦している。


 和樹と一戸も、火名月ひなづきの剣豪振りに舌を巻いていた。

 剣士だった夜重月やえづき紗夜月さやづきに優る腕前だ。

 『良心』のたがが完全に外れている上に、『悪霊化』している。

 その身体能力は、生前の比では無い。

 神名月かみなづきの『白鳥しろとりの太刀』で致命傷を与えれば、浄化されて消えるが――


「強い…!」

 和樹は火名月ひなづきの太刀筋の見事さに、思わず称賛を送る。

 一戸が主に攻撃を受け、和樹が隙を見て斬りかかるも、相手は巧妙に、素早く攻撃を避ける。

 

 しかも和樹自身は意識していないが――彼の動きは固い。

 一戸は、彼が着ている表着うわぎのせいだ、と気付く。

 丈が長く、袖の広い表着うわぎは、舞台周りを覆う『天長地久の陣』に接触しやすい。

 それを恐れて、彼の動きは自然と縮こまっているのだ。

 戦闘前に、表着うわぎを脱ぐように指示しなかったのが悔やまれる。

 

 火名月ひなづきに取っても、『白鳥しろとりの太刀』との接触は避けたい筈だが、そんな隙は見せない。

 浄化されて消えることへの『恐怖心』が無い故だろう。

 『悪霊化』のせいで、人としての感情が多く歪んでいる。

 一戸は、和樹のサポートに徹しながらも、打開策に頭を費やす。

 

 

 

 


「どうすりゃ良いんだよ…!?」

 チロを右手に抱き、コピペ霊符の束を握った上野は狼狽し、上下左右を見回す。

 下の舞台以外は闇一色だ。

 その中を桜の花びらが舞い、雅楽が響く。

 が――ふと額を拭い、状況の変化に気付く。

 先ほどよりも暑いような気がする。

 狭い空間に閉じ込められたせいかとも思ったが……



「ま、さ、か……」

 上野はコピペ霊符をベルトに挟み、舞台に手のひらを当て――カッと目を開く。

 床が熱い。

 触れないほどではないが、家の床暖を入れた時よりも熱い。

 屈んで耳を当てると、不穏な轟音が聞こえ――慌てて和樹たちに知らせた。

「床が熱い! 下で燃えてるみたいだ! ヤバイぞ!」



「遅いぞ! 阿呆ども、鈍すぎる!」

 火名月ひなづきはフワリと後方に飛び、勝ち誇ったように笑う。

「この真下では、我が炎が燃え盛ってるんだ! お前たちも、炙り鳥になれえっ!」


 それを聞いた一戸は、『白峯丸しろみねまる』の柄の先端の石突いしづきを床に叩き付けた。

 床板が薄く割れ、そこから熱風が噴き上がる。

 開いた隙間からは、地獄の業火の如き光景が覗く。

 煙こそ上がらないが、熱波は舞台上を駆け抜け、上野はマントでチロを覆った。



「死ね、死ね、死ねええええっ!!!」

 火名月ひなづきは鬼の如き形相で、太刀の先端で力任せに床板を突いた。

 板が次々と割れ、落下し、大穴が開いて温度が急上昇する。

 火口の如き大穴に、和樹たちは後退する。

 熱風が舞い、着衣が大きく靡く。

 視界が朱に染まり出し、闘うどころではない。

 逃げ場もない。


 上野は大急ぎで、コピペ霊符に『念』を込め、炎に向けて次々と投下した。

 しかし炎の範囲は広大で、端が見えない。

 高さも相当あるらしく、霊符は雪の結晶のような小さな文様を展開し――すぐに燃え尽きてしまう。


「ダメだ、消せない!」

 上野は必死にコピペ霊符を生成するが――それなりの厚みがあった霊符が、透けて見えるほどに薄くなり始めた。

 コピペ能力の限界が近付いているのは明らかだ。


 

 上野の絶望的な声が響き――三神月みかづきは太刀を振るうのを止め、なぜか安堵したように囁いた。

「……終わったね。やっと終わりましたよ……」


「炙り焼きか、擦りおろしか、好きな方を選べ」

 三神月みかづきとは対照的に、火名月ひなづきは物騒な言葉を吐き捨てる。

 そして、自分の太刀を豪炎に向けて放った。

「こんな物は、もう要らん。残りの霊符すべてを使って焚きつけた炎だ! 如月きさらぎ、お前の書写した霊符ごときでは消せぬ! 消させぬ! 俺自身も薪になってやる!」


 火名月ひなづきは太刀を豪炎に投げ捨て、自らも後を追おうとした。

 和樹と一戸は、無意識に得物を捨てる。

 月城も、三神月みかづきから目を離す。

 上野は立ち上がり、前線に駆けて来る。


 

「やめろおぉぉぉ!」

 和樹は叫び――一戸と共に、火名月ひなづきの左右の腕を引っ掴んだ。

 大穴の縁に掛かんだ上野は、隙間から『念』を込めたコピペ霊符を投げ入れる。

「くそっ、消えろ、消えろ、消えろ、消えやがれえっ!!!」


 しかし、その願いは叶わない。

 真下の業火が鎮火する気配は無い。



「消してあげるよ……」

 ふらりと寄って来た三神月みかづきは――火名月ひなづきの首元を、真正面から太刀で貫いた。


「ああ……あああっ!!」

 和樹は叫ぶ。

 三神月みかづきが持つ太刀は、『白鳥しろとりの太刀』である。

 火名月ひなづきは――全てから解き放たれたように瞼を閉じる。

 彼の心臓から紫色の炎がほとばしり――それは全身を包み、すぐに燃え尽きた。


 ほぼ同時に。舞台下の炎も沈静する。

 排水口に吸い込まれるように消え、舞台上の熱気も瞬く間に収まった。

 そして――三神月みかづきの両腕からは、紫の炎が上がる。

 『白鳥しろとりの太刀』を持つ両腕から――。

 そして三神月みかづきは力尽きたように膝を付き、天を仰いだ。



三神月みかづき様……なぜ……?」

 一戸は近寄り、『白鳥しろとりの太刀』を静かに取り上げた。

 三神月みかづきの両腕が炭化して落下し――塵となって消える。


「思い出しちゃったから……僕が『天長地久の陣』を完成させた時、近衛府の術士たちが何て言ってたか覚えてるよね……?」

 三神月みかづきは月城を見上げ、薄く笑った。

 

 月城は――痛ましそうに声を絞る。

「……忌まわしい術だと……俺が聞いたのは、それだけです……」


「月帝さまと、仲間を守りたかっただけなのに……完成した術は、あれだよ……言われても仕方ないよね……他人を斬り刻む、虫唾が走る術だ……守護術とは思えない。みんな、そう言った……こんな術を使ってる自分が、情けなくなった……」


「あなた様は、羽月うげつ様を助け出した『近衛府の四将』の名に恥じぬ高潔な御方でした。あなた様方の後に続けたことを、我ら四将は誇りに思っています……」


「そうかな……もう二度と蘇らず……みんなと一緒に……」


「はい……」


 弱々しく微笑む三神月みかづきを――月城は背後から抱き締める。

 その手には、『浄化』の『念』を込めた霊符が握られていた。

 心臓の上に当てられた霊符は、たちまち紫の光を放つ。

 

 三神月みかづきは、満足そうに呟いた。

「……君たちの……世界も悪くない……楽しかった…かな……」





 彼を包む光は消え――そして雅楽の音も消えた。

 桜の花びらも消え、四人と一匹の体は浮き上がり、舞台から遠ざかる。

 

「帰れる…!」

 上野は目尻を拭いつつ――頭上を見た。

 清んだ流れが見える。

 流れの上からは、光が注いでいる。

 その上で、家族や友人が待っている。


「ひとまず、終わったな……」

 一戸は息を整えつつ――頭を父む白い袈裟を外した。

 上野は目を瞠る。


「おい! お前、坊主頭じゃ無かったのかよ!」

「……いつ、俺が坊主頭だと言った?」


 そう答える彼のセミロングの黒髪は……流れの中で揺れている。

 上野は、彼の羽織を掴み叫んだ。

「だーまされたーーーっ!!」



 いつもの快活な上野を見て――和樹は、緩やかな感慨に耽る。

 『八十八紀の四将』たちは去った。

 四人の魂が穏やかであれ、と願う。

 今頃は、亜夜月あやづき様に迎えられていて欲しい、と。


「……帰ろう!」

 横を行く月城に――手を伸ばす。

 月城は――躊躇わずに握り返してくれた。


 水面の光が近付く。

 また、今日も帰って来れた。

 和樹は、現世を生きる幸福を噛み締める。

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