第12章(下) 闇空の炎

第71話

 向かって左から火名月ひなづき三神月みかづき、そして月城が近付いて来る。

 方丈日那女は為す術なくその様子を見ていたが――ステージが暗転し、そして明るさが戻った時、驚愕の光景を見た。

 客席最前列の和樹たち三人が、『魔窟まくつ』の戦闘用装束を纏っていたのである。

 

火名月ひなづきたちの仕業か! 神無代かみむしろたちを『黄泉』の浅い位置に落としたんだ!)


 ――以前の、夜重月やえづき紗夜月さやづきと同じ手口だった。

 『近衛府の四将』クラスの『化身体にせもの』は、強力な霊力を有している。

 生前の本人の姿のまま、現世と異世を行き来できる。

 そればかりか、ターゲットを『黄泉』や『魔窟まくつ』に拉致することも可能なのだ。

 月城が、『現世』と『黄泉』の隙間の浅い位置に刀を隠し持つように。

 

 今回は、三人の着衣が変異する深めの位置まで落とされたことになる。

 夜重月やえづきたちの時は、そこまで深い位置には落とされなかったが――。



(くそっ!……観客たちにも、三人が見えてるのか!)

 日那女は生唾を呑み込んだ。

 三人の後ろに座る生徒や客たちが、不思議そうに三人を見ている。

 立ち上がって覗き込んでいるのは――上野の兄だ。

 彼らの家族のことは全て調査済みで、顔も知っている。

 そして――少し離れた場所に座っていた神無代かみむしろ沙々子と宇野笙慶氏も立ち上がり、唖然と三人を凝視する。

 当然、久住さんもだ。


(幕……幕はまだか!?)

 日那女は、閉幕してくれと祈りつつ立ち上がった。

 お釈迦様の台詞は終わり、セット係の生徒たちが、再び妖怪城セットを持ち上げて立てかけた。


「……ではっ、さんにんとも、てんじくを、めざ、し、ましょう!」

 混乱して、台詞も覚束ない。

 悟空役の津田さんは、「どしたの?」と云う目付きで日那女を見たが、直後に幕が左右から滑り出てくれた。

 幕は完全に閉じ、ステージと客席が隔てられる。

 日那女を除く生徒たちは、小さな歓声を上げる。

 

「やったね!」

「子供に受けてたよ!」

「良かった……うまく行ったよ!」

「でも途中で照明、変だったよね?」

 幕引き用のスイッチを操作していた塚元さんが進み出て、首を捻り――上を見た。

 同時に、口をあんぐりと開けた。

 日那女も思わず上を見て――絶句する。

 天井横柱の隙間から顔を出しているのは――美名月みなづきフランチェスカだ。

 彼女も、召喚されていたのである。

 少女の姿のフランチェスカは横木に寝そべり、「どうしましょう?」とゆっくり口を動かしている。



「……みんな、セットを下げるよ!」

 日那女は促した。

 火名月ひなづきたちの目的は明白である。

 このステージ上で、神名月かみなづきたちと闘おうと云う目論見らしい。

 生徒たちをステージから避難させなければならない。


(でも次のプログラムは、二年生のアイヌ舞踊……どうすれば……)

 だが奥のステージサイドに、アイヌの民族衣装を着た生徒たちが居ない。

 不安に駆られて見回すと――予想外のアナウンスが流れた。


「次のプログラム『二年四組のアイヌ舞踊は、準備に遅れが出ています。その間、有志による『陰陽師 暗黒演武』をお楽しみください」


「は…!?」

 唐突なアナウンスが、日那女の狼狽に拍車をかける。

 しかも、アナウンスの声は自分に似ていた。

 アナウンスはステージ横の放送室から流れており、ステージ照明も、そこでコントロールしている。


(放送室が乗っ取られてる!)

 犯人は、本屋に居た自分のニセ者とみて間違いないだろう。

 放送部員と照明係のクラスメイトが心配だが、ここを動くことも出来ない。

 日那女は、上をチラリと見て声を張り上げた。


「ねえ、今のステージ横の放送室からのアナウンス、私に声が似てたね!」

「そう言えば、そうだね」


 津田さんが答えたが――フランチェスカも、それに応えた。

 『ステージ横の放送室からのアナウンス』なる言葉で、行くべき場所を察する。

 フランチェスカは立ち上がり、靴を脱いで前に進み出た――下に居る生徒たちに悟られないように。

 建物の構造は不明だが、間違いなくこの天井裏からステージ横に降りられる筈だ。

 放送室の様子を確かめなくてはならない。

 場合によっては、戦闘も有り得るが――後ろ向きに考えるのは性に合わない。


(……無事に終わったら、黒猫のレオくんと遊ばせて貰お! 焼いたお魚も貰お!)

 フランチェスカは緊張しつつも――美味しいお魚の味を思い浮かべる。






「次のプログラム『二年四組のアイヌ舞踊は、準備に遅れが出ています。その間、有志による『陰陽師 暗黒演武』をお楽しみください」

 

 アナウンスが流れ、和樹・上野・一戸はステージを見上げた。

 チロが上野の膝に飛び乗る。

 闘わねばならない――三人は、無言で確かめ合う。

 家族の前で、友人たちの前で……みんなを護るために闘う。

 


「ナシロくん……」

 久住さんは、呆然と和樹を見つめる。

 『神名月かみなづきの中将』が平安時代風の衣装で、『魔窟まくつ』で闘っていると知っている。

 その衣装を描いたイラストも見せて貰ったこもある。

 目の前の幼なじみの姿は、そのイラストに酷似している。

 その横にいる同級生たちの衣装もだ。

 上野の足元には、死んだ筈のチロも居る。


 

「どうして……」

 久住さんは和樹に右手を伸ばした。

 しかし、その右袖を蓬莱さんが掴む。

「……触らない方がいい!」


「でも……」

 久住さんは、もう一方の手を伸ばした。

 その指先が、和樹の表着うわぎの袖に触れる。

 しかし、その指先は何の感触も得られなかった。

 差す光に触れた如くに、白銀色の衣の中に指先が埋まる。


「そんな……ナシロくん……」

「大丈夫だ。久住さん、体育館から出て」


 和樹は、優しい笑みを浮かべた。

 その脇を、黒い水干姿の二人が通り過ぎる。

 月城が、それを追っている。

 

「蓬莱さん、久住さんを外に。出来れば……瑠衣たちも」

 一戸は、後列左端側に座る妹たちを見た。

 彼女たちは、まだ彼らの異変に気付いていない。

 

 しかし、中央付近の上野の兄の真央まひろは立ち上がり、瞬きも出来ずに弟たちを直視していた。

 いつの間にか、弟と友人二人が着替えをしている。

 弟以外は、時代劇に出てきそうな衣装で、一人は薙刀まで持っている。

 不可解なのは、二年前に事故死したペットのチロが、弟の膝の上に居ることだ。

 死んだ時に嵌めていた黄色い首輪もしている。

 見間違える筈がない。

 よく似たブラックタンのチワワではない。

 あれは『チロ』だと、確信する――

 



「行くか……」

 上野はチロを抱いて立ち上がった。

 一戸と和樹も立ち上がり、前に進み出る。

 先のことは分からない。

 だが、守るべき者たちが居る。

 

 しかし久住さんは、まだ椅子に座り込んだままだ。

 蓬莱さんが彼女の右手を握っているが、立ち上がる気配はない。

 

「大丈夫。絶対に負けない…!」

 和樹は力強く声を掛ける。

 その瞳は、かつて見た事ともないほど澄んでいた。

 それでいながら――哀しみに満ちている。

 彼が時に見せた――父親の遺影を見つめる時の瞳だ。



 ……掛け替えの無い人々に見送られ、三人はステージ前に立つ。

 その高さは一メートルだ。

 幕は閉じられており、奥からは人の気配がするが、すぐに『三蔵法師』が退避させてくれるだろう。

 

 上野の手からジャンプしたチロが、まず舞台に立った。

 和樹はステージに手を掛け、上野と一戸の助けを借り、よじ登る。

 次に上野が、最後に一戸がステージに立った。

 すると、月城が近付いて来た。

 青ざめた顔で、何かを言いたそうに唇を薄く開いている。


「さあ…!」

 三人は屈託なく微笑み、手を伸ばした。

 月城は頷き――ステージに左腕を乗せ、三人の助けを借りて這い上がる。

 


「和樹……!」

 和樹は母の声を受け、そちらを見た。

 母は口元を押さえ、笙慶さんが母の肩を抱いて宥めている。

 和樹は軽く頭を下げた。

 母に哀しい思いをさせるかも知れないが――闘う以外の選択肢は無い。



「ここで闘うとはな……」

「カッコ良く闘おうぜ。能力が、どの程度発揮できるか知らんが」

 一戸と上野はステージ上手かみてを睨む。

 誰が操作したのか――幕が開いた。

 下手しもて側には、方丈日那女が立っている。

 その他の生徒は居ない。


 そして上手かみてから――黒い水干姿の二人が現れた。

 二人とも太刀を持っている。

 観客はどよめき、固唾を呑む。

 二人の異様な雰囲気は、おのずと伝わるものだ。

 


「『暗黒演武』とは、気の利いたタイトルだな」

 上野が言い、月城は頷いた。

 和樹は、もう一度母を見た。

 何も知らぬ観客たちを見た。

 

『魔窟《まくつ』での悲劇は繰り返さない。

 己の心に誓い、『白鳥しろとりの太刀』を抜いた。

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