第60話
「キンチョーしたぁ~」
「まだ、足がガクガクしてるよ…」
「使者様が何を言ったか、さっぱり覚えてないんだけど~」
「ほーんと、疲れたね」
月の国の使者との謁見は終わり、『玉の間』の姫君の部屋に戻って来た所だ。
御座に座った姫君もさすがに疲労を感じ、
そして――先ほどの謁見を思い起こす。
『この
『後ろの者たちは、修練中の『近衛童子』より選ばれた者にございます。王后さまのご厚意により、見分を広めるために半年の滞在を許されました』
このような公の場でなく、私的に話をして教えを乞いたいと思う。
だが、それ以上に――今は、後ろの少年たちが気になる。
向かって左から二番目の者は元服済みらしく、烏帽子を被っている。
その左に座る彼こそが――
「この国の全ての民は、皆様を歓迎しております。この国と民の安寧を、お預けいたしましょう」
――我に返り、やや早口で言葉を返した。
自分は
使者との謁見の場で、束の間と云えど『想い』に気を取られるなど間違っている。
彼から目を逸らし、涼やかな美貌の女性を見つめる。
すると、
『数ならぬ身ではありますが、この身命を持ってお仕えさせていただきます』
そして使者の一同は、深々と拝礼した。
その頭が上がらぬうちに立ち上がり、
(……名は、何と言うのかな……)
姫君は、左端に座っていた彼のことを考える。
一度会っただけの相手に、こうも惹かれる理由が分からない。
王族や貴族の結婚は、血筋と家督の縁を結ぶ行為だ。
親の決めた相手と結婚し、相性と心掛け次第では、相手と愛し合うことも出来るだろう――父王と母后のように。
だが、自分は結婚はしないと決めた。
男君と愛し合うなど、絵物語に等しい……。
物思いに耽っていると、
「姫さま、干した
「……ありがとう。いただくわ」
指で摘まみ、口に含む。
少し硬いが、噛んでいると甘味が染み出てくる。
翌日の昼下がり――
姫君は『史学(歴史)』を学んでいた。
並の貴族階級の娘には不要な知識であろうが、王族の姫となると話は別である。
国のためには、古の出来事や知識を学ばなくてはならない。
お付きの四人も、難読文字に四苦八苦しつつも、書写に励む。
書写した巻物は、後々に姫君が読むのだから誤字は禁物だ。
そうしていると、年若の女房らが連なって、
五人は、一斉にそちらに顔を向ける。
「なに?」
「さあ?」
「少納言の君、何かありましたか?」
姫君が訊ねると、几帳の後ろに控えていた二条の少納言が答えた。
「
「えーっ、見たい!」
お付きの四人は、一斉に筆を置く。
王の住まいは渡り廊下を越えた殿舎にあり、その一角に鞠場があるのだ。
「……少納言の君、
「……仕方ありませんね。良いでしょう」
姫君のお伺いに、少納言は許しを出した。
御前
だが、女房たちに行かせるのなら問題は無い。
指名された二人は目を輝かせて立ち上がり、残りの二人はがくりと肩を落とす。
だが、姫君は
そして、着ていた
意図を察した
姫君と、自分は身長や体格が似ている――。
間も無く――
鞠場に面した部屋に辿り着くと、大勢の
全員が長く広い裾を広げているので、もう座る場所など無い。
几帳や置き障子などの調度品も、部屋の脇に寄せている。
「ひめ……
集まった者たちは五十人ほどで、鞠場に面した
「前に出るわ…!」
姫君は大胆にも
が、大声で咎めることも出来ない。
後ろで、はらはら見守るしかない。
声で調子を取りながら、皮製の鞠を蹴り上る遊びだ。
鞠を落とさず、四方に植えた木の高さよりも高く蹴り上げねばならない。
姫君は、後ろに座る者たちのことなど意に入らず、立ったまま首を伸ばす。
しかし、蹴鞠をする彼らの顔が見えない。
無作法までして前から二列目まで来たものの、
月の童子たちは昨日と同じ装束を着て、相手をしている衛門府に仕える
全部で三人が烏帽子を付けている。
それらを除いても、見分けが付けづらい。
(……ごめんなさい!)
誰にともなく謝り、最前列の柱の横に進み出て、思い切って
すると世界が一変した。
青い空、木々の緑、敷かれた白い砂に写る御神木の影が、鮮やかに目に飛び込む。
その砂の上で、少年たちが闊達に動き回っている。
奥に立つのは、
驚いているのが感じられたが、こちらの正体に気付いたのだろうか。
だが、そんなことはどうでも良い。
お目当ての『彼』は――左斜め前に居た。
ちょうど鞠を受け取ったところだ。
「そぉれ!」
声を上げ、受け取った鞠をいったん少し蹴り上げ、逆の足で高く蹴り上げ、また逆の足で蹴って、相手方に渡す。
衛門府の烏帽子姿の少年が受け取り、同じように三度蹴り、『彼』の長身の仲間に蹴り渡す。
(がんばって!)
『彼』の組を応援しつつ、『彼』から目を離さない。
『彼』はこちらには気付かず、笑顔で蹴鞠に熱中している。
横からしか見えないが、『彼』の笑顔は魅力的に映った。
妬み、蔑み、憎しみ……そうした悪意とは無縁の笑顔だ。
その笑顔を正面から見たい。
けれど『彼』は気付かない。
こちらを向いてくれない。
(ううん、気付かない方が良いわ。こんなはしたない姿を見られたくない)
姫君は、
けれど、その場に佇み――彼らの歓声が消えるまで、その姿を追い続けた。
血の臭いを、風が運ぶ。
頭上の御神木に留まった烏たちの視線を感じる。
父も母も自決した。
そして、目の先には仕えてくれた者たちの亡骸がある。
彼の眼差しから、彼が最後に求めるものを知る。
姫君は袖で目を拭い、袖を降ろし……微笑んだ。
『彼』の最期の時を前にして――今、与えられる全てを捧げる。
『彼』の姿を瞳に焼き付け、少年らしさが残る声を耳に閉じ込めた。
『彼』の命は絶たれ……けれど、もう涙は出なかった。
瞳に残る彼の姿の向こうに、自分の宿命が見えた。
自分はこの地で――『永遠』に『彼』を愛し続ける。
そのために、身を汚そう。
この惨劇を引き起こした男のものになろう。
男の力を贄とし――『永遠』を手に入れよう。
姫君は血が薫る風を吸い込み、祈った。
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