第69話

 幕の向こうの客席のざわめきが聞こえる。

 ライトの下のステージ上では、『西遊記』のセット設営が終わりつつあった。


「妖怪城と木のパネル、注意してね」

 委員長の塚元さんは、ベニヤ板の両端で屈むクラスメイトに声を掛ける。

 ステージ上手かみてには、立ち木を描いたパネル、その後ろには妖怪城広間を描いたパネルを置いている。

 

 孫悟空一行たちの道中シーンでは立ち木のパネル絵を見せ、妖怪城に潜入後は立ち木パネルを前に倒し、妖怪城広間のパネル絵を見せる。

 二枚のパネルの後ろには、お釈迦様を演じる沢渡さんが蓮の台座に座って待機。

 沢渡さんの背後には、後光や雲を描いたパネルを立てている。

 ラストシーンで、妖怪城パネルを倒し、お釈迦様が出現するのである。

 パネルを倒す際は、出演者たちに当たらないように注意しなくてはならない。

 その重責を担うクラスメイト達は、顔を強張らせている。

 安全を考慮して『背景布を吊るして落とす』案も出たが、布に描くより紙を貼ったベニヤ板に描く方が見やすい、と云う結論に至ったのだ。


 そして、孫悟空一行は全員が『女性』となった。

 ゲームなどで『異性化』や『擬人化』がポピュラーだから、それに乗った形だ。

 『孫悟空』は赤いチャイナドレス&膝丈スパッツ、水の妖怪『沙悟浄』は、薄青いロングドレス、『猪八戒』はピンク色のゴスロリワンピを着る。

 『三蔵法師』も尼僧だが、原典を意識した山吹色の僧衣に白い帽子もうす姿とだ。

 ちなみに『孫悟空』役は、薙刀・剣道部の津田さんが演じる。


「思ったより、席が埋まってるな」

 幕間から客席を覗いた『三蔵法師』役の方丈日那女は、クラスメイトに告げた。

 同時刻、校庭の屋外ステージでは、二年生のクラスのバンド演奏が行われている。

 そちらにも客が集まっている筈だろうから、上々の客入りだろう。


「有料席は、ほぼ埋まってるね」

「良かった。自腹切ったけど、元が取れるね」

「学校が色気出して有料にするから、余計な苦労したけどね」

「色々あったけど、今日が高校最後の『桜夏祭』だよ。子供たちも観てるから、頑張ろう!」


 塚元さんが、全員を鼓舞する。

 放送部のアナウンスが流れ、全員が配置に付いた。

 悟空たち四人は、小道具のお弁当を持ってステージ上手かみて側に座る。

 天竺への道中、休憩している一行の所に、妖怪に追われた村人たちが逃げて来る展開だ。


 

 が――方丈日那女は、只ならぬ気配を察した。

(……奴らが来てる!)

 幕の向こう――客席から、彼らと同じ『気』が漂ってくる。

 この距離に近付くまで、気付かなかったとは不覚だ。

 教頭の事件後に『結界』を張ったのに、あり得ない不手際である。

(いや……『あの御方』の『結界』が強くて、勘付くのが遅れたのか?)


 幕の向こうを睨みつつ、考えを巡らす。

 先ほど覗いた時は、和樹たちは楽し気に話をしていた。

 奴らが接近した今も、気付いていない可能性がある。

 だが、大勢の観衆が居る前で迂闊なことは出来ない。

 無関係の人々が傷付くのを危惧し、『あの御方』は静観していると推察する。


 何より、ここで劇を中断すさせることは出来ない。

(くっそ! なるようになれ!)

 さすがの日那女も居直るが――切ない痛みが胸を突く。

 遠い異世での過去――『近衛府の四将・叙任の儀』で、彼らに霊護と数珠を授けたのは自分と姉だ。

 彼らの瞳は輝き、誇りと歓喜に満ちていた。

 なまじ当時の記憶があるだけに、辛さが増す。


(辛いのは……『あの御方』も同じか……)

 自分を守護兵であった『四将』たちが、敵対して闘うのだ。

 敵となった者たちは、生前の気高い『心』を失っている。

 良き仲間であった彼らの闘いを目の当たりにするのは、身を切られる思いだろう。


(みんな、頼む……彼らの『心』を救ってやってくれ…!)

 日那女は祈る。

 彼らを倒すことだけが、非情なる『救い』なのだ――。






「月城くん……顔色が悪いですよ」

 水を入れた鉄瓶を立礼卓りゅうれいたくに置いた舟曳ふなびき先生は、浮いた手付きでお菓子を並べていた月城に声を掛けた。

 上級生部員も彼を注視し、女生徒たちの着崩れをチェックしていた信夫しのぶ先生は舟曳ふなびき先生をチラ見する。


「ここは大丈夫ですから、保健室で休んで来なさい。静かにね……行ってください」

「はい……!」

 意図を汲み取り、月城は全員に一礼して教室を出る。

 

 彼も、午前中から異変を感じていた。

 間違いなく――火名月ひなづき三神月みかづきが校舎内に居る。

 舟曳ふなびき先生には何度か目配せしてみたが、先生は応えてくれなかった。

 

 だが、ここに至って指示が出たと云うことは、敵が臨戦態勢に入ったに違いない。

 和樹たちは、体育館に居る。

 方丈日那女もだ。

 何かが起きるとすれば――だ。

 彼は人の波を避けつつ、廊下を渡る。

 闘いは避けたいが――お仕えしていた『御方』からの勅命である。

 あの世界では、一度も勅命が下される隙は無かった……と奇妙な感慨に捕らわれつつも、仲間たちの元に急ぐ。







(ヒマだにゃ~ん……ニャンニャン♪)

 ミゾレは、猫用ベッドで大きくアクビをして寝返りを打った。

 

 久住家は無人である。

 ご主人の『千佳ちゃん』が、帰るのは夕方だ。

 『お母さん』は、それより早くご飯を買って帰って来る。

 『お父さん』が帰るのは、もっと遅い。

 最近は『魔窟まくつ』には呼ばれない。

 時々会いに来てくれる『お姫さま』も元気にお過ごしの御様子だ。

 

 『弦月げんげつさま』への、ほんのりな想いは、胸にしたためている。

 あの方が、神名月かみなづきたちのために取った行動を思い出すと、やっぱり胸がキュンキュンする。

(……いいもん。叶わなくても、好きニャンだから……)

 方丈家のパーティーで出会った黒猫も遊び相手には良いが、あれきり会えない。

(彼は普通の猫だし……でも、会えるように頼んでみようかニャ?)


 猫用ベッドから降り、『千佳ちゃん』のベッドの下に潜り込む。

 平たい段ボールの中に、『コックリさんセット一式』が入っている。

 こちらの意思を『千佳ちゃん』に伝える唯一の手段だ。


 ところが――急に、足元に穴が開いた。

 あっと云う間に、真下に引きずり込まれる。

(えっ? こんな時間に『魔窟まくつ』に呼ばれるニャ??)

 

 『魔窟まくつ』に呼ばれるのは、いつも夜だ。

 『千佳ちゃん』に正体がバレてからは、『千佳ちゃん』に「今夜は、闘いがあるんだって。頑張ってね。怪我しないでね」と抱かれて励まされてから送り出される。

 それが、今は何の予告も予兆も無く墜っこちた。



 が――ストン、なだらかに着地した。

(ニャッ!?)

 見ると、足元は太い木の柱――横木の上に立っている。

 しかも、猫の姿のままだ。


(え、え、え?)

 驚きの余り柱から落ち掛けたが、どうにか難を逃れた。

 何やら、下から声が聞こえたから覗くと――人間たちが声を張り上げている。


「高貴な法師さま、どうか村をお救いください。村長様が、妖怪に攫われたのです。村長様を返して欲しければ、今年採れた米と桃を全て持って来いと脅されています」


「分かりました。私たちがその妖怪を退治して、村長様を救い出しましょう。悟空、悟浄、八戒、行きますよ」


(……日那女さん? お芝居…してるの? でも、ここはドコよ?)

 見回すと、足元は横木が格子状に組まれた高い場所だ。

 前方の横木にはライトが設置され、下を明るく照らしている。

 下の舞台には薄い壁が立てられ、その間に女生徒たちが屈んでいる。


(ごくう……ごじょう、はっかい……聞いたことある。昔の物語よね?)

 ミゾレは必死に記憶をたぐる。

 今の自分か、それ以前の自分の記憶か……『ごくう』や『ごじょう』が出る物語を誰かが語っていたのを聞いた。


(それより、どうすればイイのよ? 何で、こんなトコに?)

 見た限りでは、飛び降りられる高さだが……飛び降りて良いのか悩む。






玉花ぎょくかの上さまの猫か」

「上さまへの貢ぎ物だ」

 ステージを凝視していた火名月ひなづき三神月みかづきとは頷き合う。

 三神月みかづきが、ミゾレをここに転移させたのだ。

 遠方に居る相手を引き寄せるのは、少々てこずったが――


「猫も犬も馬も、御神木さまのこやしには物足りぬな」

「御神木さまのこやしには、神名月かみなづきらが相応しかろう」


 ――二人の口角は、いびつに吊り上がった。

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