第50話

「また、異界に引き込まれたか…!」

 一戸は振り返る。

 町並みは、いつもと変わらない。

 斜め向かいにはバス停があり、その後ろにクリーニング店があり、横には不動産屋がある。

 しかし、人の姿がない。

 音も聞こえない。

 空気も流れも止まっている。

 灰色の空には、巨大な月が浮いている。


「……どうする?」

 和樹も段ボールを置いた。

 校門左右のコンクリート製の門柱に挟まれた鉄格子の門は、全開状態だ。

 しかし、その先も無人だ。

 学園祭の準備に居残っている筈の生徒たちが居ない。

 

「……学校に入れってことだよね」

 和樹は自らの問いに、自ら応える。

 何とも分かりやすい罠だが、飛び込む以外の決断は許されないだろう。

 しかし、武器は無い。

 

 前回に引き込まれた時は上野とチロも居て、ただ寝転がっていただけだが、それが二回も続くとは思っていない。

 それに、不吉な予感が背筋を撫で続ける。

 心臓を押されるような悪意に晒されていると感じる。


「……お前、変わったな」

 一戸は微笑んだ。

「以前なら『どうしよう?』って狼狽うろたえてただろうけど……腰が据わった」


 和樹は、友を見返し――笑みを返す。

「変わってないよ……今も怖い。でも……立ち向かえる!」


 和樹は力強く答えた。

 死ぬのは怖い。

 次の転生があるとしても、死にたくない。

 大切な人たちのためにも、生きたい。

 だから、生き抜くための闘いを諦めない。

 

 和樹の決意を悟った一戸は、真っ直ぐ前を見て告げた。

「じゃ、三つ数えるからな。一緒に校門をくぐるぞ」

「了解です!」

 和樹は地面に置いた段ボールをチラッと見て――共に前を見つめる。

 一戸がカウントダウンを始めた。

「いち」と声が掛かり、ひと呼吸置き、二人は同時に右足を出す。


 

 右足が門柱のラインを越えた瞬間、まるで学校の敷地全体が動いたように感じた。

 二人の体は、門柱より五メートルほど奥に一瞬で移動している。

「……これは!?」

 和樹は面食らい、周囲を見回した。

 宙空に、微弱に白く輝く球体が見える。

 その場に留まっている球体も、移動している球体もある。


「……生徒や先生たちの『魂』らしいな」

 一戸は傍を通った二つの球体を避ける。

「ここは『魔窟まくつ』とは違う。『霊界』に近い場所か?」

「そうかも知れない……」

 和樹は、近くの樹木を眺める。

 樹木は元のままに見えるが、その枝上に見える小さな二つの光は雀かも知れない。

 地面や幹、草むらからは針の先ほどの多数の光点も見える。

 一戸も、それらを優し気に見つめていたが――殺気を感じて振り返った。


 彼の視線の先には、二人の女性が佇んでいた。

 なぜか夏用セーラー服を着ているが……その顔には、見覚えがある。

 妖月あやづきの『時映しの術』の中で見た『八十八紀の四将』の女性たちだ。


「あれは……夜重月やえづき紗夜月さやづきか」

「……二人だけかな?」

「分からん……」

 一戸と和樹は戸惑う。

 仲間の火名月ひなづき三神月みかづきが見当たらないのが気になるが、女性たちの衣装も変だ。

 神名月かみなづきのニセ者たちは和服だったが、こちらはいきなりのセーラー服である。

 しかも白塗りに近い化粧のせいで、ゆるいホラー風味が漂う。

 時が時なら爆笑したであろうが、二人から発せられる殺気は尋常ではない。

 

 すると、夜重月やえづき紗夜月さやづきは一直線に駆けて来た。

 しかも、腕を一振りすると――その手には刀が出現した。



「まずい!」

 一戸は叫び、和樹もその場で転ぶ。

 しかも校舎に続く石畳の直線路の、その左右の剥き出しの地面が突如崩壊した。

 地割れが起こり、崩れて土は飲み込まれるように落下する。

 樹木も音を立てて裂け、下へと呑み込まれる。

 土ぼこりが舞い上がり、体に降り掛かる。


 現実の世界で、このような崩壊が起きているとは思えない。

 幻覚であろうが、崩れ落ちた地の底に飛び降りても無事では済まないだろう。

 校舎に続く一本橋と化した石畳の上を渡り、校舎に逃げ込むしかない。

 罠と分かっていても、飛び込むしかない。


「ナシロ、大丈夫か!?」

「うん!」


 声を掛け合い、正面の生徒用玄関に駆け込み、脇の階段を駆け上がる。

 玄関と廊下には多数の球体が浮いており、それらを避けるには階段を上がるしか無かったのだ。

 すると、思わぬ事態が起きた。

 階段の踊り場に、『白鳥しろとりの太刀』と『白峯丸しらみねまる』が天井を通り抜けて落ちてきた。


 驚きつつも、自分たちの得物を慎重に手を伸ばす。

 しかし本物であることは、指先が触れた瞬間に解った。

 指先を通して伝わる感覚は、紛れもなく慣れ親しんだものだ。

 けれど――

 

「あれ? いつもより重く感じる」

 『白鳥しろとりの太刀』を拾い上げた和樹は、思わず呟いた。

 『魔窟まくつ』で振るい慣れた太刀なのに、こんなに重かっただろうか?

 一戸も『白峯丸しらみねまる』を持ち、無言で上下に振っている。


 彼も違和感を感じているのだろうか。

 声を掛けようとした和樹だが、階段下からの声で我に返る。

「うつけどもが! 呑気に茶でもすすっているのか!?」

 禍々しい女の声に、二人は再び階段を駆け上がった。


「どうして、僕たちの武器が!?」

 和樹は叫びながら、三階の廊下を走る。

 何となくここまで上がってしまったが、やはり周辺には球体が浮いている。

 武器があっても、球体のある場所での戦闘は無理だ。

 刃が『魂』に触れると、その生徒の身に危険が及ぶかも知れない。


「上野たちは、あの水飲み場に居るかも!」

「だが、地面が崩れてる! 体育館に入る!」


 廊下の窓から見える筈の校庭は――無い。

 校庭の周りのフェンスだけを残し、その下は黒い底無しの闇だけが広がっている。

 二人は、校舎反対側の階段を駆け降りた。

 降りた先の一階の傍に、体育館に通じる廊下がある。

 今日は運動部は活動していない。

 体育館は無人の筈だ。


 

 和樹は体育館の鉄製のドアを開け、一戸と共に飛び込んだ。

 推測通り、体育館には球体は無かった。

 一戸はスニーカーと靴下を脱ぎ捨てる。

 ここで闘う覚悟らしい。

 剣道が裸足なのは、床の滑り防止と、足裏から気配を読み取るためだと聞いた。

 和樹も彼に倣い、裸足になる。

 

 ステージ横には校庭に通じる出入口があり、水飲み場はその近くだ。

 上野たちはそこに居ると確信するが、この状況に気付いているだろうか?

 一刻も早い助力を願うばかりだ。


 だが、それを座して待つ隙はない。

 和樹は太刀の鞘を両手で握る。

 純白の鞘も柄も、仄かな輝きを放って見える。

 だが――やはり違和感が拭えない。

 握り慣れた柄なのに、しっくり来ない。

 

「ナシロ……その太刀を俺に貸せ」

 『白峯丸しらみねまる』を置いた一戸は、意外な言葉を発した。

 和樹は目を丸くする。

「……どういうこと?」

「お前には無理だ。俺が、その太刀で闘う。今のお前は足手まといだ」


「だから……どういうことだよ!?」

 和樹は太刀を握り締めた。

 彼が何を言っているのか、まったく理解できない。

 だが一戸は迫る表情で、毅然と言い放つ。


「今の俺たちは、神名月かみなづきでも雨月うげつでも無い。神無代かみむしろ和樹と、一戸蓮だ!」


 その言葉に、和樹は違和感の正体に気付く。

 これらの武器が出現した理由は不明だが、確かにここは『魔窟まくつ』ではない。

 『魔窟まくつ』ならば、現世での本名は口から出て来ない。

 そして『近衛府の四将』だった自分たちの能力――剣術も、『魔窟まくつ』でのみ発揮されるのだ――。


「そんな……」

 和樹は絶句し、柄を握る自分の手を見た。

 微かに震えるこの手は、惰弱な高校生の手であり……剣士の手ではない。

 剣道経験者の一戸なら、どうにか太刀を使いこなせる――。

 

 無情な現実に打ちのめされ、腰から力が抜ける。

 剣士二人を相手に、大切な友を独りで闘わせなければならない――。

 

 嫌だ、太刀は渡さない――

 そう言いたかったが、喉が動かない。

 声が出ない。

 



「……この期に及んで仲間割れかい?」

 高いが重い声が響き、夜重月やえづき紗夜月さやづきが体育館に現れた。

 二人は、セーラー服姿では無かった。

 烏帽子を被り、白小袖に黒い水干を重ね、黒い切袴を履いていた。

 白足袋に草鞋を履き、刀を手に、擦り足でジリジリと近付いて来る。

 

 一戸は、呆然とする和樹から『白鳥しろとりの太刀』を……すみやかに奪い取った。

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