第55話

 舟曳ふねびき先生を先頭に、和樹たちは月城宅を訪問した。

 ドアチャイムを二度鳴らすと――30秒ほどで解錠された。

 ドアを開けた月城は、白いバスローブにベージュ色のパジャマのズボン。

 それに、分厚いソックスを履いていた。

 バスローブの右袖は――中身が無く、だらりと垂れていた。

 方丈日那女は「数日で治る」とは言っていたが……


「こんにちは。お見舞いに来たよ。みんなで新茶を楽しもうと思って、茶道具一式を持って来たんだ」

 舟曳ふねびき先生は動揺の片鱗も見せず、穏やかに言う。

 月城は頭を下げ、入るように言ってくれた。

 和樹たちは先生に続き、靴を脱いでそろそろと入る。


 室内は広い。

 玄関を上がり、廊下を右に曲がった所に、対面式キッチン。

 その奥に、リビングダイニングとバルコニーがある。

 

 が、家具が少ない。

 小型の冷蔵庫、電子レンジ、折り畳みテーブル、白い円形のラグ、紺色のカーテンしか無い。

 テレビもソファーも無く、室内は伽藍洞がらんどうで寒々しい。

 植物も無く、まるで廃墟のように感じられる。



「ヤカンはあるね。君たちは座って待っていて」

 舟曳ふねびき先生はキッチンに立ち、数少ない食器類を見やる。

 先生は調理台で風呂敷を解いた。

 中身は、旅館の座卓に置いてある茶櫃ちゃびつのようだ。


 茶櫃ちゃびつの中身を取り出す音を聞きながら、和樹たちは神妙な面持ちでテーブルに着く。

 和樹と一戸、上野と月城が対面する形で――誰に言われた訳でも無いが、全員が正座をした。

 敷かれているラグに触れると、フワフワで新品同様である。

 直近に購入したのか、殆ど使われていないか、だろう。


 

 しかし、どうにも雰囲気が良くない。

 知らない者同士が、窓の無い狭い部屋に詰め込まれたようで息が詰まる。

 和樹は、シャツの襟の隙間を開けた。

 心のダメージを引き摺っている上に、月城の状態が気になって仕方がない。

 

 『魔窟まくつ』で負傷すると、現世の実体にも跳ね返るのは経験済みだ。

 刃を突き立てられた部分に薄い痣が残り、少しの痛みが翌日にも残った。

 なのに、月城は右腕が根元から無くなっている。

 それも昨日の話だ。

 なのに、彼は立って動いている。

 人間離れの行動だが、方丈日那女は『数日で治る』と言った。

 月城は自分の能力について多くを語らないが、訊くのも怖い――。



「はは……思ったより元気そうで安心した…」

 どんよりムードに耐えかねたらしい上野が、上擦り声で言った。

 一戸は少し間を置き、左横の月城に声を掛ける。

「痛くないか? して欲しいことがあれば言ってくれ。これは、お見舞いだ……」

 レジ袋を差し出しつつ、和樹に目配せした。

 見舞いの品にパンや駄菓子は相応しく無かった、と互いに反省しているのが暗に感じ取れる。

 彼の負傷を考え、レトルト粥とかプリンを選ぶのが正解だったのだろう。

 が、『時すでに遅し』である。

 



「お菓子も持って来たよ。君たちの口に合うかな…」

 舟曳ふねびき先生は、引っくり返した茶櫃ちゃびつの蓋を盆にして、小さな紙皿に乗せた菓子と、紙おしぼりを配った。

 菓子は洋菓子で、筒状に焼いたクッキーの中にチョコクリームが入っている。

 一戸は、紙おしぼりを開封し、開いて月城の手元に置いた。

 月城は、左手の先を丁寧に拭い、紙おしぼりを畳む。


 そして舟曳ふねびき先生は、急須と湯呑みを運んで来る。

 湯呑みは、取っ手の付いた小ぶりな和陶器だ。

 地色はベージュで、スミレのような花が深緑の絵の具で描かれている。

 和樹と上野は左右に体をずらし、その間に静やかに座った先生は、急須と湯呑みをテーブルに置く。

 


「一煎目の濃いお茶だよ」

 先生は急須を持ち、ゆるりと湯呑みに注ぎ、それを配る。

 流れるような所作は美しく、和樹は緊張して背筋を伸ばす。

 茶道部で先生のお点前は見ているが、真横で茶を入れるのを見るのは初めてだ。

 様式美とも言える茶道のお点前とは違っても、相手が相手だけに、やはり気は引き締まる。

 後で考えたら――父の上司にお茶を煎れさせたのは、失礼な行為だったのだが。



「玉露の新茶は独特の甘味がある。香りも涼やかだ」

 先生は急須を置き、全員を見回して微笑む。


「はぁ……でも、オレはバカ舌なんで……でも、いただきます」

 上野が先陣を切って茶をすする。

「……美味しいです。甘いです」

「良かった。もう、新茶の時期も終わりだからね。味わいを楽しんで欲しい」


「はい。ありがとうございます…」

 一戸は礼を言い、湯呑みを口に運ぶ。

 月城も茶をひと口飲んで軽く息を吐き、和樹も湯呑みを持ち上げた。

 明るい緑色の液体が、薄い湯気を立てて揺れている。


 

 先生には訊きたいことが多い。

 先生の正体、方丈家との関係、普段は霊界で過ごしているのか、生前は何をしていたのか……

 

 しかし、声に出して訊ねるのも億劫だ。

 こんな闘いから身を引きたい――

 もう、誰も斬りたくない――




夜重月やえづき殿と紗夜月さやづき殿は、やっと救われたのですよ……」

 舟曳ふねびき先生は両手を膝に置き、窓の外をゆるりと眺める。

 窓枠の外には、青々と稜線が連なっていた。

 その背後の空を薄雲が流れている。

 鳥たちの群れが視界を過ぎり、先生の落ち着いた声が響く。


「二人は同じ農村の出身で、暮らしは楽では無かったようです。『近衛童子』に選ばれた時、村民は幼い二人を村の英雄として送り出した……二人のおかげで、村は十年の免税が約束されたのですから……」


 それを聞いて月城は顔を伏せた。

 二人は『水葉月みずはづき』と同じ境遇だったのだから、当然の反応だろう。


「彼女たちは、利用されたのです。昔、君たちが処刑された場所に、一本の御神木が在っのですが……」

「仔猫だった『美名月みなづき』が……叩き付けられたと云う木ですか?」

 一戸は以前の月城の言葉を思い出し、先生に聞き返す。


「そうです……あの御神木は、すべてを見ていました。羽月うづき殿を救出するために、夜重月やえづき殿たちが発ったのも……。君たちが闘った二人は、その御神木の記憶より造り出されたものです……」


「それって……!」

 上野は血相を変える。

「彼女たちを造ったってのは神逅椰かぐやか!? 街に現れたナシロのニセ者たちも、同じ遣り方で造られたのか!?」


 敬語も忘れて食い下がる。

 舟曳ふねびき先生は、ただ痛まし気に上野を見た。


「……あの二人は、AIが作った仮想キャラクターと思えばいい。倒される間際に、『紗夜さや』や『夜重やえ』と叫ぶようにプログラムされていただけでしょう……」


「いいえ!」

 和樹は顔を染め、全否定で叫ぶ。

「僕は、そうは思いません!」

「なぜ……そう思うのですか?」

「すみません……口では上手く説明できません……」


 柔らかな口調で返され、思わず声を荒げたことを悔やむ。

 しかし、夜重月やえづきの最期の声には、偽りは感じなかった。

 あの声、あの響きは――友への思いと悲哀に溢れていた。

「彼女たちを斬ったからこそ分かるんです! 彼女は、彼女の本心から紗夜月さやづき様の名を呼んだんです! ニセ者であっても、本人の『記憶』と『心』はゼロでは無かったんです!」




「君が闘った夜重月やえづき殿が最期に友を思い出したように……紗夜月さやづき殿が最期に友に『名』を呼ばれたように……彼らを『人』として、送り出してあげられますか?」

 舟曳ふねびき先生は、和樹を見つめる。


「はい…!」

 和樹は揺るぎない瞳を向け、上野が輪唱した。

「倒します!」

 一戸も力強く唇を結び、仲間たちを見る。

 過去を覚えている月城だけは憂いを帯びた表情だったが、逡巡は見られなかった。

 後ろを向いていた和樹も、改めて誓う。

 悲劇を断てるのは、最後の『近衛府の四将』だった自分たちだけだ。



「では、二番茶も煎れますね。味の違いを楽しんでください」

 舟曳ふねびき先生は、急須を盆に乗せ、ひらりと立ち上がった。

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