第34話

「はい……今までの闘いで助けていただいたこと、感謝しています」

 和樹は指を付いて、深々とお辞儀をして感謝と尊敬の意を表す。

 『影』だったこの人には、何度も助言を貰った。

 独りで闘い始めた頃、この人が居なければ、早々に敗退していかも知れない。


 笙慶さんも同じようにお辞儀をし、頭を上げてから丁重に礼を言う。

「一戸蓮の叔父の宇野笙慶と申します。蓮たちを導いていただいたこと、厚く御礼申し上げます。そして私が多大なご迷惑をお掛けしたこと、深くおわび申し上げます」


「宇野殿に落ち度は無い。敵は、平然と現世に干渉してくる。50年前以来……」


 口調はしっかりしていても、方丈幾夜いくや氏の声は掠れ気味だ。

 布団に埋もれた姿は、一見すると病人に見える。

 しかし黒い瞳は爛々と輝き、内なる力のが感じられる。

 

「宇野殿は、50年前の……彼らの前世の話を、お聞き及びか?」

「はい。連から聞きました。和樹くん、昌也くん共々……高校一年生の春に、事故死させられたと……痛ましいことです」

 笙慶さんは頭を垂れ、誰にともなく合掌する。

 と言っても、アームホルダーで吊った左腕は動かせない。

 右手の指をピシっと伸ばし、左手のひらと合わせる。


「その通りだ。神無代かみむしろくん……日那女は、君たちの告別式に出席した。当時の日那女は、君たちのクラスの担任教師を勤めていた」

「えっ…!?」


 方丈幾夜いくや氏の言葉に、和樹は驚いて腰を浮かす。

「では……方丈さまも日那女さんも、転生しているのですか?」

「遥かな過去……君たちは冤罪で処刑され、亡骸を『黄泉の泉』に沈められたことは分かっているね?」

「はい……」


 和樹は頷いたが、今度は笙慶さんが目を丸くした。

 さすがに、この話は聞き及んでいなかったらしい。

 聞かれてマズイことでも無いが……『処刑』は、さすがに物騒な言い回しだ。  

 和樹は気まずそうに肩を縮めたが。幾夜いくや氏は淡々と言葉を継ぐ。


「『方丈』と呼ばれた氏族の長子が、泉の水守みずもりを務める習わしだった。泉の傍らに住み、祈りを捧げ、人や獣が近付かぬよう見守るのが使命だった……」


「泉は『黄泉の川』に繋がり、この現世に通じているんですね?」


「あの世界では、この俗界を『地獄』と呼んだ。処刑された重罪人の亡骸を遺棄し、『地獄』に流刑する掟が在った。だが、我ら一族は口承してきた。『ついが訪れし時、心強き若者たちを泉に捧げよ。若者たちの刃と炎が、ついを払うであろう』と。それに『花窟はなのいわ』で、流刑が実行された記録は無い。遺棄されたのは、君たちが初だ……」


 和樹と笙慶さんは、無言で聴き入っている。

 ミゾレも、チロと同じポーズで聞き耳を立てる。

 残酷なおとぎ話のようだが、これは真実だ。

 神名月かみなづき雨月うげつ如月きさらぎ美名月みなづきの亡骸は泉に遺棄され、水葉月みずはづきは自ら身を投じ、長い時を経て、全員が現世へと流れ着いた。

 方丈幾夜いくや氏は皆を見て、固まった空気を和らげるように微笑む。

 

「日那女は、当時は『水影みかげ御前』と呼ばれていた。君たちの死に一矢報いようと、馬の白炎びゃくえんを駆り、敵の本拠地に向かった。斬殺されたが、彼女は自らの血と、白炎びゃくえんを泉に捧げていた。白炎びゃくえんは主人の蓮くんが『魔窟まくつ』に現れると出現する。水影みかげ御前は、二百年ほど前から現世に転生している。どのような状態で泉に捧げられたか……それが転生のサイクルに影響しているようだ」



「……口が乾いていらっしゃるようです」

 笙慶さんは立ち上がり、布団の足元を回り、枕元の盆に置いてある水差しを取る。

 水をコップに移し、幾夜いくや氏のの頭を少し持ち上げた。

 和樹も近寄り、幾夜いくや氏の肩を支える。


 水を数口飲んだ方丈幾夜いくや氏は、少し楽になったように呼吸をする。

 再び、枕に頭を預けて貰うと、昔語りを再開する。


水影みかげ御前の死後、三度目の夜に世界はくつがえった。『月窟つきのいわ』は闇と化して『花窟はなのいわ』を貫き包んだ。私は、自ら泉に身を沈めた。『ついが訪れし時、心強き若者たちを泉に捧げよ。若者たちの刃と炎が、ついを払うであろう』。この古き伝承を信じ、君たちに助力するために……。だが『魔窟まくつ』に潜ると、昔の人格が強く出る。偏屈な爺さんの人格がな…」


 方丈幾夜いくや氏は苦笑し、和樹も応えて微笑んだ。

 方丈老人の言動に戸惑ったり、呆れたり……だが、それも悪くは無かった。

 和樹は万感の思いで、幾夜いくや氏を見降ろす。


「方丈さま……ずっと、見守ってくださっていたんですね?」


「50年前の君たちは『魔窟まくつ』に降りることも出来ぬまま死んだ。我らは、君たちの覚醒を17歳頃と決めていた。今回は君の亡き父上に協力させ、早めに覚醒させた。前回で懲りたからね……」


「17歳ぐらいの方が良いんですか?」


神名月かみなづきの享年は、17歳だった。水葉月みずはづきも同い年で、如月きさらぎが18歳、雨月うげつは19歳だ。一番若かった君の年齢に合わせていた」


「ああ……」

 和樹は納得し、嘆く。

 妖月あやづきの術中の上野や一戸は、確かに今よりも大人びていた。


「ここは良い土地だ。山々や水辺には、まだ古き精霊が宿っている。50年前の二の舞を避けるべく、邪悪な意志が入り込み辛いこの地を転生の場と定め、私と日那女も体を捨てた。そして、私はこの家に生まれ、日那女を私の娘として転生させた」


「……日那女さんのお母さんは……」


「離婚したよ。今は、再婚して札幌に住んでいる。年に数回、日那女を訪ねて来る」

「……奥さまを危険から遠ざけるために、離婚なさったのですね」

 察した笙慶さんは心苦し気に俯いたが、方丈幾夜いくや氏は首を振った。

「日那女を現世に出すために、私が女性を利用したとは思わないか?」


「思いません」

 笙慶さんは間髪置かずに断言し、和樹も小声で「僕もです」と同意した。

「方丈さまは、僕たちを見守ってくださっていました。時に、おどけた態度を取っていらっしゃいましたが……もしや、お体が悪いのは『魔窟まくつ』に潜ったせいですか?」


「『魔窟まくつ』は、私には少々刺激が強い。自ら、『黄泉の泉』に身を浸した者にはな……」


 それを聞いて、和樹の身は縮む。

 月城――水葉月みずはづきは、自分から泉に飛び込んだ筈だ。

 それに上野や一戸と違い、自分の意思で『『魔窟まくつ』に潜れるようだ。

 その能力と引き換えに、大きなペナルティを背負っているのではないか――。

 不穏な想像は膨らみ、舌はカラカラに乾いき、口の中を彷徨う。

 聞かなければならないことがあるのに、唇が縫い合わされたように開かない。


 それを察してか、方丈幾夜いくや氏は慈悲深くも、強い眼差しを向ける。

「……心配しなくて良い。私の魂を賭けてでも、君たちを助ける…!」

「でも……方丈さまの身が……」

「君たちなら闇に沈んだ二つの国を救える。そのための礎となることに、何の躊躇ためらいがあろうか……」

「……はい!」

 

 和樹は、湧き上がる熱さを堪えて返事をした。

 この人を信じるしかない。

 信じて闘うしかない。

 闘わなければ、50年前の繰り返しになる。

 今まで勝てなかった妖月あやづきとの闘いを突破した。

 それを無駄にしてはならない。



「方丈さま。私に話があると伺いましたが……」

 笙慶さんは訊ねる。

 このために、同行したのだから。

 すると、幾夜いくや氏は笙慶さんを直視し……やがて安堵したように息を吐いた。


「宇野殿は『悪霊』に憑依されたそうだが、確かめたくて御目通り願った。今も砂粒ほどの気配が感じられる。憑依したのは、『神逅椰かぐや』の『影』に間違いない。だが、心配は要らない。宇野殿を操るだけの力は残っていないだろう」


「『神逅椰かぐや』なる者が、『魔窟まくつ』の支配者…ですか?」


「彼は、上野くんの過去世の如月きさらぎの兄……仲間たちの命を奪い、彼らの能力を同化して異形の者と成り果てた。殺した者たちの『恐怖』や『無念』まで取り込んだために、心も捻じれて歪んでいる……」


「お伺いしますが……私を助けてださった方々に、心当たりはございませんか?」

 幾夜いくや氏の体調を気遣い、笙慶さんは遠慮がちに聞く。

「事故後に不思議な夢を見ました。私ぐらいの御齢で、夫婦のようでした。ひな人形のような衣裳をお召しで、私を見て優しく微笑んでおられました。このお二人に励まされ、立ち直ることが出来たのです」


「その方々は『花窟はなのいわ』の王と王后であろう……」

 方丈幾夜いくや氏の言葉に、二人は仰天する。

 その顔を眺めた幾夜いくや氏は、懐かしそうに口元を緩めた。

「王と王后は、蓬莱の姫君の御両親だ……。神名月かみなづきたちと共に処刑場に引き出され、自ら御命を立ち、荼毘に伏せられたのだが……お二人の魂は、今も御健在なのだな。宇野殿の元にお出ましになった理由は分からぬが……」


「そうであらせられましたか……」

 笙慶さんは瞼を閉じ、再び合掌する。

 和樹も目を拭い、思った。

 笙慶さんは、母の沙々子を愛している。

 娘の恋人の転生者の、その母を想う人への、思いやりだったのかも知れない――。



「……お邪魔します。そろそろ、庭の方に移動できますか?」

 廊下から、方丈日那女の声が聞こえた。

 幾夜いくや氏は、笑顔で二人を促した。

「良い天気だ。二人とも、食事を楽しんで来なさい」

 

 するとミゾレも襖に走り寄り、襖をポンポンと叩いた。

美名月みなづきも、外で遊びたいのかな? 庭には、地域猫が遊びに来る。良ければ、庭に出してあげなさい。チロも連れて行くと良い」

「はい。ミゾレも庭からは出ないと思います」

 

 和樹はフォトフレームをポケットに入れ、ミゾレを抱き上げた。

 笙慶さんは丁重に挨拶し、片手ながら、作法に乗っ取って襖を開ける。

 手前には、方丈日那女が座っていた。

 メガネの奥の瞳は、やはり潤んでいた。

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