第9章(上) 誘那水 ― いざなみ ―
第37話
彼は、一番身近な友達だった。
ちょっと気弱だけど優しく、怒った顔を見たことが無い。
傷付けられると、少し悲しそうな顔で、黙って耐えている。
「地元の大学を出て、地元で就職して、家を買いたいな。一軒家なら、郊外の平屋が良いかな。でも冬の除雪を考えると、マンションが良いのかな?」
――中学三年生に進級した頃、彼は生真面目に話してくれた。
結婚して家庭を持つ話など、この齢にしては早い。
けれど親孝行な彼は、堅実に働き、温かい家庭を持ちたいのだろう。
早く大人になって、母親を楽にしてあげたい――。
その一心から来る早熟さなのだ。
だが、彼は平凡な少年では無くなった。
彼は『
幼なじみの友人たちも加わり、あげくは自分の飼い猫も参戦した。
転校して来た蓬莱さんが、闘いの中心に居ると言う。
蓬莱さんの正体は、行方不明中の『村崎綾音』さんで、彼女に『蓬莱の尼姫』なる異界の姫君が憑依したのが『蓬莱天音』さん……。
「……はぁ……」
久住千佳は眠い目をこすり、ベッドにもぐったまま――スマホの写真を眺めた。
三日前に、方丈邸で撮った写真だ。
和樹・上野・一戸・蓬莱さん・そしてミゾレを抱いた自分が写っている。
友人の大沢真澄さんにも送った写真だ。
大沢さんからも、昨夜に写真が送られてきた。
乳牛の前で、オレンジ色の作業着姿の男子二人・女子二人がポーズを取っている。
左端に写っているいるのが大沢さんで、四人とも晴れやかな笑顔だ。
『朝の六時半。牛舎の掃除とエサやりで~す☆ やっと慣れてきたよ』
写真には、メッセージが入っている。
今日も早起きして、牛舎の掃除に励んでいるかも知れない。
充実した高校生活を送っているのだろう。
けれど……自分は、どうだろう?
「何か、疲れたな……」
壁に貼ったパンダのイラストのカレンダーを見る。
明日は登校日だし、黄金週間明けには中間テストがある。
遊んでばかりいられない。
なのに、勉強に身が入らない。
教科書を開いても、文字列が頭に入って来ない時がある。
「どうしよう……」
頭を上げ、ベッドの下を見た。
猫用ベッドの中で、ミゾレは首を左右に動かしている。
「ねえ……ミゾレは幸せ…かな?」
呟き、スマホを閉じる。
あと、一時間は眠りたい――。
久住千佳は、瞼を閉じた。
「かずき……起きて、和樹」
肩を揺すられ、目が覚める。
薄目を開け、窓際に目を向けた。
カーテンは暖かな日差しを受け止め、白い裏地が透けて見える。
「ん……かあさん……なに……?」
「家の中に、何か居る」
「えっ」
寝返りを打ち、傍らに立つ母の沙々子を見上げた。
母はカーディガンを羽織り、引き攣った顔でこちらを見ている。
「何かって…」
そう訊ねたものの、事情をすぐに悟って絶句する。
母の周囲に、子供が二人立っている。
小学校の高学年ぐらいの男の子と女の子だ。
二人とも作務衣のような服を着ている。
男の子は長めの髪を一つ結びにし、女の子は……いわゆる『おかっぱ』だ。
「まさか!」
引っ張られたように上半身を起こし、子供たちを見つめ、記憶を手繰る。
『近衛府の四将』の叙任の儀式でレッドカーペットを歩かされた時、周囲に座っていた子供たちと同じ髪型だ。
この子供たちは、間違いなく『近衛府の童子』たちだ。
過去世の自分たちは処刑され、あの世界は『
ならば、あの世界で生きていた童子たちも……
「和樹……『悪霊』が居るの?」
沙々子はベッドに座り、息子の手を握る。
「気配を感じるけれど、母さんには視えないわ……」
「子供が二人居る。僕の過去世の……その世界の子供たちだと思う……」
「実は……リビングにも居るみたいなんだけど……」
「えっ!?」
和樹はベッドから飛び出て、リビングに走り込む。
すると、食卓の椅子とソファーに子供たちが座っていた。
ソファーの周りにも四人が正座している。
全員が、罰でも受けたような――暗い表情だ。
「これは……」
信じ難い状況に、和樹は立ち尽くす。
自分の家で、こうも鮮明な『霊体』たちを視たのは初めてだ。
髪の色や服の色も、顔もはっきり識別できる。
けれど、じっと目を凝らすと、子供たちの体が微かに透けて視える。
「母さん、子供たちがテーブル周りに座ってる。早目に仕事に出て。ファストフード店で、時間を潰せないかな」
和樹は、母を避難させようとした。
子供たちの思惑など知るべくも無いが、母に災いが及ぶのは避けたい。
「今夜は『
「でも」
「僕は大丈夫だから……蓬莱さんにも連絡するよ」
和樹は、スマホを取りに部屋に戻る。
この様子では、彼女の家でも同様の事態が起きているかも知れない。
すると、着信音が鳴っていた。
子供たちを避けてベッドに上がり、枕元のスマホを手に取る。
確認すると、相手は月城だった。
意外な相手に驚きつつも、電話に出る。
「もしもし……月城か?」
『そうだ。お前の家にも居るだろう?』
「え……まさか!?」
和樹は驚き、足早にリビングに戻る。
「月城。母さんも子供たちの気配を感じてる。音声をスピーカーに切り替えて、話を聞かせても良いか?」
『……ああ。仕方ないな』
月城は、僅かな間を置いて返答した。
母には、彼も仲間だったとは言ってあるが――。
とにかく、この状況では母を誤魔化すのは無理だ。
ならば子供たちの霊体に付いて、はっきり知らせた方が良い。
和樹はスマホを持って和室に行き、仏壇の前に母と並んで座り、布団の上にスマホを置く。
この部屋に子供たちは居ないが、リビングからこちらを見ている。
視線が気になるが、襖を閉めるのも気が引ける。
子供たちを刺激する態度は取るべきではないと判断し、会話を続ける。
「あ~……で、月城。君の家にも子供たちが居るのか?」
『十人ほど居る。嫌がらせに、子供たちの霊体を送り込んでいるんだろう』
「上野たちの家にも?」
『まだ連絡が来ない奴らは、寝てるか視えないかだろう。我々の家だけで、済むとは思えないが』
「まさか……久住さんの家にも?」
『ミゾレが居るからな。おそらくは……』
「そんな……」
和樹は額を押さえる。
久住さんにまで嫌がらせをするとは、悪辣すぎる。
不本意ながら闘いに巻き込んでしまっているのに、罪の無い子供たちの霊体を家に居座らせるなど、あるまじき行為だ。
彼女には気付かれぬように、解決したい。
が、ここで和樹は気付く。
「そう言えば……君は子供たちが視えてるんだ?」
『視えるけど……』
「あの……子供たちは、人に危害は加えないかな?」
『子供たちからは悪意は感じないし、現世に影響を与えるような力も感じない。夢を見てるような状態だと思う』
「……ありがとう、教えてくれて。今夜、『
『後で、行く時間を教えてくれ』
そして、月城は電話を切った。
母は嘆息し、リビングを眺める。
「……酷いことをするのね。子供に……」
「うん……」
和樹は頷いた。
「もう少し経ったら、みんなに連絡するよ。家族に害が無いなら、岸松おじさんにも黙ってる。母さんは、普段通りに出勤して」
「分かった……。朝ご飯は、ここで食べましょう」
沙々子は、息子の提案に従う。
この数ヶ月で大きく変わった息子は少し頼もしいが……危険と隣り合わせに生きていることが悲しい。
沙々子は憂えた表情でキッチンに向かい、和樹は母の布団をたたみながら、仏壇横の掛け時計を見る。
午前六時前だ。
上野たちに急いで連絡しても、状況は変わらないだろう。
一戸はもう起きているだろうが、電話もメッセージも来ない。
『悪霊』が視えるのは自分と、訳ありの月城だけのようだ。
母の出勤後は、夕方まで子供たちとにらめっこする覚悟を決める。
押し入れに布団を仕舞うと……また電話が鳴った。
今度の相手は、方丈日那女だった。
和樹は、小声で応答する。
「先輩……おはようございます。あの……」
『分かっている。お母さんは、今日は出勤か?』
「はい。八時に家を出ます」
『そうか……後で、お前の家に行く』
「構いませんけれど……」
『確かめたいのだ。弟が居るかどうか……』
「え…?」
『私には、腹違いの年の離れた弟が居た……。
「……分かりました……」
和樹は、ただ頷いた。
そして、また電話は切られた。
スマホの画面を見つめ、唇を噛み締める。
姉の
絶望的な状況下で、それでも立ち向かった――
いや、勝ち目が無いからこそ――
彼女の心情を想像し、やるせない思いに胸が痛む。
和樹は、スマホの画像データを開いた。
ジンギスカンパーティーで撮った写真を眺める。
上野、一戸、月城、蓬莱さん、久住さん、ミゾレと黒猫、クラスメイトに同好会の仲間に、先生たち、笙慶さん……
そして、大沢さんが送ってきた写真。
平凡だけど、かけがえのない日常を切り取った光景だ。
内に眠る記憶に思いを馳せ、カーテンを開く。
早朝の空は青かった。
差す光は緩やかに眩しく――しかし振り向くと、打ちひしがれた表情の子供たちが佇んでいる。
子供たちには、この青空も光も見えていないのだろう。
同じ場所に居ても、同じものは見えない。
彼らの瞳に映るものを、知る由もない。
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