第70話

 『西遊記』上演直前、和樹たちは周囲に座る家族たちに会釈した。

 一番近い席に座っていたのは、上野の兄の真央まひろさんだった。

 昔から面倒見の良い人で、小学生の頃、上野宅で雑誌の付録を一緒に組み立ててくれたことを覚えている。

 今日も『巨大ロボット研究所』に出向いて、プラ板ストラップを購入してくれたそうだ。


 

「子供が結構いるね」

 久住さんは、後ろの一般席をグルリと見渡した。

 幼児連れの人は、当校の卒業生かも知れない。


「子供にも分かりやすい内容にしたって、ほっちゃれ先輩が言ってたよね」

「『西遊記』と『桃花源記』を合わせたオリジナル台本だとか」

「へぇ~。『桃花源記』は教科書に載ってる話だろ? まだ習ってないけど」

「うん。漁師が、不思議な村に迷い込む話」


 雑談していると、上演を知らせるアナウンスが流れ、五人は口を閉じて前を見た。

 ブザーが鳴って幕が開き、ステージ右側の切株に三蔵法師一行が座っている。



「お師匠様、お昼御飯の饅頭を食べてから出発しましょう」

「この蒸し饅頭、美味しいですぅ~。ハスの実が入ってる!」

「八戒、慌てて食べると、また喉を詰まらせますよ」

「ハスの実は、美容と健康に良いのですわ。オホホホホホ」



「ねえ。あれ、ホントに食べてる?」

「肉まん風のパンを買ったって言ってたから、食べてると思う」

 久住さんと蓬莱さんは、彼女たちの口元を注視して囁き合う。

 

 後ろから「食べたーい!」と子供の声も上がり、すかさず三蔵法師は切り返した。

「近くのスーパーで、109円で売っています。買ってね~!」

 彼女がお手振りすると「買う~」と声が上がり、客席との距離が縮まった。

 

 饅頭を食べ終えた一行が立ち上がると――村人二人と、それを追いかける狐面・黒マントの妖怪たちが現れた。

 しかし、悟空は如意棒、悟浄は降魔の宝杖、八戒は九歯のまぐわで戦い、妖怪たちは逃げ帰る。

 巧みに如意棒を振る悟空に、子供たちは大喜びだ。

 

 助けられた村人たちは、村長が妖怪の城に連れ去られ、村長と引き換えに米と桃を渡せと脅されていると訴えた。

「特に桃は、村の大切な食べ物なのです。どんな病気でも治す不思議な桃。村長を助けて下されば、皆様にもお分けしましょう」


「やったー! お師匠様、妖怪を懲らしめて桃を貰いましょう!」

 八戒は拳を振り回して三蔵法師に詰め寄ったが、三蔵法師は押し止める。

「いいえ、皆様の大切な桃は頂けません。皆様に出会ったのも、お釈迦様のお導き。村長をお助けするのが、私たちの使命です」

「えーっ! 桃ぉ~……」

「困った子ブタちゃんね。オホホホホホ」

「お前たち、グズグズするな! 妖怪の城に向かうよ! ……お師匠様、せめてお粥ぐらい御馳走になりましょうよ」


 ――悟空が発破をかけ、子供たちの笑いが漏れる中、ステージは暗転。

 数秒後にライトが再点灯した時は、背景パネルが城の大広間に変わっていた。

 上手かみて下手しもてから手下の妖怪たちが出て来て、乱戦が始まった。

 手下妖怪が倒されると、黒いドレスを着た城主『狐面女王』が登場。

 こちらは柔道教室に通う浜田さんが演じ、異種対決に客席から感嘆の声が上がる。

 和樹も絶妙なキャスティングに感心しつつ、童心に返って芝居を観ていた。

 しかし――



「つまらぬ……」

「つまらんな…」

 火名月ひなづき三神月みかづきは、憮然と呟く。


「こんな下賤な舞台に立つとは、水影月みかげづきは乱心したか?」

「かくも見苦しい姿を晒すとは、『近衛府』の名折れよ」


「……見苦しければ、お帰り願えますか?」

 二人の背後から、低い声が掛かる。

 しかし、二人は全く動じず――つらつらと返答した。

「裏切り者の水葉月みずはづきか」

「友を売った水葉月みずはづきだ」


 短いが、月城を沈黙させるには的確な言葉だった。

 振り下ろした太刀の感触、音、血の色――

 それらは今も褪せず鮮やかに……彼を苦しめる。

 仲間たちが赦してくれようとも、己を赦すことは不可能だ。

 自分が仲間たちの傍に立っているのは、命をもって償う為だ。



「お前は愚かだ……我々もだが」

 火名月ひなづきは振り向いた。

羽月うげつ如きのために死ぬとは、愚行であった。神逅椰かぐや様に生き返らせて頂いたがな」


 冷え切った彼の表情を見た月城は――説得が無駄だと知る。

 羽月うげつ殿を救うために、惨死を覚悟して敵地に向かった彼らは居ない。

 目の前の二人は、捻じ曲がった心を植え付けられた『傀儡くぐつ』なのだ。


 

「そう思い悩むな。水葉月みずはづき

 三神月みかづきは鼻で笑う。

「つまらぬ舞台を見せられ、厄災であったが……少し面白くしてやろう」


 その言いざまに、月城は慌てた。

 祖父母と孫らしい家族、他校の制服の男子グループ、大学生らしきカップル。

 純粋に劇を楽しむ人々が目に入る。

 後ろの席で、異界の殺戮者たちが爪を研いでいるなど知る由もない人々だ。

 

 黄泉の流れを彷徨っている時に、幾度もあの悲劇を視た。

 二つの国は重なり、黒い楔が打ち込まれ、『魔窟まくつ』と化した。

 罪なき人々は、闇に塗りこめられたままだ――。


 月城は、角帯に差している刀に触れる。

 方丈日那女から借りた刀だが、現世の人間には見えない場所に収めている。

 現世から少しずれた異世に留め置いてあり、常に帯同していた。

 しかし彼らに斬りかかれば、観客はパニックを起こして出口に殺到するだろう。

 死傷者を出すのは、避けねばならない――。




「待って、村長は返す! 命は助けて!」

 舞台端に追い詰められた『狐面女王』は降参し、手下妖怪ともども跪いた。

 

 三蔵法師は頷き、経を唱え――すると、妖怪たちの狐面が落ちた。

 妖怪たちは、その妖力の殆どを失ったのである。

 嘆く妖怪たちを、三蔵法師が諭す。

「そなたたちは東の地へ行きなさい。険しい山道を三日歩けば、小さな湖の畔に着きます。そこで平和に暮らしなさい」


 すると助けられた村長が、袖の中に隠していた小袋を差し出した。

「妖怪たちよ。私は、そなたらを赦す。これは桃の種だ。湖に着いたら、これを植えると良い。桃の木は七日で大きくなり、甘い実が生る。そなたらが悪しき考えを抱かなければ、桃の木は枯れることなく実を付けるであろう」


「あらら、よろしいんですの?」

 悟浄は袖で口元を隠して訊ねたが、村長はにこやかに頷いた。

「構わぬ。彼らが平和に暮らせば、我らも平和に暮らせる」


「ありがとうございます。二度と悪さはしません」

 『狐面女王』と手下たちは小袋を受け取り、頭を下げつつ退場した。

 村長も村に帰り、妖怪との争いも収まった。


「悟空、悟浄、八戒。私たちも天竺への旅を続けましょう」

 一行が城を出ようとすると――後ろから声が響いた。

「三蔵たちよ。村人と妖怪を救ったお前たちの姿を見せて貰いました」

 同時にパネルが倒れ、蓮の台座に座ったお釈迦様が現れる。

 お釈迦さまにスポットライトが当たり、客席がどよめき、子供たちが湧き立つ。

 

 高めのお団子ヘアのお釈迦様が台詞を喋っているが、どよめきで聞こえない。

「お釈迦様、何て言ってる?」

「オレも聞こえねー」

「子供たちに受けてるぞ。大成功じやないか?」

 和樹たちは感心して頷き合う。


 しかし、蓬莱さんは舞台上の異変に気付いた。

 お釈迦様に向かって跪く一行の――三蔵法師だけが、こちらを見ている。

 蓬莱さんはゆっくりと、視線の先を辿った。

 すると、体育館の壁に沿って歩いて来る二人組が居る。

 彼らの体の周囲は、陽炎の如く揺らいでいた。

 

 二人はサッと手を振り、すると着ていたスーツがたちまち黒い水干に変化した。

 烏帽子を被ったその姿は、闇に取り込まれた『近衛府の四将』の出で立ちである。

 

 その彼らの一メートル後ろを、和装の月城が歩いている。

 彼は唇を噛み締め、少し青ざめているように見える。


「……月城くん!?」

 蓬莱さんは立ち上がり――同時に、体育館の全てのライトが消えた。

 館内は薄暗くなり、特に前方は真っ暗闇だ。

 観客たちもいぶかしみ、何事かと騒つく。


「みんな……敵が居る!」

 蓬莱さんは思わず叫ぶ。

 その声に、和樹たち三人は咄嗟に立ち上がった。

 同時に消えていたライトが点灯した。


「ナシロくん!?」

 久住さんの悲鳴に近い声が上がる。

 和樹は――自分を見下ろして驚愕した。

 上野も一戸も絶句する。

 三人は、『魔窟まくつ』で闘う時の装束を纏っていた。

 

「ワン!」

 上野の足元に座っているチロが、可愛らしく鳴いた。

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