第35話

「……遅かったね」

 久住さんと蓬莱さんは、固い笑顔で和樹たちを出迎えた。

 重要な話を聞かされたと察しても、ここで訊ねることは出来ない。

 彼女たちの眼差しの奥に、もどかしさが垣間見える。


「ごめん。下ごしらえに手間取って……後でね」

 和樹は二人に目配せし、上野と一戸は食材入りのボウルをコンロの前に運ぶ。

 

 コンロは6台で、そこで熱せられているジンギスカン鍋からは、煙と匂いが勢いよく立ち昇っている。

 サイドテーブルには、飲み物や食材・紙皿・紙コップ。ウェットティッシュが置いてある。

 

 広い庭は、30人近くが歩き回ってもスペースが余っている。

 本当に地下基地でもあるんじゃないか――と、和樹は感嘆した。


「あの……地域猫が庭に遊びに来るらしいんだけど、ミゾレも遊ばしていいかな?」

 久住さんに聞くと、彼女はニコリと頷いた。

「うん、いいよ。逃げないのは分かってるし」

「じゃ……庭で遊んでろよ、ミゾレ」


 和樹はミゾレを降ろし、紙エプロンを外した。

 縁側の隅に在る水道で手を洗い、近くのコンロに近付く。

 


「……月城くんと宇野さまは、あちらへどうぞ」

 蓬莱さんが、大豆ミートハンバーグを焼いている舟曳ふなびき先生を差す。

 

 手招きする舟曳ふなびき先生は、今日も着物姿だった。

 月城同様、たすき掛けをして、慣れた手つきでハンバーグと野菜を焼いている。

「あっちでも、焼肉って出来るんかな?」

 上野がコソッと囁いた。

 

 ともあれ、大豆ミート組の男性全員が和装スタイルとなる。

 舟曳ふなびき先生に好意を抱いているらしい信夫しのぶ先生は、女生徒のグループに混じりつつも、大豆ミート組への目線アプローチを止めない。

 生徒たちの手前、大豆ミート組に入るのを我慢しているのだろう。

 前に出るタイプでは無さそうなのに、恋愛には積極的らしい。

 


神無代かかみむしろくん。これ、焼き上がったよ」

 中里あきらが、ジャガイモ、モヤシ、ニンジン、肉が乘った紙皿を差し出す。

 ジャガイモには少し焦げ目が入り、良い焼き具合だ。

 タレに漬けて焼かれた肉からは、香ばしい匂いが立ち昇る。


「ありがとう。いただくよ」

 箸立てから割り箸を取り、湯気の立つ肉を口に入れた。

 ガーリック風味の濃いタレが口の中に絡み、噛むと甘辛い肉汁が溢れ、鼻に匂いが抜ける。

 淡泊なモヤシにもタレが絡み、肉との相性は抜群だ。


 一戸や上野も、他のテーブルで紙皿を受け取って食べている。

 今日は、『魔窟まくつ』の話は打ち止めだ。

 知りたいことは山ほど有るけれど、楽しめる時は楽しもう。

 

 見ると、ミゾレは黒猫と見つめ合っていた。

 1メートルぐらい離れているし、興奮した様子も無い。

 気付いた久住さんも、黙って見守っている。

 ミゾレは只の猫では無いし、上手く立ち回れるだろう。

 放って置いても大丈夫そうだ。

 


  

「えーっ、うちは付け合わせにジャガイモは無い!」

「俺の皿にピーマンばっかり盛るなよ!」

「焼きおにぎり、欲しい人~!」


 生徒たちは、声を張り上げている。

 和樹たちが着いた頃より、テンションが上がっているようだ。

 信夫しのぶ先生は近所を気遣い、ジェスチャーで声を抑えるように歩いて回る。

 

「ねえ、神無代かみむしろくん。どうして、『研究所』に入部したの?」

 中里は、トングで食材を返しつつ聞いてくる。

「アニメとか好きなの?」


「特別に好きじゃないけど……部活オリエンテーションで、ちょっと面白いかなって思って。中里くんは?」


「おばあちゃんに話したら、勧められた」

 中里は、焼き上がった肉をトングで和樹の皿に入れる。

「うちのおばあちゃん、アニメ好きなんだよ。僕の名前も、昔のロボットアニメの主人公から取ったらしい」


「へえ……」


「僕は人付き合いが苦手なんだけど……同好会なら、塾通いにも支障が無さそうだから入部したんだ」


「そっか……今度は僕が焼くよ」

 和樹は別のトングを取り、玉ネギとカボチャと肉をジンギスカン鍋に投入する。

 油が跳ね、ジューッと音が立つ。

 向こうでは上野が焼きおにぎりを頬張り、一戸はソフトドリンクを開栓している。

 

 カ ボチャに焦げ目が付き始めた頃――方丈日那女が寄って来て、紙皿と割り箸を取った。

「予想外の人出に驚いたか? どーゆー訳か吉崎くんに話が漏れて、それが所員たちに伝わったのだ。旅行や勉強で来れない所員も居たが」


「はぁ……先輩、どうぞ」

 和樹は、しんなりしたモヤシとカボチャと肉を、彼女の紙皿によそう。

(自分から、吉崎先輩にベラったから漏れたんじゃ)とは思ったが、それを言ったら

学校祭での全身タイツプレイは確実なので、沈黙を守る。


 和樹は笑顔を向け、方丈日那女も機嫌よくカボチャを頬張る。

「近隣には、ジンパの件は報告済みだ。念のために、菓子折も配布した。気兼ねなく栄養を補給しておけ」


「はい。天気も良いし、楽しいです」

 和樹は頷きつつも、複雑な過去を並べ替えて検証する。

 

 彼女は、二百年前に初めて転生を果たしたと聞いた。

 その時から、過去世の記憶を持っていたのだろうか。

 この人は、神名月かみなづき雨月うげつたちの死に報いるために、敵地に斬り込んだと言う。


 彼女の姉だった亜夜月あやづきを解放してあげられたことは、本当に良かった。

 妖月あやづきに敗退し続けたことも、決して無駄では無かった。


 ただ――自分が神名月かみなづきとして覚醒した直後に接触してくれれば、闘いは今と違った展開になったと思うが……


(……月城のためかな……)

 そう思い直し和装組を眺めた。

 大人二人に、彼は違和感なく馴染んでいる。

 

 彼の過去は重い。

 自分たちにわだかまりは無いが、彼自身は違う。

 ずっと独りで苦しみ抜いて来たのだ。

 方丈日那女は彼の心情を考慮し、自分たちが自然と彼のことを思い出すのを待っていたのかも知れない。


 それに『魔窟まくつ』に潜り始めた頃は、『悪霊退治』をしているだけだと思っていた。

 過去世のことなど、何も知らなかった。

 思い付きさえしなかった。

 手順を踏んで、ここまで辿り着いたのは正解だったのだろう。

 けれど、不安は絶えていない。

 月城の能力のこと、かつての兄と闘わなければならない上野のこと……




「ナシロくん、大沢さんに送る写真撮るよ」

 久住さんの声に、和樹は我に返る。

 池の手前に、蓬莱さん、上野、一戸が集まっている。

 仲良しだった大沢さんは、学校で飼育している牛の世話もあり、夏休みまでは帰省しないそうだ。

 和樹は中里も誘い、月城も引っ張って来た。

 方丈日那女と吉崎先輩も、両枠に並ぶ。

 

「先生が撮ってあげるね」

 信夫しのぶ先生が、久住さんのスマホを構える。

「3、2、1。はい、チーズ♪」


 その後も生徒たちが入れ替わりフレームに収まり、写真は溜まっていく。

 ジンギスカン鍋や、ミゾレと黒猫が戯れている写真も撮る。

 

 穏やかな日常だ。

 しかし人知を遠く離れた場所では、闇に埋もれた魂たちが足掻いている。

 そこは、神名月かみなづきたちの故郷なのだ。

 闇は、払わねばならない。

 それを待つ魂たちが居る限り……



  ◇

  ◇

  ◇




「今宵の月は、美しゅうございます……」

 艶やかな女房装束に身を包んだ女房が、池に映った月を眺めてつぶやいた。

 夜風に揺れる草の音さえも聞こえそうな、深々たる夜である。

 広い庭は七色の花々が惜しみなく咲き、広い池を鴨たちが悠然と泳いでいる。

 巨大な月は明々と輝き、塀越しに見える御神木は、天を貫くようにそびえている。

 


「……続きをお読み申し上げましょう」

 女房は棚から新しい巻物を取り、綴じ紐を解いてゆっくりと開く。


 別の若い女房は絵巻物を広げ、『玉花の王后』さまの前の文机に置いた。

 

 紅梅の細長ほそながをお召しになられた王后さまは、絵巻物を眺め、無言で微笑まれる。

 絵巻物に描かれたるは、雪のように白い小袿こうちぎを纏った姫君だ。

 長い黒髪を床に垂らし、袖で顔を覆っている。

 その袖元には、仔猫が手足を伸ばして寝そべっている。

 女房は、よく通る声で巻物の文字をゆっくり読む。



「今宵も姫君は御寝所で、ひとり泣き濡れてお過ごしになられる。西の地に旅立った人の消息は聞こえず。西の地を踏むには、波に揺られて三度の夜を越さねばならぬ。漁師たちは言う。一度の夜で、漕ぎだした舟の半分は沈む。二度目の夜で、更に半分の舟は壊れる……」


 

 が、廊下から漂う香りに、巻物を読んでいた女房は口をつぐんだ。


「玉花の上さま、神鞍月かぐらづきさまが、こちらにお渡りになります」

 御簾みすの外より、女房の『夜重の君』が声を掛けた。

 『亜夜の君』は巻物を閉じ、『紗夜の君』は王后さまに近寄り、お袖などを整えて差し上げる。


 やがて廊下から衣擦れの音が聞こえ、続いて男の咳払いが聞こえた。

「玉花さま、お加減がよろしくないと聞いたのですが……」


 二藍色の直衣に身を包んだ神鞍月かぐらづき殿は、自ら御簾みすを上げて、室内に入った。


 几帳きちょうに囲まれた御座所に座す玉花の玉花の上さまは、笑顔で夫を迎えた。

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