第43話
火矢は立て続けに飛んで来る。
簾を貫き、壁に刺さる。
炎が上がり、焦げた臭いが漂う。
だが――
「煙が全く出ない。非常にゆっくり燃え広がってる」
「我々を外に出すのが目的だな。敵は、月窮の君を傷付ける気はないと思うし」
一戸と月城は冷静に状況を分析する。
延焼はせず、煙も出ないなら窒息の危険は無いだろうが――
「いつまで、立て籠もれると思う?」
「炎に触れても火傷はしないだろうが、熱さと痛みも感じるだろう。いずれは、出て行かざるを得ないな」
すると、チロが一戸の袴の端を
袴を引っ張って、扉の方に誘導しようとする。
察した一戸は、扉の輪っか状の取っ手を掴んで少し押し開き、外の様子を確認し、再び閉めた。
「増援のご到着だ。斧を持った男どもが増えてる」
「殿舎を壊しに来たか。短気な連中だ」
「だな……」
月城の
『黄泉の川』を漂流していた月城も、『悪霊化』した外の敵たちも、意識を保ったまま永い時間を過ごしていたのだから。
「……どうするの。出てくの?」
フランチェスカが訊ねると、和樹は気絶している上野の背を膝で支えたまま、
「フランチェスカ、君はそれを着るんだ。熱を防げる。一枚は白炎に」
フランチェスカは思わず蓬莱さんを見ると、蓬莱さんは頷いた。
「私が着ている
「はい……お姫さま!」
二枚の衣を受け取り、
チロもフランチェスカの胸に飛び乗り、フランチェスカもチロをしっかりと抱く。
蓬莱さんは、
いつでも
仲間のために傷付くことを、誰もが恐れていなかった。
蓬莱さんの意思を見た一戸は、何も言わずに薙刀を構える。
和樹も上野を蓬莱さんに任せ、太刀を抜く。
月城は霊符を出す。
斧部隊が接近するギリギリまで粘り、月城の術で敵を一気に浄化する策だ。
しかし、室内の温度は刻々と上昇している。
現実の火事とは違って呼吸は確保されているが、喉にも熱さが迫って来た。
「敵の親玉は、炎を操る奴だろうな」
「外の誰かが親玉だと思うが、ザッと見た限りでは分からない。死角に居るかも知れない。童子の誰かかも知れない」
「……そうだね」
二人の意見に、和樹は鞘を握り締める。
水葉月は投射攻撃型の術士だが、本人の性格ゆえに敵を滅さない浄化術を使う。
弱い敵なら複数同時に浄化可能だが、
それに、出現させられる霊符には限界がある。
本人の霊力が尽きれば、あとは武器で闘うことになる。
「
一戸は訊き、月城は「出せる」とだけ答えた。
殿舎の四方の敵集団に計四枚、敵の親玉に一枚。
これで取り逃した敵は、斬るしかない。
だが、状況は唐突にひっくり返った。
炎と熱は瞬時に消滅し、殿舎がガタガタと揺れた。
冷たい旋風が簾をめくり上げ、熱は収まり、代わって息も凍る寒さが直撃する。
「これは!?」
和樹は足を踏ん張り、蓬莱さんとフランチェスカ、そして上野の傍に寄った。
一戸は白い息を吐き、揺れる簾の隙間から外を伺う。
しかし、その先には真っ白で何も見えない。
猛吹雪でも無いのに、真冬の『ホワイトアウト』のようだ。
「外は白一色で、視界ゼロだ」
「待て……誰か来る」
霊符超しに気配を読んだ月城は、扉を塞ぐように立つ。
チロもフランチェスカから飛び降り、彼の傍で盛んにニオイを嗅ぐ。
そして――そこでお座りをして尻尾を低く振った。
敵ではないのだろうか――?
チロの様子に顔を見合わせると――外から声がした。
「……そこを
聞いたことのない女性の声だった。
「……私たちは敵ではありません……入れてください……」
か細い声は繰り返す。
和樹は何となく、岸松おじさんから聞いた『牡丹燈籠』や『雪女』の怪談を思い出した。
怪談では、このような場合は扉を開けるのは厳禁なのだが……
しかし――すかさず、蓬莱さんは指示した。
「彼女たちを……中に!」
「はい…!」
忠臣たる士族の転生者の一戸は、迷わずに従う。
取っ手を掴み、回して押し開ける。
開けた向こうには、女性と男の子が立っていた。
女性は蓬莱さんのような
しかし女性の
男の子の装束も濃い灰色で、明らかに死者を表す色使いだ。
二人は会釈し、無言で中に踏み入る。
一戸が扉を閉めると、チロは男の子の足元でクルクル回った。
突風は止み、静寂が殿舎を包む。
若干ながら、寒さも和らいだように感じる。
蓬莱さんは前に進み出て、二人を見つめた。
「……その子が、
驚く和樹たちを尻目に、女性はおずおずと語る。
「はい……私は、この子の母で『東の
東の
「……
「ひどい……」
フランチェスカは二人に近寄り、屈みこんで男の子を抱き締めた。
和樹も暗然とする。
自分たちの後ろに、無数の人々の無念が在ることを改めて知る。
外で弓矢を構えていた者も、斧を持った者も、普通の人々だった筈だ。
普通の暮らしをして、何気ない日常に幸せを見い出していた人々だ。
彼らを、子供たちを『悪霊』に変えた
「では……
一戸は薙刀の刃を下に向け、礼節を
東の
「はい……あなた様方は、『近衛府の四将』ですね……。氷の海で、息子を助けていただいたことを覚えています……」
「もしや……あなた様方は、いつかの極寒の海の……鹿の親子ですか!?」
「はい……たまに息子の力が暴走するのです……この子は、術士の才がありました。
あの海を作り上げたのは息子です。私たちが鹿の姿に見えたのは、あなた様方の記憶ゆえでしょうか……」
「あの頃は、お主らに『四将』の自覚が無かったからのう。お主らの誰かが『雪原の鹿』に関する強い記憶を持っていたんじゃろうて。それに御子息の『氷の術』の資質が結び付いて、真冬の海の救出劇となったんじゃな」
方丈老人が説く。
その件を知らないフランチェスカは、首を捻るばかりだ。
「……僕の……二人の姉上は……?」
男の子は、ようやく口を開いた。
母は違っていても、姉が二人いることは知っていたらしい。
「上の姉上には、もうすぐ会えますよ……」
蓬莱さんは、優しく声を掛けた。
「下の姉上には私たちが伝えて置きます。あなたとお母さまは一緒に過ごしていて、上の姉上と再会できたと……」
「はい……」
男の子の蝋人形のような表情が、ようやく解けた。
まだ、すべての状況は理解できていないかも知れない。
けれど、すぐに
東の
生前の間柄は知るべくもないが、良い関係を築けるだろう――。
「外の者たちは息子の術で凍り、動けずにいます……外の者たちから、送ってあげてください……」
東の
誇り高い
術士の月城は呟き、一枚の霊符に念を込め始める。
そして、安心させるように笑う。
「大丈夫です。この殿舎を壊せば平地になって、一枚の霊符で済みます。その方が、この
「
一戸は薙刀を構えた。
和樹も太刀を握り直す。
ただし、一戸には気掛かりが在った。
片膝を付き、頭を下げて問う。
「東の
「……あれ?」
ゆっくり瞼を上げた上野は、首を左右に振った。
チロが胸に乗っており、真上には和樹の顔がある。
その上空には、見慣れた巨大な月が浮いている。
「……あれ? オレ……里芋を食ってなかった?」
上野は頭を起こし、誰にともなく訊く。
見降ろしていた一戸は、安堵の表情で言った。
「……メシの中に、睡眠効果のある薬草でも入ってたんだろう」
「……マジ? あれ??? 何だ、それ???」
見ると、左側に木材が散乱している。
微かに、焦げた臭いも残っている。
「君が寝てる間に、倒しちゃったよ」
和樹は屈託なく笑ってみせた。
上野は『
『
だが、いずれ思い出す日が来るのではないかと危惧する。
四人の仲間は揃った。
だが、月城の能力も全て把握していない。
月城自身も語らない。
そして月城の刀を奪った『
けれど……今は現世に帰ろう。
和樹は巨大な月を見上げた。
地球の片隅の街で、母が待っている。
そして、翌日――和樹と一戸は、密かに会っていた。
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