第12章(上) 双空の宴

第66話

 浄衣姿の者たちは四十人余り――。

 彼らは禁忌の地の『黄泉の泉』のほとりに跪き、最期の時を待っていた。

 鈍色に淀んた泉の水はうねり、背後から吹き付ける風は枯れ木の枝を揺らす。

 古びた木枠の輿に掛けていた老巫女は、荒れた空を見上げる。

 夜明けが近いと云うのに、空は不気味な黒雲に覆われ、お天道様の光は見えず。

 一面は暗く、互いの顔さえよく見えない。


「……みな、互いの手を取れ。離れるな」

 老巫女の言葉に若き姉妹は身を寄せ、瞼を閉じた。

 老父は息子たちを抱き、飼い犬たちは固まって座る。

 お腹の大きな妻を、夫が優しく抱き締める。


「大巫女さま……遠き来世にお会いしましょうぞ」

 方丈の老翁は立ち上がった。

 託された『白鳥しろとりの太刀』を二枚の美しい衣で包み、胸に抱いている。

 

「行け……ヤトル」

 老巫女は微笑み、老翁も笑みで応える。

 姉から、名で呼ばれるのは何十年振りだろうか。

 若くして一族の『宿老しゅくろう』となり、姉の助力で『黄泉の泉』を守ってきた。

 

 だが、二つの国は間もなく闇に墜ちる。

 『黄泉の国』との道も断たれ、死者たちの魂は閉ざされた闇を彷徨うであろう。

 だが、希望はある。

 『黄泉の泉』に沈められた若者たちは、その日のために『黄泉の川』を下り、この世の外で新たな肉体を得る。

 それを拠り所として、『黄泉の川』を遡り、闇を放逐するために帰って来る。



「大巫女さま……!」

 仔犬たちの頭を撫でていた少年が叫んだ。

 彼方の地平――王都から、一条の紅の光が天を貫くように伸びた。

 天に刺さった光の周りの雲は、暴れる竜のごとく蠢き、目にも止まらぬ速さで八方を覆う。

 空は完全に蠢く雲で覆われ――紅の光の周囲の空から太い棘が伸び、轟音を降らせながら地を貫き始めた。

 棘は百年を生きた大木を二十本束ねたほどの太さで、人が営んで来たものを潰し、容赦なく破壊していく。

 棘の数はどんどん増え、抗う術なく地は揺れ、割れ、泉も激しく凪ぐ。




「……みな、待っていてくれ……彼らが戻る日を……」

 老翁は前を向き――波逆立つ『黄泉の泉』に足を踏み入れた。

 濁った冷たい水は、脛布はばきを灰黒色に染めていく。

 背後に居た体格の良い若い男が、地に於いていた刀を手に立ち上がった。

 ためらわずに、老翁の首を斬り付ける。

 老翁は声を発することなく前のめりに倒れ、その体は速やかに水底に沈んだ。

 老巫女は、祈りの言葉を以って見送る。

 


「……すべきことは果たした。我らは己の血と魂で結界を成し、この泉を守ろうぞ。猛き若者たちが戻るため日のために……」

 

 老巫女の声は、吹く風さえも寄せ付けずに響き渡る。

 一族の者たちは、泉の水を産湯うぶゆとする。

 死した身は、周辺の地に深く埋められる。

 禁忌の地は一族の墓所であり、彼らは土地に身を捧げて泉を護って来たのである。

 祖先たちの血と魂の力は、あの暴虐な力を弾き返すであろう――。



 ……地を貫く棘の群れは近付いて来る。

 少年は目を拭い、犬たちを庇うように覆い被さった。

 大巫女は輿から降り、痩せた体を引き摺るように歩き、少年の背を抱く。


 唸る音が近付き、血の臭いが激しくなる。

 貫かれた大地がいている。

 

 太い棘は禁忌の地の上空にも現れた。

 棘が伸び、枯れ木を潰し、土が舞い、地が割れる。

 全てが貫かれていく中――鈍色の水を湛えた泉だけは、邪悪なるものを弾いた。

 引き裂かれてる命の中――枯れることなき泉の水は、深き場所で『黄泉の川』と合流する。

 祈りは水に溶け、遥かな異郷を目指して流れ行く。



 やがて……静寂は訪れた。

 地を貫いた棘は朽ちていき、灰と化し、降り積もる。

 それも、吹く風にさらわれ、何処ともなく消えた。

 地の裂け目も癒え、人の住んでいた村も町も都も、元の形骸かたちに戻った。

 人の姿をした影たちも動き始めた――。

 意思を失ったむくろたちが――。





 


 ◇

 ◇

 ◇






「くっそー。早く脱ぎてえええええ! トイレ面倒くせー!」

「似合うよ、ブロッサムレッドくん」


 赤い全身タイツに革ベルト、黒ブーツ姿の上野は、トイレの鏡の前で嘆く。

 彼は、巨大ロボット『カイザーブロッサム』を操縦する『ブロッサムレッド』に抜擢されたのだ。

 それを慰める和樹は、父の形見の和服姿である。


 今日は『桜夏祭』最終日で三日目。

 一般客を入れる日だ。

 

 すでに校内は喧騒に包まれており、展示物の補修に動き回る生徒もいる。

 和樹のクラスの制作展示は『プラネタリウム』で、あとは客入れを待つのみだ。

 昨日同様に早く登校し、茶道部のお点前披露のための着替えも終えている。

 月城は独りで和服を着れるし、和樹は今日も舟曳ふなびき先生に手伝って貰って着替えを済ませたのだ。


 『巨大ロボット研究所』は、段ボール製コックピットを二基作った。

 客が座って写真撮影も出来る。

 オリジナルヒーローの『ブロッサムレッド』と、パソコン部部長の吉崎さん扮する女性ナビゲーター(キュロット&黒タイツ)や、所員たちとの記念撮影もOKだ。

 『ブロッサムレッド』&所員のイラスト入りプラ板ストラップも造り、百円で販売する。


「後輩諸君! 来年は青・黄・桃・緑も揃えてショーを披露するぞ! そのために、おおいに宣伝に励もうではないか!」

 昨日、そう高笑いしたのは、方丈日那女である。

 だが彼女はクラスで上演する『西遊記』の準備で忙しく、今日も『研究所』に顔を出して早々に立ち去った。

 

 代わって仕切っているのは、なぜか吉崎さんである。

 『ロボット研究所』の所員は30人を超えるが、自分のクラスや部活の展示が優先で、今日『研究所』に出勤可能なのは10人余りなのだ。

 パソコン部は製作したゲームを披露・試遊してもらうのだが、「副部長に任せてるから」と『所長代理』を名乗り出たのである。

 


 

 そうこうするうちにチャイムが鳴り、和樹と上野は教室に戻った。

 久住さんと蓬莱さんも、すでに和服に着替えていた。

 久住さんは薄紫色、蓬莱さんは薄灰色の薄地の着物である。

 無地の着物は、一段と大人っぽく――しとやかに見える。



「女子部員は、着替え終わったの?」

 訊ねると、久住さんは首を振った。

「午後のお点前の生徒は、まだ。月城くん、午後のお点前なのに早いね」

「和服、着慣れてるみたいだから」

 蓬莱さんは答え、席に付いている月城を見た。

 薄い山葵わさび色の着物が似合っており、昨日の初披露では女生徒の注目の的だった。

 来年からは、茶道部男子が増えそうな気配である。



(お点前の後に、プラ板の売り子をして、お昼を食べて、『西遊記』を観て、プラネタリウムは五回目の回にナレする、と。パソコン部にも顔を出して……)

 和樹は、頭の中でスケジュールを組み立てつつ、着席した。

 クラス企画のプラネタリウムの上演は、全部で8回だ。

 設計・組み立て・操作を含め、全員参加が義務付けられており、ナレーションはなまで行う。

 5回目の上演で、和樹と中越さん、八木さんがナレーターを務めるのだ。

 今日は、放課後まで着物を脱げないだろう。


 ふと女子の忍び笑いが耳に入り、そちらを見ると――上野のコスチュームに笑いが零れた様子だった。

 彼の全身タイツは、今日が初披露なのだ。



 穏やかな情景に、和樹は開いた窓の向こうの空を見た。

 この世界と『三途の川』が接していて、その向こうに過去世の自分の故郷がある。

 そこに『運命の恋人』の蓬莱の尼姫と父が居る。

 神逅椰かぐやなる敵を倒し、父を霊界に帰還させるのが目的だ。


 神逅椰かぐやを倒せば、悪霊化した者の魂は救われる。

 影と化した人々は、元に戻れるのだろうか?

 そして……自分は?

 

 自分の魂の祖――神名月かみなづきは、尼姫を愛している。

 尼姫は、あちらの世界に居るが……その化身の蓬莱さんは、こちらに居る。

 

(……雨月うげつは、彼女とか居なかったのかな。あっちとこっちで恋人が居たとして……どっちを選ぶだろ?)


 思わず、斜め前方に座っている一戸に矛先を向けた。

 雨月うげつは十九歳だったと聞いた。

 あちらでは、結婚していてもおかしくない年齢だろう――



 不意に日直が「起立!」と言い、和樹は慌てて立つ。

 考えに耽っていて、担任の坂井先生と副担任の信夫しのぶ先生が入って来たのに気付かなかった。

 和樹は、面倒な考えを引っ込める。

 

 とにかく、今日は『桜夏祭』の最終日だ。

 初日のパレードも成功し、昨日の関係者招待日も無事に終わった。

 一般客を入れる今日が成功すれば万々歳である。


 和樹は自分の衣装を見直し、父に語り掛けた。

(父さん……僕のお点前、見ててね。きっと、見えるよね……)

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