第9章(下) 誘那戯 ― いざなぎ ―

第40話

 独り残された和樹は、所在なく仏壇前に座っていた。

 無害とは云え、リビングや自室には子供たちの霊体が居る。

 しかも、蓬莱さんと久住さんに付いて来た子供たちも居座ったままだ。


(いいよ……五、六人増えたって……)

 溜息を払い、残っていた林檎パイに手を伸ばす。

 が……すぐに手を引っ込めた。

 この状況で、ひとりでおやつを美味しく食べられる訳がない。

 手を伸ばした自分の愚行を悔いる。


(父さん……無事に過ごしてる?)

 心を落ち着かせようと仏壇と対座し、父の遺影に語り掛けた。

 久住さんは『闘いを止められないの?』と言った。

 だが、敵は現世にも出現する。

 授業前に異界に移動させられたり、霊界で過去世の自分たちの葬儀も見た。

 こちらが黙っていても、敵は攻撃を止めないだろう。

 何より、『魔窟まくつ』には、父がかくまわれているのだ。


(……千佳ちゃん……)

 和樹は、ふと呼んでみた。

 短い期間だが、そう呼んだこともあった。

 だが、小学校では『お友達は、名字で呼びましょう』と教えられていた。

 小学三年の夏休みに引っ越して来た『千佳ちゃん』を、『久住さん』と呼ぶまでに時間は掛からなかった


 スマホを開き、写真を表示する。

 中学校の入学式の日。

 大きめの制服を着た二人が、マンション前の植え込みの前に並んで立っている。

 久住さんはツーテールの髪型で、はにかむように首を傾げている。

 

神名月かみなづき……)

 和樹は、ふと内なる記憶に語り掛ける。

 そして思い起こす。

 時折、ぎる美しい姫君の姿を――

 遠い日の、自分が愛した人を――

(君は、今も蓬莱の姫君を愛しているのか…?)





 

 和樹は、いつの間にか眠り込んでいた。

 夢の中では――よろめきながら、暗い『魔窟まくつ』を歩いていた。

 

 頭上には、巨大な月が浮いている。

 前方から吹きつける風は、表着うわぎと髪を激しく靡かせる。

 烏帽子は、すでに吹き飛ばされた。

 片足を引き摺り、喘ぎながら進む。

 実体では無いのに、痛みと寒さが震える。

 斬られた脇腹の出血も止まらない。

 息が詰まり、血の味と臭いが喉と鼻に満ちる。


 不意に、琴の弦が切れたような感覚が突き抜けた。

 その意味を即座に悟る。

「……雨月うげつ……」


 呟き、目を見開いたまま項垂れる。

 如月きさらぎに続き、雨月うげつも死んだ。

 彼の最後の言葉が刺さる。

『お前は姫さまの所に……俺のことは気にするな。妖月あやづきには……られる前に自決する……』


「……アラーシュ……セオ……」

 二人の名を囁く。

 ここでは、本名は御法度だと『方丈のおきな』から教わった。

 だが――今は本名で呼んでも、差し支えないだろう。

 そして、覚悟を決める。

 けれど、せめて――ひと目だけもお会いしたいと願う。

 それが叶わぬなら、中心に在る『玉の間』に、少しでも近付いて死にたい。


 あの日から、二千年も経っていると聞いた。

 自分たちが、処刑されてから二千年――。

 黄泉の川を二千年近く流浪し、ようやく三人とも転生できた。

 なのに――


(二人とも、また会おう……水葉月みずはづき……僕らは、四人揃ってこそ……)


 行方の分からない友を想い、目頭が濡れる。

 恨みなど、微塵も無い。

 あの頃のように、手を取り合いたい……。


 目が霞んできたのは、涙のせいでは無さそうだ。

 膝から力が抜け、その場に座り込む。

 もう、前に進めない。

 どうせ死ぬなら二人の傍に居るべきだった、と悔やむ。


 最後の力を絞り、短刀を鞘から抜き、首筋に当てた。

 妖月あやづきに追い付かれる前に、彼らの後を追おう。

 次の転生まで、しばし眠ろう……


 血塗れの手のひらに力を込めた瞬間――目前で、木が軋む音が響いた。

 闇が割れ、僅かな隙間から白い光が差す。

 隙間は少しずつ広がり、いったん止まり、だが放たれた矢の如き速さで広がった。

 大きく開いた四角い空間の向こうは白い光に満ち、少し奥に一台の牛車が停まっているのが見えた。


 屋形やかたの入り口の後面をこちらに向け、両脇には武装した随身ずいじんが立っている。

 随身ずいじんたちは、屋形やかた御簾みすを上げた。

 すると――老いた尼君と、その奥に最愛の姫君が座しているのが見えた。

 姫君は、御髪を肩の下で断ち、墨染の小袿と灰色の袴を身に着けておられる。

 

 すでに、『大いなる慈悲深き御方』に魂を捧げた者の姿だ。

 清らかな風情はいっそう増し、神々しく美しい。

 神名月かみなづきは、最愛の人を見上げ、首の血管に短刀を突き立てる。

 視界が閉じ、風の音も途切れる。

 だが、憂愁を帯びた声は確かに囲えた。


『私は、ここに残ります。いかなる邪鬼じゃきであろうと、見捨てることは出来ません。そして二度と……ここに来ぬよう命じます』

 

 

 

 和樹は首筋に激しい痛みを感じ、飛び起きた。

 座布団を枕にして、眠ってしまったらしい。

 体に何も掛けていなかったので、肌寒さを感じる。

 

 腕を撫でながら腰を起こすと、玄関のチャイムが鳴っているようだ。

 微かに、母の声が聞こえる。

 和樹は夢に酔ったように家具に掴まってとリビングを横切り、玄関ドアを開けた。

 母は、緊張した顔で立っている。

「心配だから早退してきた。夕飯に、お弁当を買って来たけど……子供たちは、まだ居るのね?」


 母の手には、膨らんだエコバッグが下がっている。

 母は鍵を持っているが、さすがに自らドアを開けるのは怖かったらしい。

 とりあえず、息子を呼んで様子を伺ったと云うところだろうか。

 和樹は、腕時計を見た。

 針は、午後の二時半を差している――。

 


 

 

 そして午後の九時半――

 一同は『魔窟まくつ』に降り立った。

 上野と一戸、月城には、詳細は話している。

 四人は顔を見合わせたが、月城の表情が一番さえない。

 彼は、当時の記憶を持っているのだから当然だが――


「……お前、子供たちの霊体が視えたらしいが?」

 一戸は愛馬の頬を撫でながら訊ね、月城は頷いた。

「ああ……間違いなく『近衛童子どうじ』たちだった。一時間ほど前に居なくなったが」


「僕の家も同じ。全員、消え去った」

 和樹は答える。

 母と和室で夕食の弁当を食べた後、テレビを観ている最中に子供たちは消えた。

 母は胸を撫で下ろしたものの、息子の今宵の闘いを思ってか、言葉は少なかった。


 

「無害だったのは幸いだけどよ……今夜は面倒な闘いになりそうだな」

 上野はベレー帽を目深にかぶり――前方を指した。

「パーティーの主催者様の御登場らしいぜ」

 

 見つめると――今まで以上に巨大な山門が、闇から押し出されるように現れた。

 年月を経て灰褐色に変色した木の門柱は太く、上の屋根は闇に紛れて見えない。


 「この門、大き過ぎませんか? 何か、怖いです……」

 チロを抱いたフランチェスカが、蓬莱さんに訊ねる。

 今までは二階の屋根の高さぐらいだったが、今回はその倍以上はありそうだ。

 扉の幅も広く、五メートルを超えているように見える。


「『宝蓮宮ほうれんのみや』に近付いているようです」

 蓬莱さんは瞼を閉じ、脳裏の記憶を引き出す――。


「都の中心の北寄りに『宝蓮宮ほうれんのみや』が在った筈です。『宝蓮宮ほうれんのみや』の北側には寺院が集中していて……中央の大路付近に。貴族や士族の邸宅が在り、それらを囲むように民の家が在って……都の四方の門の周辺に、衛士たちの詰め所が在りました……」


「敵の本拠地、か……」

 和樹は昼間の夢を思い出す。

 開いた空間の向こうに居たのは、牛車に乗った姫君だったが――。


「……そうじゃな……」

 門柱の脇から、方丈老人の呟きが聞こえた。

 老人はいつもの小柄な『影』の姿で現れ、一同を見上げた。

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