続・第8章 偶 ― むくろ ―
第36話
「顔色が冴えない御様子。夜は眠れていらっしゃいますか?」
すると、亜夜の君が答えた。
「奥方さまは、最近はお食事が進まず……お
「それはいけない。では、山海の珍味や果実など、お取り寄せいたしましょう」
「お心遣い、感謝申し上げます」
亜夜の君は頭を下げ、言葉を濁し気味に言う。
「恐れながら、奥方さまの御親御さまの件ですが……」
「……遠慮なく申せ」
「奥方さまは、御親御さま方にお会いすると、少しお元気になられます。出来れば、もう少し間を置かずにお逢い出来ればと……」
「承知した。では、母君をお傍に召し上げよう」
「あの方々も、こちらの暮らしに慣れて来たようだ。玉花さまも、母君とお過ごしになれば、心も慰められましょう」
しかし玉花の上さまは、無言で
絵物語に描かれたように、動かない。
ただ微笑みを浮かべたまま、ひな人形のように座っていらっしゃる。
その笑みには、幾許かの暗い影が映っているが――。
「では、亜夜の君。玉花さまのお世話を頼みますよ。私は、客人たちに挨拶をせねばならぬゆえ」
寝殿を出て廊下を渡り、東の対舎に向かう。
今宵は、親友の
占いで目的地が凶の方角と出た場合、その目的に向かう前に別の方角にある場所に泊まり、翌日に改めて目的地に向かうのである。
「久し振りだな。
客用に設えた部屋に入ると、
「
「何を言ってるんだ。来てくれて嬉しいよ」
今宵は、親戚の
「お邪魔しております。我らもお招きいただき、かたじけのうございます」
「いや、人は多い方が楽しい。遠慮せずに楽しんでくれ」
恐縮する二人に笑顔を振りまき、
すると、お仕えする
置かれた
澄んだ酒、干し肉、焼き蛸、干し梅、びわ、ゆず、柿、栗、かい餅。
それらに塩や酢などを付けて食べる。
この東の対舎の表にも池があり、四人は水鏡の月の美しさについて語り合い、酒と食事を楽しんだ。
春の夜風は心地良く、やがて
深々たる宵闇に、
「春は花の色が鮮やかなれど、虫の音が無いのが物足りなくも感じます」
「では、弟たちを呼びましょう。笛など合奏させましょう」
「夕刻に、庭の裏手から笑い声が聞こえたよ。
「まったく、とっくに
設えた客間の反対側の部屋で、弟たちは過ごしているのだ。
部屋に面した廊下の
「あにうえぇ……」
立て障子の前で泣いている
薄橙色の
「あ、あにうえ……かみなづきとうげつが、ぼくのたからもので、かってにあそぶんです……」
見ると、
「うえのくんのおめんで、ふくわらいしてる……ひどいよ……」
泣きじゃくる
「うっせーな、お前もやれよ。
それを見た
「やめろよ。鼻の穴が広がったら可哀想じゃないか」
すると
「……
「うしろでねてる……ううっ……たすけてくれない……」
覗くと、立て障子の後ろに敷いた畳の上に、
布製の猫の玩具を抱き、枕元には木彫りの馬の玩具を置いている。
くうくうと気持ち良さそうに寝息を吐き、周りの喧騒など耳に入らぬ様子だ。
「……
名指しされた二人は顔を見合わせ、舌打ちし、持っていた顔パーツを放り出した。
それを嘲笑う
「でも僕たち、リコーダーしか吹けませーん」
「……何でもいい。私に恥を掻かせるな」
「はい、
一本を
「あーれぇー?」
「変だなー? もう一回っ」
しかし、ここで
「このクソガキが! まともなことが出来んのかぁーーーーっ!」
腰に差していた太刀を抜き、
肉を貫く手ごたえと、床板の割れる音が響く。
立て障子の後ろから、猫の玩具を抱いた
鬼の形相の
「ふざけやがって! 何でお前たちは、いつもそうなんだ!? 何度作り直しても、まともな奴がいない! この、クソが、クソが、クソがあああーーーっ!」
……やがて
「忌々しい奴らだ! 笛ぐらい、まともに吹きやがれ!
足音が遠ざかるのを待ち――
「怖かったねー、
「かみなづきのせいだよ……あにうえにしかられた……」
黒い小型犬は、しきりにお面のニオイを嗅いでいる。
「うげちゅ……太刀を抜いちぇえ……」
立ち上がり、太刀の柄を握って引き抜くと、用済みとばかりに投げ捨てる。
「リコーダーが下手だなあ、
「おもしれー。穴が開いてるうぅ! ぎゃははははははははははははは!」
裂け目に指を突っ込み、大声で笑う。
笑い声を聞いた
「ははははははははははははははは!」
「ひゃははははははははははははは!」
「ひどいよ~、三人とも……ふははははははははははは!」
「きゃははははははははははははは!」
「ふぁははははははははははははは!」
「ははははははははははははははは!」
「ぶぁははははははははははははは!」
四人はひざ詰めで座り、互いの顔を見て、ひたすら笑い続けた――。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます