第38話
「
開口一番、方丈日那女は元気よく右手を挙げた。
えんじ色のリュックを背負い、左手には紙袋を下げている。
白シャツ、先日と同じデニムキュロット、紺色のボレロ、赤ソックスにスニーカーと言うコーデだ。
玄関で出迎えたのは、チェックシャツにデニムパンツの和樹だ。
「先輩、お待ちしてました。どうぞ……奥の和室が空いているので……」
「すまんな。私には『霊体』は視えないが……洗面器と水は用意してくれたかな?」
「はい。どうぞ」
和樹は上がるように勧め、日那女はスニーカーを脱ぐと、紙袋を手渡す。
「『
玄関に並ぶ茶色のバレエシューズと灰色のスリッポンを見て確認する。
「はい。一戸は部活で、上野は両親が心配だから家に居る、と。月城は、大勢で押し掛けたら迷惑だから後で連絡をくれ、との返事でした。それより……お気を使わせてすみません」
和樹は、菓子袋を掲げて頭を下げる。
しかし方丈日那女は、にこやかに首を振った。
「いやいや、君のお父上の勇気には感服する。今は、この程度のことしか出来ぬが、きっと君たちの頑張りに報いてみせる」
「……ありがとうございます。飲み物は紅茶で良いですか?」
「うん、お構いなく。ところで……」
方丈日那女は、リビングを眺める。
「残念だが、私には子供たちの霊体が視えぬ。何人ぐらい居る?」
「久住さんと蓬莱さんにも数名ずつ付いて、家に入って来ました。今は、ちょうど20人居ます。灰色の作務衣のような服を着ています」
「『近衛童子』だな……彼らの修練着だ」
方丈日那女は溜息を吐く。
「子供たちは、お仏壇のある部屋には居ないな?」
「はい。あと水回りにも」
「彼らの体を通り抜けることは可能か?」
「近付いたら、向こうから避けてくれるようです。あの……」
「……弟のことは、後で説明する。まずは、おやつを食べて落ち着こう」
方丈日那女は「淑女諸君、おはよう~」と言いながら、リビングに入る。
和樹はキッチンに入り、ヤカンの湯を再沸騰させ、ティーバッグをカップに入れて湯を注ぎ、スティックシュガー・ミルクポーション、レモンポーションボトルをトレイに載せて運ぶ。
仏壇の在る和室では、三人と一匹が待っていた。
久住さんは、七分袖のボーダー柄のカットソーの黒のカーゴパンツ。
蓬莱さんは、濃紺のブラウスにデニムスカートを履いている。
三人は折り畳みテーブルを囲み、ミゾレは窓際の座椅子に体を伸ばしている。
テーブル中央の紙袋の上には、個包装の長方形の二口サイズの林檎パイが置かれている。
「
「はい……どうも」
和樹は、方丈日那女と蓬莱さんの間にトレイを置き、そこに座った。
方丈日那女は、各自にカップを配る。
仏壇の前には菓子折が置かれ、線香も炊かれていたが、すでに消されていた。
着席した和樹は、林檎パイを二個ずつ配った。
粉雪のようにシュガーパウダーをまぶした林檎パイは、食べ慣れた菓子だ。
紅茶にシュガーを入れ、レモンポーションを数滴たらし、かき混ぜる。
方丈日那女はストレートで、久住さんと蓬莱さんはミルクとシュガーを入れる。
「いただきます……遠慮せず、食べくれ」
方丈日那女は紅茶をすすり、林檎パイを開封してかじる。
さっくりしたパイ生地の中から飛び出たシナモン風味の甘い林檎が、舌を撫でる。
「……美味しいです」
久住さんはパイの味を褒めたが、その表情はぎこちない。
隣のリビングに子供の幽霊が
家に入る時も、縋るようにミゾレをしっかりと抱き締めていた。
「……私の父が小学生だった頃の話だが」
方丈日那女は、二つ目の林檎パイに手を伸ばす。
「学校の廊下に、ある写真が貼られたそうだ。画用紙の上に写真を貼ったものだが、画用紙にはこう書かれていた。『ナントカちゃんの後ろに白いかげが!』とな。ナントカちゃんの後ろに、人の形をした白いものがクッキリ写ってたらしい。生徒たちが押し寄せ、駆け付けた教師が、画用紙を剥がした」
「心霊写真ですか……?」
「フィルムを現像した写真だし、細工の有無は分からん。だが、目に見えぬものは確かに存在する。私の中学の修学旅行の時、同級生が青ざめた顔で話していた。境内に在った石塔を撮ろうとしたが、悪寒が走って止めた。あれ撮ったら絶対にヤバかったとな。霊感のある生徒では無かったが、相当にヤバイ何かを感じたのだろう。撮らなくて正解だった」
「……はい……」
聞いていた三人は、同時にリビングを見た。
何の変哲も無い、ありふれた家具が置いているだけだが、哀れな子供たちの霊体が
佇み、座っている――。
「さて……久住くんは、特に寒気とか感じないかな?」
「はい……子供たちの話を聞いて、怖いとは思いましたが……寒気は別に無いです」
「ならば、子供たちが『祟る』ようなことは無いだろう。さて……本題に入るが」
方丈日那女は、紅茶にレモンポーションを一滴注ぎ、口元でカップを傾ける。
「久住くん……君は、降りた方が良かろう」
「え?」
「我々の闘いに関わるな、と言う意味だ。ミゾレは我が家で飼う。今日とは言わん。ご家族には『先輩の家に連れて行ったら、逃げた』とでも言え」
「そんな……そんなことを言われても……」
久住さんは狼狽し、助言を求めるように、和樹と蓬莱さんを交互に見る。
「あたし……邪魔なんですか……?」
「そうでは無い。君はミゾレの飼い主で、
「……けれど……」
「ミゾレが居れば、どうしても敵は寄って来る。ミゾレを家から出した後、君の家の周りに『結界』を張って『霊の通り道』を塞ぐ。二度と敵が入り込めないようにな。友人付き合いは、今まで通り続ければ良い」
「……でも……あたしだけ……」
久住さんは、受け入れられない様子だ。
和樹としては、方丈日那女の提案に全面的に賛成だ。
今まで、彼女を付き合わせていたのが間違っていたのだ。
だが『結界を張る』と云う解決策があるなら、喜んで受け入れたい。
方丈先輩の言葉に甘えよう、と勧めたいが……けれど、久住さんは唇を結び、項を垂れている。
ミゾレはヒョコヒョコと寄って来て――久住さんと蓬莱さんの間に座った。
「よろしい……遠い過去の話をする。おとぎ話のような、本当の話をな……」
一同を見回し、方丈日那女は深呼吸をした。
眼鏡を外し、テーブルの隅に置く。
半ば瞼を伏せ、顔を心持ち上げ、見えざる何かに想いを馳せるように、語り出す。
男も女も、老人も子供も、聴くが良い。
月の国に伝わる寓話を。
その世界には、三つの国が在った。
『星の国』、『月の国』、『花の国』の三つの国が。
それらは、『
『花の国』は『根の国』とも呼ばれ、大地に根付いていた。
『月の国』は『花の国』の上空に浮かび、その二つを見降ろすのが『星の国』。
しかし『星の国』は、次第に空の果てに遠ざかり始めた。
『星の国』の住人たちの一部は、『月の国』に移り住むことを決めた。
白い砂に覆われた、白い岩が剥き出しの『月の国』に、五百人が降り立った。
五百人をまとめる長は、地下に水脈を見つけた。
人々は水脈を掘り、広げ、泉を造った。
やがて泉は溢れ、細い川となって下流に流れ、大地を潤した。
『星の国』から持って来た種は芽を出し、草が繁り、鳥たちは種を運んだ。
ある時、五代目の長は、見慣れぬ白い鳥を見つけた。
見慣れぬ白い鳥は、やがて三羽に増え、やがて五羽に増えた。
人々は飛び立つ鳥を追いかけることにした。
あの鳥は、もしや『根の国』から飛来したのではないか――?
そう思ったからだ。
そして人々は見た。
鳥が、夜明けに陽射しの彼方から来るのを。
鳥が、日暮れに陽射しの彼方へと帰るのを。
夜明けと日暮れに『根の国』に通じる扉が開くに違いない。
確信した五代目の長は、七人の使者を送ることにした。
馬に上等の織物を積み、種を携え、使者たちは日暮れの陽射しの中を進んだ。
陽射しを抜けると、そこには花咲く平原が広がっていた。
千歩平原を進むと、澄んだ泉が在った。
泉の片隅には、小さな小屋が在り、気配を察した小屋の住人が出て来た。
彼は丁重に一行を迎え、王宮へと案内した。
こうして『月の国』と『花の国』の人々は出会い、二つの国は手を取り合い、永き繁栄が始まった。
しかし、始まりがあれば、終わりは訪れる。
二つの国も、その
方丈日那女の、品位ある
動くのは、壁時計の秒針とミゾレの尻尾だけ――。
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