第41話

「おじさま、ここに来ては現世の御体に障りがあるのでは……」

 フランチェスカは心配そうに、方丈老人に駆け寄った。

 チロも彼女の腕から降り、尻尾を振って老人の周りを回る。

 ジンギスカンパーティーで、お供えをして貰ったことを覚えているようだ。


「ワシは、お主らの闘いの結末を見なくてはならぬ。もう、毎回は来れぬがな……」

 老人は山門脇に座り、チロを抱き上げて膝に乗せる。

「この魂は、相当にガタが来ておるわ。『水守みずもり』であったが故に、『黄泉の流れ』に逆らって此処に来れたがのう……」


「我々は『潜行』して此処を訪れていますが、方丈さまは『流れをさかのぼって』いらっしゃるのですか?」


 一戸が白炎の顔を撫でつつ訊ねると、老人は微笑んだように頬を膨らませた。

「仮に次の転生が在ったとしても……これまでのような助力は出来ぬぞ…」


 その言葉に、和樹は思い出す。

 方丈日那女は、『私をと呼べ』と言っていた。

 研究所の所長は、代々そう名乗ったらしいが、それも偶然なのだろうか?

 この老人は、鮭が遡上するように『黄泉の川』を遡り続けたのだ。

 遡上後の鮭は、力尽きて死ぬ。

 この偉大な先達にとっては、今回がラストチャンスなのかも知れない。

 ならば――


「あたし、頑張ります! 絶対に神逅椰かぐやを倒します!」

 フランチェスカは、力強くガッツポーズを取った。


「そいで……水葉月みずはづき、おふだの出し方を教えろ~」

 上野は、クネクネと月城にすり寄る。

「オレも『術士』だったんだよな? ホレホレホレ~」

 両の人差し指を立て、したり顔で月城の胸を突いた。


「すまん。お前には、もう無理だと思う」

「ほえ?」

 一刀両断され、上野の目は点になる。

「……どゆことですか? 水葉月みずはづきさま?」


「今のお前の『名』は『モディリアーニ』だろ? その『名』に因んだ術を使っただろう? なら、もう無理」

「うっそおおおおお!?」

 

 上野は、グワッと一戸を振り返った。

「じゃあ、チョコモンは何なんだよ!? 普通に薙刀なぎなたを使ってるじゃねーか!? どーして、ケーキナイフが武器じゃないんだよ??」


 すると月城に代わり、老人が答えた。

「ここでの『名』の影響は『術士』の方が受けやすいようじゃ。雨月うげつが前回の転生で敵にられ、かつ現世でケーキ作りが趣味なら、コックコートを着てケーキナイフで闘っていたかも知れん」

「……今から『名』を変えて、クラスチェンジとか無理っすか?」

「残念じゃが、転職アイテムも転職の館も、ここには無い」


 老人は、とぼけた口調で言い放つ。

 しかし諦めきれない上野は、再び月城に詰め寄る。

「お前、あの時に『後で教える』って言ったよな!?」

「そうだっけ?」

「おいぃぃ~~」


「マジ、如月きさらぎって面倒な奴ぅ~」

 フランチェスカは、ジト目で言い放つ。

 後ろに立つ蓬莱さんも苦笑している。


 

 しかし門扉から軋む音が響き、一行は身構える。

 一戸は老人を軽々と持ち上げ、白炎の背の鞍に乗せた。

 

 水葉月みずはづきは、サッと右手を振り――すると、その手のひらには太刀が出現した。

 上野は、またも突っ込む。

「それ、どっから出したんだよ!? そーいや、前も刀を持ってたよな!?」

「日那女先輩から頂いた持ち込みだ。この制服も持ち込み」

「は!?」

「俺は、武器の一つぐらいは持ち込める。『術士』でも、太刀を扱う訓練は受ける。お前は、扱い方を忘れただけだ」

「ひっでー! 不公平!」


「……扉が開く」

 和樹も『白鳥しろとりの太刀』を抜いた。

 月城の能力は謎が多く、説明して欲しいところではあるが――まずは、この闘いで生き延びることだ。

 あの無機質な瞳の後輩たちと対峙するのは辛い。

 出来れば、亜夜月あやづき様のように『解放』してあげたいが――。



 重く熱い扉は、観音開きに開いて行く。

 だが、一メートルほど開くと突風が吹き込み、周囲の情景を塗り替えた。

 一行は、木造の建物の前に立っていた。

 大きさは学校の体育館の半分ほどで、高さは二階建ての家ぐらい。

 窓らしき物があるが、簾で塞がれている。

 家の裏手からは煙が上がっており、魚を焼く匂いが漂っている。

 周囲には何も無く、黒い地面が広がっているだけだ。

 空は薄紫色で、薄雲が流れている。


「これは……『大炊舎おおいしゃ』だ」

 月城は建物を眺め、眉をひそめる。

「『月窟つきのいわ』の帝都に在った『武徳殿』の……『近衛童子』の食堂だ」

「おい、また『時映ときうつし』とかに引っ掛かったんじゃねーのか!?」


「いや……ただの幻覚じゃろう。いつぞやの極寒の海のようにな」

 慌てる上野を、老人は制した。

「『時映ときうつしの術』は、術士専用の剣技じゃ。史上でも十数名の使い手しか居らず、この剣技を知る者は少ない。『四将』の大将だった雨月うげつは知っておるな?」


神名月かみなづきの亡くなったお父さんの姿を見せられた時、瞬間的に思い出しました。あれは、亜夜月あやづき様が掛けたのでしょうか?」


神逅椰かぐやに剣技を貸し与えられた手下の仕業じゃろう。奴は、亜夜月あやづきの剣技をも取り込んでおる。亜夜月あやづき本人との違いは、術の有効範囲じゃな。亜夜月あやづきは、複数名同時に術を掛けられる。これは『時映ときうつし』じゃないか、と疑念を抱くと云うことは、術に掛かっていない証じゃな」


「ですが……『魔窟まくつ』の幻覚は、たちが悪すぎます」

 一戸は苦笑いした。

「寒さも、匂いも感じます。感覚的には、『時映ときうつし』と大差なく感じます」


「で……どーしますか、ボス?」

 上野は、月城に訊いた。

「『大炊舎おおいしゃ』とやらでメシを御馳走になるか、殴り込みを掛けるか」


「中に入ったら、子供たちがゴハンを食べてるとかじゃないよね?」

 和樹は不安そうに建物を眺める。

 覚悟はしていたつもりだが、こちらから殴り込みなど、全く気が進まない。

 出来るなら、武装して先制攻撃してくれるのを望む。

 その方が、罪悪感が少ない――。

 卑怯な言い分だが、やはり丸腰の子供たち相手に太刀を向けたくない――。



 それぞれが出方を検討していると、建物の裏から人影が現れた。

 四十代ぐらいの男性で、両手に持った平カゴには山盛りの干魚がある。

 漂っていた匂いは、干し魚を焙った匂いだった。

 しかし――男性には、生気が感じられない。

 『生者』ならぬ存在であることは明白だ。


「……どうせなら、食事をして行かぬか?」

 作務衣に似た服装の男性は、声を掛けてきた。

「私は敵ではない……懐かしいな。そなたらは『八十九紀の四将』だ……」


「はい……」

 月城は頷き、右手の太刀を消した。

 和樹たちは男性の言葉に驚きつつ、男性と月城を交互に見る。

 月城は前に進み出て、男性に会釈をした。

「四条の納言なごん殿……久方振りでございます」

水葉月みずはづき……そなたも変わらぬな……」

 男性は応じ、悲しそうに微笑んだ。


「我らを……ご存知と云うことは……」

 一戸は訊ね、姿勢を正す。

「我らは昔……ここで食事を振る舞われていたのですか?」

「さよう……私を攻撃できぬか……みな、変わってはおらぬな……」


「この方は『近衛府』出身の庖丁人だ。剣士でもあり、闘いとなれば庖丁を太刀に持ち変える……」

 月城は、痛まし気に目を伏せて説く。

「童子たちは……どこに?」

「……まだ時間はある……入りたまえ……白炎も入れていいよ……隅に繋ごう……」


 

 『四条の納言なごん』と呼ばれた男性は木の扉を押し開け、中に入った。

 月城は無言で一同を促し、続いて中に入る。

 中には、木製の卓と椅子が並んでいた。

 奥は簾が降ろされ、人か動く気配がする。

「弟子たちが、盛り付けをしているのだよ……毒など入れていない……食べていってくれるね……?」


「はい……いただきます」

 月城は頷き、椅子に座った。

 和樹たちも彼に倣い――そして舎内を見回した。

 簾で塞がれた窓以外、室内を飾る物は無い。

 並べられた卓に、燈台が置かれてだけだ。

 燈台の芯には小さな炎が灯っているが、簾越しに差す光で室内は仄明るい。

 

 

 和樹は覚えてはいないが、男性は『近衛府』の先輩らしい。

 四方を囲まれた建物に入るのは、罠に飛び込むに等しいとは思った。

 だが、男性の哀調な物腰に――誘いを断れなかった。

 彼も、子供たち同様に『死者』なのだろう。

 違いは、それを自覚していると云うことだろうか。

 

 

 男性が、簾の向こうに姿を消した時――蓬莱さんは言った。

「… …この方々を……救ってあげねばなりません……」

「……そうじゃな……」

 老人は同意し、和樹も無言で決意を固める。

 男性が、心ならずもこの場所に囚われているのは明らかだ。

 『死者』たちの尊厳を踏みにじる敵を――放置は出来ない。

 やはり、闘いはやめられない。

 久住さんの『闘いをやめて欲しい』との願いを――受け入れてあげられない。


 

 ふと見ると、向かいに座る上野は――上目遣いで、不思議な計りがたい笑みを浮かべていた。

 その嘲笑めいた勝ち誇ったような表情を、いつか見た記憶がある――。

 彼が変わったのは、あの荼毘だびの後だった。


 実兄の非道さに打ちのめされた『如月きさらぎの中将』は――弔いの炎が消えた時、今と同じ笑みを浮かべていた……。

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