第39話

 ――方丈日那女は昔語りを止め、一同を見渡した。

 そして、いつもの聞き慣れた口調に戻り――久住さんを見つめながら言う。


「そう……終末が訪れたのだ。『月の国』の『近衛府』の崩壊で……」

 語る彼女の瞳は、水に映った影のように揺れている。


「『近衛府』は、帝都と帝の警護を受け持っていた。その象徴が『近衛府の四将』と呼ばれる若者たちだ。私は『第八十七紀 近衛府の四将』の一人で、『水影月みかげづき』と呼ばれる術士だった。そして神無代かみむしろたちの過去世が『第八十九紀 近衛府の四将』だ。彼らが『四将』に抜擢されて間もなく、その時は来た……」


 久住さんは何とも言えぬ表情で和樹に目を向け、聞き耳を立てる。

 彼の『悪霊』との闘いは知っていたが、別の世界の話に枝葉が延びている。

 頭で理解するには、唐突過ぎる話だ。

 方丈日那女は、彼女にも理解しやすいよう、言葉を選んで語る。


「私の姉と、姉の恋人も『第八十七紀の四将』だった。現世でも起きる男と女のすれ違いで……姉の恋人は、姉を殺害した。ここまでなら、珍しくない事件だろう。違うのは、この先だ。姉の恋人は狂気に犯され、近衛府の見習いの子供たちを殺害した。その中に、私の腹違いの……年の離れた弟が居た」


 話を聞いた三人は、同時にリビングを見た。

 視える視えないに関わらず――子供たちの最期を思い、それぞれに黙祷する。

 子供たちは、なぜ自分たちが死ななければならないのか――何も理解できぬまま、今もこうして彷徨っているのだ。

 蓬莱さんは、口元を手で覆う。



「近衛府の師範たちも殺され、近衛府の館は炎上した。それからは先は、あっと言う間だった。奴は、近衛府が反逆を企てたと帝に報告し、近衛府出身の武官たちを捕らえ、多くは処刑された。『第八十七紀の四将』の残りの一人は、奴の親友だった。彼の手引きもあり、『第八十八紀』と『第八十九紀の四将』は『花の国』に逃れた」


 方丈日那女の声は少し詰まり……温くなった紅茶で喉を潤す。

「だが、奴は……親友に処刑宣告をした。彼を救うべく『第八十八紀の四将』たちは『月の国』に戻り、瀕死の彼を『花の国』に転移させ……帰らぬ者となった。そして奴が率いる『月の軍』は『花の国』に侵攻し、王と后、そして『第八十九紀の四将』たちは処刑場に引き出された……」


「そんな……」

 久住さんは言葉を失い、和樹を見た。

 幼なじみの壮絶な過去世に。震撼したのだろう。

 久住さんの反応に、和樹は物悲しく微笑む。

 それは、彼女が見たことの無い表情だった。

 優柔不断だけれど、決して他人を責めない、陰口を言わない『幼なじみ』の、初めて見る顔だ。

 

「もう……いいです、先輩」

 和樹は、方丈日那女の言葉を遮った。

 久住さんを見て、『言われちゃった』とばかりに、肩をすぼめる。

 彼女に血生臭い話を聞かせないようにしていたのに、叶わなかった。


「先輩の言った通り、僕も上野も一戸も……月城も『黄泉の川』を通り、この現世に辿り着いた。水影月みかげづきさんも、たまたま処刑場に紛れ込んだ仔猫もね。僕たちは何度も生まれ変わって、敵に挑んでる。『魔窟まくつ』とは、二つの国の成れの果てらしい」


 久住さんは、傍らのミゾレを見た。

 和樹の話からして、ミゾレも惨たらしい最期を迎えたことは想像が付く。

 鼻をすすり、ミゾレを抱き上げて頭を撫でてやると、ミゾレは可愛らしく鳴いた。


「ナシロくん……闘いを、やめられないの? 『魔窟まくつ』に行かなくても……」

 

「50年前だが……当時も高校生だった神名月かみなづきたちは、事故死させられた。こっちが行かなければ、奴の方から来る。久住くん……君を危険から遠ざけたい」

 方丈日那女は、困惑する下級生に、実の姉のような眼差しを送る。

「ミゾレは近いうちに我が家で引き取る……分かって欲しい…」


「はい…」

 久住さんに代わり、答えたのは和樹だ。

「奴は『神逅椰かぐや』と名乗ってる。そんな卑劣な奴の前に、久住さんを立たせることは出来ない。敵の恐ろしさに気付いてたのに……僕が間違ってた」


 和樹は、久住さんを説き伏せようとする。

 そして――ふと、蓬莱さんと目が合った。

 蓬莱さんは、ひそやかに首を縦に振る。

 不意に、懐かしい感覚が胸を突いた。

 

 あの日、最期の時を前に見つめ合った感覚――

 それは、神名月かみなづきの中将が最期に見た微笑みを思い出す――




「……責任は私にある」

 方丈日那女は後ろに下がり、久住さんに頭を下げる。

「先日、学校に『結界』を張りまくったんだが……教頭がブッ倒れてた事件を覚えているな? あの時の霊体は二体居た。月城が一体を退散させたが、もう一体の行方が分からん。注意していてくれ」


「はい」

 和樹と蓬莱さんは頷いた。

 が、久住さんは縋るようにミゾレを抱き締める。

 まるで、アニメか特撮ヒーローの防衛基地に迷い込んだようだ。

 同級生も先輩も、抱いている猫さえも――自分とは違う世界に生きている。

 命を懸けた闘いに、身を浸している――。

 

 

「……久住くん、君と君の御家族は、我々が全力で守る!」

 方丈日那女は宣言し、脇に置かれていた洗面器を手前に引き出した。

 和樹は敷いていた新聞紙をサッと移動させ、日那女はその上に洗面器を置く。


水影月みかげづきとは、『みず・かげ・つき』と記す。私には、神無代かみむしろたちのように『魔窟まくつ』に潜る能力は無い。だが、水影月みかげづきが持っていた能力を引き継いでいる。水を通して、目に見えぬものを捉えられる」


 方丈日那女は、人差し指の先を洗面器の水に浸した。

 すると指先を中心に、波紋のように小波さざなみが立つ。

 揺れ動く水面に、久住さんは大きな目を見開いた。

 天井から風が吹き込み、電灯の釣り紐がクルクルと回転する。


「先輩……?」

「……居ないか……」

 方丈日那女は、指先を引き上げた。

「弟の霊体が居るか、調べさせて貰った。反応が無い。ここには居ないな……」


「私の家も調べますか?」

 すかさず蓬莱さんは提案したが、方丈日那女は却下する。

「いや……他の家をハシゴするのも手間が掛かる」


 脇のボックスティッシュから一枚を引き出し、指先を拭う。

水影月みかげづきは、六歳で母親を亡くした。父親は十年後に、若い娘と再婚し、待望の長男が生まれた。水影月みかげづきが弟と会ったのは、十回にも満たないが……今宵、相対することになったら………」


「そんな…!」

 和樹は腰を上げた。

 リビングに居る子供たちが、今宵の敵になることは……あり得る。

 敵は、そういう男だ。

 親友にも、実弟の如月きさらぎにも容赦しなかった。

 恋人だった亜夜月あやづきを、自分たちと闘わせた――。


神無代かみむしろ……お前たちは、自分たちの身を最優先しろ」

 方丈日那女は眼鏡を掛け、警鐘を鳴らす。

「今回は、単体だった前の敵とは違う。手加減するな……」

「先輩……」

「私は、お前たちが生き延びるのを望む。それだけだ……」



 重苦しい沈黙が部屋を包む。

 和樹も言葉が出ない。

 指示を下した方丈日那女が、一番つらいだろう。

 子供たちへの攻撃を命じることは、極めて不本意な筈だ。

 弟の姿を探そうとしたのも、最後の再会を望んだからに違いない。

 

 重苦しい沈黙を破ったのは、ミゾレだった。

 久住さんの腕を擦り抜け、がテーブルに乗り、久住さんのティーカップを突いた。

 そこで、会合はお開きになった。


 四人とも無駄口は叩かず、ありきたりな挨拶だけをして神無代かみむしろ家を後にする。


 久住さんはミゾレを抱いて、自宅の玄関ドアを閉めた。

 方丈日那女と蓬莱さんは、揃ってマンションを出た。

 ひとり残された和樹は、仏壇の前に座る。


「……父さん……」

 父の写真を見て、そして振り返る。

 子供たちも、こちらを見ていた。

 救いを求めるでなく、憎悪するでなく――。

 

 今まで闘った敵たちも、罪の無い人々たちが『悪霊化』したものだった。

 だが、彼らの多くは『顔』が無かった。

 『顔』を持つ敵は、妖月あやづきが初めてだった。

 和樹は、『恐怖』に気押される。

 敵と闘う『恐怖』でも、死の『恐怖』でも無い何かに。





 方丈日那女は、蓬莱天音をマンションまで送って行った。

「……先輩。よろしければ、休んで行きますか?」

 

 そう訊ねたが、日那女は首を振る。

「いや……蓬莱くん……」

「はい……」

「君は、何となく理解しているな?」

「……月城くんのことでしょうか?」


「そうだ」

 方丈日那女は、声のトーンを落とす。

「……この機会を逃すな。四将が揃った今をな……」


「分かりました……」

 蓬莱天音は、厳しい表情で前を見る。

神無代かみむしろくんたちには……言わないのですか?」


「言いたければ、月城本人が言うだろう……自分は転生できない、とな……」

 方丈日那女は、空を見上げた。

 痛々しいまでに、空は澄んでいた。


「身勝手だな……私は……」

 流れる薄雲に手をかざし、目を細める。

「姉を救ってくれた彼らに感謝し、その翌週に子供殺しを命じている……何をやってるんだか……」

「……私は言いました……私を救いに来た彼に……」


 蓬莱天音の唇が動く。


『私は、ここに残ります。いかなる邪鬼じゃきであろうと、見捨てることは出来ません。そして二度と……ここに来ぬよう命じます』

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る