第68話

 昼に近付いた頃――来場者用食堂のテーブルは、ほぼ埋まっていた。

 焼きそば、焼き鳥、おにぎり、サンドイッチ、ワッフル、ポップコーン。

 そしてアイスと飲み物が販売されており、食券と引き換える。

 沙々子たちもタマゴサンドとおにぎり、飲み物を購入し、雑談しつつ食べていた。


「和樹くんたち、落ち着いていましたね」

 笙慶さんは先程の和樹たちの所作を思い出し、沙々子に言う。

 一年生なので、茶道具を運んで片付ける役割だったが、卒なくこなしていた。

 和樹もスムーズに動いていて、着物で動き慣れている風だった。

 本人は気付いていないようだが、『神名月かみなづき』として和装で動き回っていたのが功を奏したのかも知れない。

 

 なお、岸松おじさんはお茶の抽選に外れたのだが、外れた客は前方で見学可能だ。

 よって、スマホでの撮影役を買って出てくれた。

 

「天音さん、着物だと大人っぽいですね」

「ええ……私も少しビックリしちやって」

 沙々子の言葉に、村崎さんは笑顔で頷いた。

 今のところ、『祖母』と『孫』の平穏な生活が続いているようだ。

 行方不明の娘夫婦に不安はあるだろうが――口には出さないのだろう。

 沈黙していれば、今の暮らしが守られると信じて……。

 

 岸松おじさんはと云うと――紅茶を飲み干し、左右を見回して立ち上がった。

「宇野くん、御手洗いの場所は判るかな? ひとりで歩くと、迷いそうで」


「はい。では御一緒に」

 笙慶さんも席を立ち、揃って教室を出た。

 少し歩いた男子トイレの向かいで立ち止まり――顔を近づけて話す。

「……気付いてるかね? 校舎全体が、強力な『結界』のようなもので包まれているようだが」

「はい……実は『魔窟まくつ』に引き込まれて以来、感覚が鋭敏になりました。沙々子さんも気付いてらっしゃると思います」


「先月の保護者会でも思ったが、何者かが霊道を網で塞いでいる感じかな……悪霊が通れないような。だが……」

 岸松おじさんは、ポケットから醤油さしを出して見せる。

「嫌な悪意をチラチラ感じるんだが、『結界』が強すぎて見分けられない。これを身から外したら、特定できそうな気がするんだが……」


 しかし、笙慶さんは両手を振って制止する。

「それはマズイですよ。蓮からも、寝る時も身に付けるようにと念を押されてます。村崎さんもお持ちですよね?」


「ああ。天音くんが渡している。醤油さしは変だから、キーホルダー付きの小瓶に、例の水を入れたそうだ。とにかく、学校を離れるまで油断は出来ない」

 岸松おじさんは、醤油さしをポケットに戻した。

 

 

 その横を――長髪を束ねた、グレーのスーツの二人組が通り過ぎた。

 彼らは焼き鳥とおにぎり、炭酸飲料入りの紙コップを手にしている。


「……甘くて気持ちが悪い飲み物だ。炙り鳥と屯食とんじきは悪くない」

「……この泡は何だ? 丸めた紙を椀として使うとは奇策だが」


「舞台で奇妙な装束で舞っていた者たちの、何と不埒ふらちなことよ」

「娘が腹と脚を出して舞うとは……楽の音も、雅の欠片かけらも無い」


「……後ろにいた僧は、神逅椰かぐや様が……」

「……手駒に使った奴だな。放って置け」


 火名月ひなづきは、炭酸飲料を飲み干す。

「帝は我らには気付いているようだが、騒がぬ気配だ」

「民どもから死人しびとを出さぬ気遣いか。腑抜けの所業よ」


「……ならば、民どもの前で『八十九紀』の四人を死人しびとに変えてやろう」

 彼の手の中で、紙コップは炎を発し――すぐに消えた。

 たまたま目撃した数人は目を丸くしたが、長く気に止めずに通り過ぎた。

 教職員がマジックを披露したと思ったのかも知れない。

 


 




 方丈日那女のクラスが上演する『西遊記』は、午後一時から始まる。

 和樹と月城、久住さん、蓬莱さんは茶道部控室で昼食を摂った。

 羽織に袖を通した和樹は、久住さんと蓬莱さんを促す。

「そろそろ、体育館に行こうか」

 

 午後のお点前の一席目は午後一時半開始である。

 月城は午後の席の参加なので、『西遊記』を観るのは無理だ。


「午前に回して貰えれば良かったのにね」

 久住さんは気遣うが、月城は少し顔を逸らして答えた。

「別に……午後の席にも、男子が居た方がバランスが良いかと思っただけで。後で、録画を見せてくれるだろうし」


「ごめんね。じゃあ、行って来るから頑張ってね」

 蓬莱さんが声を掛け、三人は控室を後にする。

 浴衣姿の女性客や、妖怪の扮装の生徒もいるので、着物でも目立たない。


「久住さんのご両親、来れなくて残念ね」

「うん。仕事を休めなくて。でも、録画を見てもらうから。来年は、子供たちだけのお点前もやりたいね」


「そうだね……」

 和樹は答えたが――不安が鎌首をもたげた。

 まさか――来年も自分たちは闘っているのだろうか。

 

 神逅椰かぐやが陣取る『宝蓮宮ほうれんのみや』には近付いている。

 妖月あやづきを浄化し、夜重月やえづき紗夜月さやづきを倒した。

 残るは、火名月ひなづき三神月みかづき、そして自分のニセ者と水影月みかげづきのニセ者と……


(僕のニセ者が居るなら、雨月うげつたちのニセ者が居るだろうし。それに……まさか羽月うづき様のニセ者も居るんじゃ……)


 思うに、最も闘いたくない相手が『羽月うづき』だ。

 親友だった神鞍月かぐらづきを諫めるために、酷い刑罰を受けたと云う。

 妖月あやづきに掛けられた術中で見た彼は、穏やかで秀麗な男性だった。

 そのニセ者と敵対したら……如月きさらぎは平静に闘えるだろうか?

 

 そして、全ての敵を倒した時――自分たちは、現世で大人になれるのだろうか?



「ナシロくん?」

 呼ばれて顔を向けると、久住さんの怪訝そうな顔が在る。

 慌てて笑顔を作り、「お点前の反省してた」と取り繕った。

 今朝もそうだが――闘いのことを思うと、マイナスな未来ばかり想像してしまう。


(駄目だ……今は楽しまなきゃ!)

 気持ちを高ぶらせ、足を速める。

「急ごうか。遅刻したら、先輩に大目玉を食らうからね!」





 三人が体育館に付くと、整然と並べられたパイプ椅子の三分の二は埋まっていた。

 前列五列までが有料の指定席で。そこから後ろは無料席である。

 和樹たちは最前列に座ることが出来た。

 無論、方丈日那女の厚意によるものである。

 有料席は、ステージの出演者ひとりに付き五席までを確保できるのだ。

 

 全身タイツにジャケットを羽織った上野と一戸は着席しており、和樹たちもその横に腰を下ろす。

 左端に近い席には、沙々子たち四人が座っている。

 そして二列目には、一戸の妹と友人たち。

 上野の兄も同列の中央付近に座っている。

 日那女が友人に頼み、全員分の席を確保してくれたのだ。



   

 月城宅で舟曳ふなびき先生にお茶を御馳走になった翌日。

 和樹は、昼休みに方丈日那女に謝罪した。

 前日に廊下ですれ違った時に無視してしまったことを、だ。

 夜重月やえづき紗夜月さやづきとの闘いで打ちのめされていたとは云え、家族同然にサポートしてくれる彼女に、心ない態度を取ってしまった――。

 何より、彼女――水影月みかげづきは、神名月かみなづきたちが処刑された後に、敵陣に斬り込んで殺害されている。

 恩人に尻尾を向けるような行為をしたことが恥ずかしく――あの水飲み場で、座り込んで謝ろうとした……が、彼女に笑顔で制止された。


「全く気にしてないぞ! お前たちに手を掛けるのは、弟の面倒を見ている気分になれる。お前たちは、姉と弟を救ってくれたしな!」


 

 その言葉を思い出し――じんわりと涙が浮かぶ。

 彼女だけでなく、母や岸松おじさん、笙慶さんたちが助けてくれている。

 舟曳ふなびき先生も、方丈幾夜いくや氏も、『魔窟まくつ』に匿われている父も……


(……みんなが居てくれるから闘える……)

 和樹は涙を抑え込み、ステージ上に垂れている臙脂えんじ色の幕を眺めた。

 幕が揺れているのは、後ろで生徒たちがセットを整えているからだろう。

 


「間も無く、三年二組の『西遊記』の上演が始まります。場内が暗くなるので、着席をお願いします。上演時間は、40分です」

 アナウンスが流れ、ステージ前方の天井のライトが消された。

 観客たちの声が静まっていく。


 教師が、体育館の後ろの観音開きの扉の片方を閉じた。

 その直後――開いている方の扉から、火名月ひなづき三神月みかづきが足音も無く入って来た。

 二人は空いている最後尾の椅子に座り、足を組み、不敵に前方を睨んだ――。

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