第44話

 翌日の登校日――

 前夜に『魔窟まくつ』から帰還して間もなく、上野から『気分が悪いから明日は休む』とのメッセージが届いた。

 『魔窟まくつ』の戦闘でダメージを受けた後の体調不良は、和樹も一戸も経験済みだから驚きはしない。

 ただし上野の体調不良の原因は、戦闘でのダメージとは異なる。

 

 そして一戸は、登校時間の1時間前に神無代かみむしろ家を訪れた。

 もちろん、前夜に了承を取っている。


 沙々子は何も聞かず和樹の部屋に招き入れ、トースト・ハムエッグ&野菜サラダ・コンソメスープ・カットオレンジ・コーヒー等を置いてドアを閉めた。

 二人は折り畳みテーブルで向き合い、軽い緊張感の中で朝食に手を付ける。


「朝早くに来て、お母さんに迷惑を掛けて申し訳ない。朝食までいただいて」

「ううん。構わないよ。でも……」

「俺は、後からタクシーで登校する。お前たちと一緒にバスに乗っている所を、月城に見られたくない。こんな姑息なことをしても、月城には筒抜けかも知れないが」


 一戸は、塩・胡椒の打たれた目玉焼きの黄身を崩した。

 黄身はトロリと流れ出し、白身とハムを覆う。

「……月城を信頼していない訳じゃない。だが……彼も、俺たちに何かを隠してる」

「僕も、そう思う」


 和樹は同意し、トーストに林檎ジャムを塗って端をかじる。

「ても彼は……僕たちに、心配を掛けさせないように黙ってるんだと思う」

「……お前、月城が自力で『魔窟まくつ』を行き来できる理由を聞いたか?」

「……いや……機会が無くて」

「……そうか」


 一戸はコーヒーにクリームと砂糖を入れ、ひと口飲み、嘆いた。

「かつての四人の仲間が揃った……やっと巡り合えた。そう知った時は、心から喜んだのに……事は単純に進まないな……」


 その重い言葉を、和樹は黙って受け流す。

 信頼し合っている。

 仲間のために、傷付くことは怖くない。

 なのに、互いを思うゆえに話せないことがある――。

 肉親の過ちゆえに、狂気が顔を覗かせる――。

 和樹は、コーヒーに砂糖を入れ、ゆっくりかき混ぜた。


 一戸はサラダにマヨネーズを絞り掛け、コーンとキャベツをフォークに乗せる。

「当面の問題は、上野だ。如月きさらぎの……をどう考えるか」


「……うん……」

 和樹は、昨夜の上野を思い出す。

 月城の刀を強奪し、俊敏な動きで、躊躇せずに敵を斬った。

 あれは、剣術とは無縁の『如月きさらぎモディリアーニ』とは別の存在だった。

 

「僕の中の神名月かみなづきの意識だと思うけど、あの怒りに駆られた彼を『如月きさらぎの中将』と呼んだ」

 和樹は、ブロッコリーをフォークで軽く刺す。

「僕たち『八十九紀 近衛府の四将』のリーダーだった雨月うげつは『大将』だった。あとの僕たち三人の地位は『中将』だよ」

「それで?」

「僕は神名月かみなづきの転生だけど、初代の『神名月かみなづき』を『神名月かみなづきの中将』と呼ぶって言えば良いのかな。呼び方で区別してるって言うか」


「……昨夜、上野の体を乗っ取って敵を斬り付けたのが、初代の『如月きさらぎの中将』の人格、ってことか」

 一戸はバターナイフを置き、息を吐く。

「……上野が制御できない人格となると厄介だ。上野は昨夜のことは覚えていないようだし……かと言って『如月きさらぎの中将』を非難できない」

「一戸……」

「自分の兄が暴虐の限りを尽くし……尊敬する先輩や後輩を殺された。復讐に駆られても不思議じゃない。ただ……神逅椰かぐやの前に辿り着けたとして、その時に突飛な行動に出ないか……それが心配だ」


「……その前に、倒さなければならない敵がいるし」

 和樹はスープをすくって口に入れる。

「もう、どんな敵が出て来ても驚かないよ。倒すことが供養になるなら……」

「そうだな……」


 一戸は、程よく焼けたハムをナイフで切る。

 すると、和樹のスマホの電話の着信音が鳴った。

 和樹はスプーンを置き、スマホを取る。

 相手は、方丈日那女だった。


『おはよう。起きてたか?』

「はい。おはようございます。今、一戸と朝ご飯を食べてるところです」

『そうか。昨夜の件は改めて礼を言う。君たちには感謝しても、しきれない』

「それより、緊急の用事でも? 明日にでも、みんなで先輩と話をしたいと思ってたのですが」

『私も、君たちと話がしたい。昨日の夜遅くだが、吉崎くんから奇妙なメッセージが入った』

「パソコン部の部長さんですか?」

『そうだ。昨日の午後……駅前モールの書店で、私と君を目撃したそうだ』


「ええ?」

 全く身に覚えの無い話に面食らう。

「よく似た人たちじゃないですか? ありえないですよ」

『私もそう思った。だが……お前に似た男は、腰に達する長髪を束ねていたそうだ』


「……そんな!」

 和樹は腰を浮かした。

 腰に達する長髪を束ねた自分そっくりの男――

 どう考えても『神名月かみなづき』だ。

 方丈日那女の声が聞こえていない一戸も、和樹の応対と表情とで事態の深刻さを察したらしい。

 フォークを置き、じっと聞き耳を立てる。


神無代かみむしろくん……明日、我が家で対策会議を開く。久住くんとミゾレも連れて来い。ミゾレは我が家で預かる。タクシーに分乗して来い。料金は払う。チンタラしている場合では無いぞ』

「……分かりました」

 

 そして短い挨拶を交わし、通話は終わった。

 和樹はスマホを置き、引き攣った顔で一戸を見た。

「……昨日、神名月かみなづきとほっちゃれ先輩のそっくりさんが本屋さんに居たって……」

「こっちの世界に来たか! 期待を裏切らない奴らだな」

 

 一戸は、吐き捨てるように言った。

 昨夜――月城の術で浄化される直前に、東の御方おんかたは教えてくれた。

『殿舎を焦がした炎の使い手は……あなた様方の一紀前の『近衛府の四将』の大将……火名月ひなづき様だと、息子が申しております……』


 死したと言う火名月ひなづき殿も、また神逅椰かぐやに取り込まれていたのだろうか。

 何にせよ、『第八十八紀の四将』全員が敵に回ったのは確実だ。

 厳しい闘いを予想しているが、自分たちのニセモノが現世に現れると云う展開は、予想の斜め上を超越していた。

 

 和樹は、隣の久住さんを思い浮かべ、思わず壁を見る。

 方丈日那女が『ミゾレを預かる』と言った時、彼女は沈んだ様子だった。

 けれど彼女の安全のためにも、一刻も早くミゾレと引き離さねばならない。

 無情かも知れないが、彼女の意向を尊重している場合ではない――。



 

  ◇

  ◇

  ◇



 

 巨大な月から注ぐ光は、その広大な邸に真昼の明るさを与えていた。

 召使いたちは口を聞かず、ただ影のよう動き、主人たちの世話する。

 

 その一角にある広い庭で、神名月かみなづき雨月うげつ如月きさらぎは子供のように歓声を上げ、竹馬で追いかけっこをして遊んでいた。

 背丈ほどに切った竹の先端に、木で作った馬の頭を付け、竹に跨って遊ぶのだ。

 三人は飽くこと無く、ぐるぐると同じところを回っている。

 

 水葉月みずはづきだけは、庭の端に敷いた薄い畳の上で人形遊びをしていた。

 布製の猫の玩具を幾つも並べ、お姫さまと女房に見立てて、ひとり遊びに没頭している。

 玩具の傍らでは、如月きさらぎが飼っている黒い犬が寝ていた。



「あーれぇ? 御正室さまのお母さまだ~」

 渡り廊下を歩く三人の女性に気付いた神名月かみなづきたちは、竹馬に乗ったまま生垣に近付いた。

 水葉月みずはづきも両手に猫の玩具を抱き、三人の後ろから覗き込む。

 夜重の君と沙夜の君に挟まれ、中年の女性が項垂れて歩いていた。

 

「あの人、『俗界』から連れて来られたんだよ」

「やっと、髪が伸びたね」

「『俗界』の女の人って、髪の短い人も多いんだよー」

「へんなの」

「今日も、御正室さまの御部屋に呼ばれたんだね」

「そうみたい」


「そう言えば、神名月かみなづき。昨日、どこに行ってたんだよ」

 雨月うげつが訊ねると、彼は得意気に胸を張る。

「『俗界』に行ったんだ~。向こうの世界の結婚の本を探したんだよ」


 驚いた如月きさらぎは、ぱちくりと瞬きをする。

「えぇ~? けっこんするのぉ? だれとぉ?」


 すると神名月かみなづきは竹馬から手を放し、クイッと背を逸らして立った。

「僕、千佳ちゃんと結婚することに決めたんだ。だってぇ、困った顔がすごく可愛いんだもん。千佳ちゃんに似合う婚礼の衣装を縫って貰うんだ。だからぁ、婚礼衣装が描かれた本を買って来たっ」


神名月かみなづきの嘘つき~。盗んで来たくせに。きゃははははははは」

 雨月うげつは竹馬の頭を両手で掴んで笑った。

 それを合図に、他の三人も笑う。


「ひゃははははははははははははは!」

「ぎゃははははははははははははは!」

「ふぁははははははははははははは!」

「わはははははははははははははは!」


 無邪気な笑い声は、月の上空に広がる薄闇色の空に響き渡った――。

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