第65話

「月の『王帝御三家』と関りがお有りなのですね…?」

 神名月かみなづき殿は、老翁に訊ねた。


 『王帝御三家』の古名――それが『方丈』『蓬莱』『瀛洲えいしゅう 』だ。

 『蓬莱』は『月窟つきのいわ』の水脈を探し当てた一族とする古書もあるが、真実は定かではない。

 

 そして、あの『白弦しろつるの儀』に於いて知った姫君の『名』――。

 『あまの いざなみの ほうらいの るりこ』――。

 如何なる文字で記すのか知らないが、『の』は『蓬莱』を当てるのは間違いなく、姫君の『名』を知る老翁は、やはり只人では無い。 




「……そんな話は、どうでも良いわ」

 老翁は泰然と、鼻で笑う。

「それより……お主らも、明日に投降しよるか? 死ぬ覚悟とな?」


「はい。後輩の童子たちが、修練場にて軟禁状態にあると聞きます。我らの命と引き換えに、童子たちの解放を願い出る所存にございます」


 神名月かみなづき殿が言い、王后はこうべを垂れた。

「済まぬ……月帝つきみかどたる我が兄の力不足であった……」


「いいえ。王后さま。『近衛府の四将』でありながら、月帝つきみかどさまをお守りできず、暴政を止めらなかったのは我らの不徳です。申し訳ございません……」


 神名月かみなづき殿の言葉は詰まる。

 死は、怖くは無い。

 水葉月へのわだかまりも消えた。

 月の争乱が起きる前に、父に送った便りは届いただろう。

 心残りが在るとすれば――神逅椰かぐやに一太刀も浴びせられなかったことだ。

 剣士として、無力である我が身が情けない。

 

 無言のうちに滲む無念を読み取ったらしい老翁は……几帳の後ろに手を伸ばした。

「……お主に、これらを託す」

 

 老翁が引き寄せたのは、真新しい竹籠だった。

 そこには銀糸で紋様を織り出した白い布と、山吹色の布が治められている。


「これは……?」

 神名月かみなづき殿は竹籠に近寄り、白銀の光沢を持つ布を取る。

 それは広い袖のある表着うわぎたが、驚くほどに『力』に満ちていた。

 術士が駆使する霊符の如く、圧倒的な『力』が織り込まれている。

 もう一枚の山吹色の布にも金糸が織り込まれ、星のように輝いている。


「我が一族の乙女たちが織り、瑠璃子姫が仕立てた表着うわぎ大袿おおうちきじゃ。そなたの身を護るであろう」

 老翁は、姫君を本当の『名』で呼び――姫君は頷く。

 夫の装束は、妻が用意する習わしである。

 姫君が『名』で呼ばれ、神名月かみなづき殿の装束が姫君の御親の前で贈られたことの意味は、ただひとつ――。


 神名月かみなづき殿の胸は大きく波打ち、心の臓が熱を放つ。

 最後の一夜に、姫君の夫と認められたのである。

 恋文の一通さえ届けることも叶わず、それでも夫となった――。

 身分柄ありえない事態に、ただただ畏まり、御親の王と王后に平伏す。

 


「寝とる場合か。この太刀も持っていけ」

 老翁は純白の太刀を取り、神名月かみなづき殿の手前に置いた。

 それは、神名月かみなづき殿を更に驚かせた。

 姫君から贈られた装束に優る霊刀であることは、触れるまでもなく分かる。


 柄も鞘も、白一色である。

 柄糸は真新しく、銀糸と白絹糸で編まれている。

 鞘の二ヶ所に取り付けられた帯取おびとりには銀泊が貼られ、それに通された太刀の緒も白い。

 


「その鞘は、お主のために造ったのじゃよ」

 老翁は鞘を指先で撫でた。

「御神木から接ぎ木した桃の木より削り出し、『白弦しろつるの儀』で使った弓の一部を薄く削り、鞘に嵌め込んだ。お主の本名も刻み、幾重にも塗り固めた。銘を『白鳥しろとりの太刀』と言う。持ってみよ」


「はい……」

 渡された太刀を両手で捧げ持つと、それは重くもなく軽くもなく、まるで身の一部であるが如くに、手に吸い付く。

 今まで持ったことは無く、けれどこれから数え切れぬほど振るう太刀だと――奇異な確信が湧く。



「それは、千年より前から我が国に伝わる秘刀だ……」

 王は、温かな眼差しで仰る。

「だが鞘は無く、刀身はこの『玉の間』の塗籠ぬりごめに収められ、年に一度、あのお社で清められていた。方丈翁が、『白弦しろつるの儀』の後に、私に申し出た。あの『白鵠びゃっこう』の名を持つ巫子が太刀の主となる、とな。ゆえに鞘を造らせ、私が『白鳥しろとりの太刀』の銘を授けた」


「しかし、王君さま……私は……」

 未熟者の自分に、このような霊刀を預けられるのは、畏れ多い。

 それに、投降すれば全ての持ち物も着衣も取り上げられる。

 髪を断たれ、粗末な衣を着せられ、処刑場に引き出されるだろう。

 立派な表着うわぎも太刀も、もう自分には不要なものだ。

 


「その太刀と装束は、この方丈が預かる。来世のためにな」

 老翁は瞼を閉じ、染み入る声で呟く。

「そなたの『死』は避けられぬ。だが……希望は捨てぬ。我ら一族が守る御山の地下にある『黄泉の川』……死した者はそこを渡り、またこの世に戻ると言われる。この爺は、その川の畔で、そなたが戻る日を待とうぞ……」


「方丈さま……」

 感極まった神名月かみなづき殿は、姫君を見た。

 その御袖にすら触れたことも無い高貴な御方である。

 にも関わらず、自分は姫君の夫と認められた。

 身に余る幸福であるが……

 

  

「私と王君さまは自害を果たす……」

 王后は数珠を握り締めた。

 無血開城を聞いた時より、御二人の御覚悟は分かってはいたが――こうして御言葉を聞くと、やはり御労おいたわしい。

 けれど、御止めすることも出来ない。

 辱めを受ける前に、とお決めになったことならば……御意思を尊重するより無い。

 


「姫のことも……そなたは心配せぬように。覚悟は出来ている筈……」

 王后は愛娘を眺め――姫君も顔を上げた。

 その顔は毅然と輝き、誰かに縋ろうとする気色は露ほども無い。

 水影みかげ御前が「姫さまは、お前が思うよりも強い」と言っていたのが、今は分かる。



「方丈さま……では、装束と太刀をお預けいたします。いつかこれらを纏い、神逅椰かぐやを倒します」

 太刀を竹籠に置き、老翁に拝礼した。

 すると老翁は言う。

「それが、そなたの定めなり……我は古の神に、その運命を捧げよう……」

 老翁も、深々と返礼する。


 目を覚ました美名月みなづきが、可愛らしく鳴いた。

 姫君は微笑み、その腹を撫でた。




 神名月かみなづき殿は四人と挨拶を交わし、御部屋を出た。

 姫君の夫と認められたとは云え、夜を共にするつもりは更々ない。

 姫君が仕立てた衣装を頂いただけで充分だ。

 神逅椰かぐやの書状には『姫を妻に迎える用意がある』と記されていた。

 万一のために、姫君の御体を無垢に保って置かねばならない。

 自分は死にゆく身であり――あとは姫君の御安泰を祈るのみだ。


 そして――雨月うげつ如月きさらぎ水葉月みずはづきのことを話そう。

 三人で、彼を待とう。

 彼は、いつか戻って来る。


 神名月かみなづき殿は天高く座す月を眺めた。

 いつか――生まれ変わって、あの月を眺める時が来るのだろうか。

 その時――四人で、在りし時を懐かしんでいるだろうか。

 

 最愛の人は……傍に居るだろうか……

 

 



 

 ◇

 ◇

 ◇





「ほら、どう?」

 母に促され、和樹は玄関の壁に取り付けられている細長い鏡を見た。

 明日から始まる『桜夏祭おうかさい』で、茶道部は抽選に当たった客にお点前を披露するのである。


「うん……似合うかな?」

 和樹は背を伸ばす。

 父の形見の明るい紺色の羽織付きの着物を着せて貰った。

 ちょっと恥ずかしく――誇らしい。

 自分でも、ついつい似合うと思ってしまう。

 けれど――母とは、「父さんは無事だから」などの会話を控えていた。

 闘いに関する話は、出来るだけ避けたいとの思いからだった。

 


「お点前、頑張るよ! 抽選、当ててね」

 和樹はガッツポーズをした。

 当日は、男子部員は舟曳ふなびき先生が、女子部員は信夫しのぶ先生が着付けをしてくれるのだ。

 和服を都合できない生徒は、舟曳ふなびき先生の厚意でレンタルさせて貰う。

 

 岸松おじさんの車で、母と笙慶さん、蓬莱さんのお祖母さんが一緒に来校することになっており、みんなが抽選に当たればいいと期待している。



「一戸くんたちの御家族も来るの?」

 母も嬉しそうに訊ね、和樹は頷いた。

「うん。一戸の妹さんは友達と来るって、上野のお兄さんも」

「あんたのお点前披露は午前中ね?」

「午後は、方丈先輩のクラスの『西遊記』を見なきゃ。先輩が三蔵法師役なんだ」


 当日の午後、体育館ステージで『西遊記』が上演されるのだ。

 まだ、方丈日那女の正体について母には話していないが……


 「もう、脱ぐよ。そろそろ、お風呂に入らなきゃ」

  仏壇のある和室に戻り、網戸の向こうの月を眺めた。

  綺麗な半月が夜空に浮かんでおり、和樹は誓う。

 (お点前披露、頑張るぞ!)

  



 

 しかし――この時は、『西遊記』上演直後に、火名月ひなづき三神月みかづきとの闘いが起きるとは思っても見なかった。

 よもやの、観衆の目の前での戦闘となるのである――。

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