第56話

 午後の三時半を回った頃、和樹・上野・一戸は月城宅を出た。

 玉露の三煎目も御馳走になり、勉強や部活の話になり――。

 舟曳ふなびき先生は「そろそろお帰りなさい。私は後片付けをしてから帰りますから」と三人を玄関で見送った。


 追い出された気分の三人は――駅近のドーナツショップに入り、反省会を開く。


「……月城の怪我について訊けなかったな」

「ですねぇ……」

「うん……」


「……敵のことも先生は詳しそうだったのに……訊けなかった」

「何だかねぇ……」

「うん……」


 三人は一様に首を垂れる。

 肝心かなめの重要事項について訊きそびれたのは、大失態である。

 月城宅に残った舟曳ふなびき先生は――後片付けだけをして帰るとも思えない。

 月城の治療をしているかも知れない。

 明日の朝には、月城の右腕がひょっこり生えていそうだ。


「解ったことは『魔窟まくつ』の闘いで、月城を負傷させちゃ駄目だってことだ」

 一戸はテーブルに散った『ドーナツ』のきなこを、ペーパーナプキンで拭く。

 彼らとて『魔窟まくつ』での負傷は命取りになりかねない。

 だが、月城の負傷ビジュアルインパクトが強すぎた。

 そのせいで、自分たちの負傷も実体に影響があることを忘れ果てていた。

 


 和樹は『メイプルクリームフレンチ』をかじりつつ頷き、上野は『チーズドック』のチーズを舌で絡めながら嘆く。

「バカだよな、あいつ……オレらを心配させないように、ひとりで抱え込んでる」

「ああ」

「でも、今まで通り闘おうよ。僕たちは、庇い合って闘ってきたんだよ……ずっと」


 葡萄ジュースで喉を潤し、二人と目を合わせる。

 仲間を庇って闘う――当たり前のことだ。

 自分たちも美名月みなづきも、そうやって今に辿り着いた。

 互いの力と思いを信じるからこその信頼は揺るがない。



「それで……先生の仰った御神木のことだけど……」

 一和樹は『あずきパイ』を半分に割る。

「その御神木から、ニセ者が無限に湧き出て来るってことは無いよね? 紗夜月さやづきさんは、その木がある限り、不老不死でいられるって言ってたけど」


「不老不死はともかく、無限湧きは無いだろうな」

 一戸は『イチゴボール』を黄色いピックで刺す。

「無限にニセ者が造れるなら、夜重月やえづきが五人セットで襲って来ただろう。一人がやられると、次を造れるって可能性もあるが」


「おいおい、また先輩たちとデートかよ。勘弁してにょ~」

「でもさ……先生の言い方だと、二人は成仏したっぽいよね?」


「言われれば……そうだな」

 一戸は考え込む。

「お前の『白鳥しろとりの太刀』が鍵じゃないのか? 低級な『悪霊』なら一刀で消滅するし、ニセ者がそれで斬られたら復活できないとか」


「そうかもだけど……」

 和樹は曖昧に返答したが――ふと脳裏に、或る情景が浮かんだ。


 黒いうちきを身に付けた玉花ぎょくかの姫君が、衣装を仕立てている姿だ。

 四人の若女房たちと共に、着物の裾に糊付けをしている。

 裾を折り、米を練った糊を塗り固めるのである。

 高貴な姫君が御自ら仕立てるのは、極めて珍しい。


 だが、彼女たちの手にしているのは、紛れも無く『神名月かみなづきの中将』が纏う表着うわぎうちきだ。


 あの世界においての黒衣は、『喪』に服する者か、『受戒』した者が着用する。

 そして、死出の旅を決意した者も――。

 現代と違い、自分の好みで着用が許される色では無いのだ。


 『月窟つきのいわ』が内乱状態となり、『神名月かみなづき』たちは姫君の故国の『花窟はなのいわ』に逃れたと聞いた。

 姫君が黒い衣装を身に着けていたとしたら、その時期ではないだろうか。

 羽月うげつ殿と『八十八紀の四将』の葬儀を行った時か――あるいは、姫君が国の滅亡を覚悟した時かも知れない。

 その時に、『花窟はなのいわ』に伝わる宝刀と衣装を授けられたのだとしたら……




「どした? ボケ~ッとして」

 『想い』に浸っていた和樹を、上野の快活な声が引き戻す。


「いや、ちょっと……-あの……昨日は殴ってゴメン……」

 和樹はモジモジと、一戸に頭を下げる。

 彼が夜重月やえづきたちに自分の助命を嘆願した時、珍しくブチ切れて手が出てしまったのだが――上野はコーラを持った手を空中で止め、瞼をパチクリ上下させた。


「へ? ナシロ様が一戸様を殴った??? うっそマジぇ~?」

「……もう忘れた」

 一戸はホットコーヒーを飲みつつ、斜め上に目を逸らす。

 上野も『ナシロを庇って危ない目に遭った』と云う所だろうと察しつつ、クリームドーナツに手を伸ばす。

 しかし――ひと言多いのが、彼の(他人から見れば)悩ましい所である。

 

「ま、オレ様と月城様が救世主だったってことね。おっほっほっほっ♪」

 上野は裏声で高々と笑い、近くに座っていた女性グループの忍び笑いが聞こえた。

 一戸は「早く食え。出るぞ」と小声で言った。

 



 そんな反省会を経て、彼らは帰途に付いた。

 バスでは無く、徒歩での帰宅である。

 歩いても、一番遠い一戸で40分程度だ。

 初夏の気持ちの良い風に浸りながら、何気ない会話を楽しみ、景色を眺める。

 この日常は素晴らしい。

 空は青く、木々が風に揺れ、繁った葉の隙間から、雀の鳴き声が漏れる。

 昨日の死闘が、悪い夢のようだ。

 

 暗く落ち込んでいた和樹の心も、軽さを取り戻している。

 今夜は、母に元気よく話し掛けよう。

 一緒にアイドルの配信映像を見て、ペンライトを振ってあげよう――。




 


  ◇

  ◇

  ◇




 巨大な月を頂く『魔窟』にて――

 

 地に深々と根ざした太い御神木が佇んでいる。

 深い闇を絡める如く、月を貫かんとする如く。

 複雑に絡み合った無数の枝は、真下に建つ広大な邸の屋根に奇怪な影を落とす。


 その御神木の真下に、二人の男が佇んでいた。

 かつての『第八十八紀 近衛府の四将』の火名月ひなづき殿と三神月みかづき殿である。

 二人は黒い袍に身を包み、数珠を手に祈りを捧げていた。


 邸の一角から笑い声が聞こえる。

 後輩たちが蹴鞠けまりをしているようだ。



「……楽しそうだな」火名月ひなづき殿は顔を上げる。

「……楽しそうだね」三神月みかづき殿が振り返った。


夜重月やえづきが死んだぞ」火名月ひなづき殿は数珠を鳴らす。

紗夜月さやづきも死んだな」三神月みかづき殿は数珠を掲げた。


「四人で闘おうと言ったのに」火名月ひなづき殿は唇を噛んだ。

「四人で闘えば勝ってたのに」三神月みかづき殿は舌打ちした。


「愚かな女どもだった」

「愚かでも仲間だった」


「奴らを潰す」

「潰してやる」


「潰す潰す潰す潰す潰す潰す潰す潰す潰す潰す」

「潰したい潰したい潰したい潰したい潰したい」


 二人は数珠を捨てた。

 そして腰の太刀を引き抜き、地に落ちた数珠を突き刺した。

 数珠の糸は切れ、四散した珠は砕け、燃え上がり――灰と化して、風に吹かれて消えた。

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