第42話

「さあ……君たちのために作った……」

 四条の納言なごんの指示で、二人の若い弟子たちは、卓に料理を運ぶ。

 

 貴族たちの使う高坏たかつきでは無く、木製の盆に皿を並べている。

 蒸し米、梅干し、焙った干しイワシ、茹でた里芋と菜の花、貝の汁物、椿餅。

 調味料として、塩・酢・ひしおを盛った小皿も付いて来た。

 妖月の術中で食べた食事よりは質素だったが、デザートの椿餅にフランチェスカは嬉しそうに眼を輝かせる。

 ついた白餅を椿の葉で挟んだもので、餅はほんのりと甘い。


「聞いたよ……君たちはの世界は、二十歳にならないと酒を飲めないらしいね……」

 四条の納言なごんは、方丈老人の前にだけ、さかずき提子ひさげを置いた。

 提子ひさげは、現代で言う『急須きゅうす』のような容器だ。


「これはありがたい」

 老人は、自ら提子ひさげからさかずきに酒を注ぎ、美味しそうに飲む。

「良い酒じゃ。ひょっとして、蓬莱の御山の湧き水で仕込んだかのう?」

「はい……御山のふもとの寺院の僧たちが仕込みました……」

 しかし、その声には生気がない。

 時おり浮かぶ笑みも、上辺だけに見える。


「……僕も、いただきます……」

 和樹は、箸を取った。

 いつぞやの蕎麦と同様の罠では無いかと思ったが、もう建物に入っている。

 見ると、白炎びゃくえんは干し草を、チロも細かく裂いた干し肉を食べている。

 上野も、干しイワシに塩をまぶして食べている。



「……懐かしい味です」

 和樹は菜の花を酢に浸し、ひしおを小量付け、噛み締める。

 蒸した米は固く、食べているうちに顎が疲れそうだ。

 干しイワシも、今の紐のよりもバサバサしていてジャーキーっぽい。

 里芋も無味だが、味噌のようなひしおを付ければ美味しい。


「お心遣いありがとうございます。納言なごん様」

 蓬莱さんは礼を言い。汁物をすする。

 フランチェスカは、蓬莱さんの椿餅も貰い、ご満悦な様子だ。

 

 一戸は綺麗に干しイワシの身を食べ、箸を置いて訊ねた。

納言なごん様……童子たちは、どちらに?」


「……外に居るよ……訓練用の木太刀でなく、本物の太刀を構えて待っている……」

 四条の納言なごんは答え、弟子の二人も奥から出て来た。

 二人とも太刀を持ち、一人は二口ふたくち持っている。

 その一口ひとくちを四条の納言なごんに渡し、三人は一戸の後ろに立った。

 その隣に座っていた和樹は、動揺を見せずに梅干しを箸で掴む。

 フランチェスカは「やっぱり…」とばかりに、口を四角に開いた。


「ゆっくり食べていいよ……時間はあると言っただろう……」

 四条の納言なごんは、細々と笑う。

 一戸は、チラリと白炎が居る部屋の隅を見た。

 薙刀『白峯丸しらみねまる』は、そこに立て掛けてある。


「……背もたれの無い椅子は不安定ですね」

 一戸は腰を揺らし、後ろの三人にも聞こえる声で言った。

 フランチェスカは急いで椿餅を両手で掴んで食べ、蓬莱さんは両手を膝に置く。

 チロは、老人の膝に飛び乗った。



「……術士は居ないのですか?」

 一戸は椿餅を手に取り、眺めながら聞く

「君も知っているだろう……術士は、元々ここには配属されなかった……剣士よりも数が少ないからね……」

「……最後にお伺いしたのですが、亜夜月あやづき様の弟をご存知でしょうか?」


「……君たちが『四将』に叙任された直後に、入門した子供たちの中に居たよ……」

 四条の納言なごんは、太刀を降ろしたまま言う。

亜夜月あやづき神逅椰かぐやさまに逆らった……処刑されて然るべきだよ……その三日後の夜……神逅椰かぐやさまが来た……」


「それで……?」


神逅椰かぐやさまは童子たちの部屋に押し入った……逃げ出せた童子は居なかった……」


「それで……?」


「翌朝に『武徳殿ぶとくでん』は炎上した……神逅椰かぐやさまは御一人で、謀反者が集う『武徳殿ぶとくでん』を粛清した……私も数百人の衛士たちも童子たちも、神逅椰かぐやさまの血肉となった……身に余る光栄だ……」


「けれど……嬉しそうな口振りではありませんね?」


「……神逅椰かぐやさまに従えば、永遠に存在できる……死の恐怖とも無縁だ……」


「生きる喜びとも無縁でしょう。周りに誰かが居ても、居るだけです。励まし合うことも、笑い合うことも、悲しみや怒りを分かち合うことも無い」


「子供たちは無表情だった。神逅椰かぐやに囚われて……泣くことさえ出来ない!」

 たまりかねた和樹は口を挟んだ。

 だが――上野の険しい低い声が被る。



「イカれてるな……!」

 上野は、目にも止まらぬ速さで動いた。

 いや、それは『上野』ではなく、『如月きさらぎの中将』だった。

 彼は、抜き身の刀を握っていた。

 卓に飛び乗り、それを振り下ろす。

 一戸と和樹は、椅子から落ちるように身を伏せる。

 和樹の隣の方丈老人は、ヒョイと首だけを斜に曲げた。


 『如月きさらぎの中将』の一刀は、四条の納言なごんの首から胸を斜めに断つ。

 四条の納言なごんは、声も上げずに床に倒れた。


白峯丸しろみねまる!」

 一戸が叫び、宙を飛んだ薙刀が彼の腕に収まる。

 同時に体を捻り、水平に振り、すると弟子二名の首が跳んだ。

 三人の体は床に落ち、傷口から粉塵のような黒い煙が上がる。


 月城は、立ち上がった蓬莱さんとフランチェスカを庇うようにして後退する。

 和樹は『如月きさらぎの中将』に抱き付く。

「……みんな、大丈夫か!?」

 一戸は、亡骸を飛び越えて愛馬に駆け寄る。

 和樹は、呆然としている『上野の体』を壁に押し付けた。

 彼が手にしていた刀は消え、月城の手元に出現して床に落ちた。

 和樹は呆気に取られ、月城に訊ねる。


「それは、君が持ち込んだ刀か!?」

「そうだが……それを如月きさらぎが奪い取ったらしい」


 月城も、訳が分からないと云う顔で釈明する。

 蓬莱さんは月城の腕を擦り抜け――速足で上野に近付き、その手を握る。

「……今は帰って……彼を傷付けないで…!」


 すると――その声が届いたように、上野の顔から険が消えた。

 上野は瞼を閉じ、ゆっくりと崩れて落ちる。

 和樹はその体を支え、壁にもたれさせた。

 気絶したらしいが、怪我は無さそうだ。

 だが、いつものとは違う俊敏な動きで敵に斬りかかった――。



「……どうなっちゃったの?」

 粉塵と化していく三人の亡骸を避け、フランチェスカは蓬莱さんに近寄った。


ごうは消えぬものよの……」

 老人は嘆き、自ら白炎びゃくえんに飛び乗り、うつむいて息を吐く。

如月きさらぎは、転生する度に兄が居てのう……。兄の神逅椰かぐやに裏切られて以来、理想の兄を求めずにはいられぬようじゃ……」


 聞いた和樹と一戸は、あっと驚く。

 50年前の過去世の彼は言っていた。

 兄と電器屋をやる、と。


 すると――かつて聞いた『如月きさらぎの中将』の声が和樹の脳裏に響いた。


神逅椰かぐやを許さない……死体が好きなら、くれてやる。俺を溺愛してるの前で死んでやる。の前で死ぬ……それが俺の復讐だ……』


 遥かなあの日――羽月うげつ殿と火名月ひなづき殿たちを弔った夜明け。

 如月きさらぎは、確かにそう言ったが――



「……そういうことか」

 一戸は額を抱え、嘆く。

「かつての妖月との闘いでは、如月きさらぎが真っ先に倒されていた。彼の中に存在する初代の『如月きさらぎ』の意思が働いていたのかも知れない。神逅椰かぐやに、自分の死に様を見せ付けてやると云う……」


 彼の指摘に、和樹の胸は重苦しくつかえた。

 『死に様を見せることが復讐』などと、あってはならない。

 いくら転生できるとは云え……いや、転生できるからこその復讐だ。

 愛した家族の無残な死に様を繰り返し見せる――

 それをさせているのは、神逅椰かぐや自身だ――

 

 自分には真似が出来ない行為だと思うが、如月きさらぎを否定しきれない。

 自分を溺愛する兄が豹変し、罪なき人々の命を奪い、故郷を闇に閉ざし、それでも笑顔で「お前を愛してるよ」と言われたら――

 


「およ? あっちに火矢を構えた弓兵がおるぞ」

 窓に掛かった簾の端をめくった老人が告げた。

 月城は、別の窓の簾をめくる。

「囲まれてるな。弓兵が十人ぐらい見える。その周囲に、小太刀を構えた童子たちが居る……おっと」


 月城は屈み込んだ。

 火矢が簾に刺さり、たちまち燃え広がる。

 壁にも火矢が突き刺さり、壁が震え、焼け焦げる臭いが広がる。


「予想通りすぎる……」

 和樹は冷静に呟き、上野の両脇に腕を入れて中央に引きずった。

 卓の下には、皿や箸が落下している。

 潰れた椿餅も転がっている。

 昼間に残した林檎パイを思い出し、帰ったら食べよう……と思った。

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