第33話

 方丈日那女の家は、まさに『屋敷』だった。

 2メート近い高い塀に囲まれた内側から、生徒たちの声が漏れ聞こえる。

 人数の割りには小声だが、近所に配慮しての自主規制だろう。

 

(今日は難しい話は無理かも。でも、せっかくの機会だから楽しもう)

 和樹はプラス思考で、塀の中にそびえる松の木を眺めながら進む。

 母は、『高校生活を楽しめ』と言ってくれた。

 今までの闘いを考えると――貴重な時間だ。



 屋敷入口の鉄製の門は開いており、奥に構える家は平屋建ての純和風建築だった。

 玄関前では、グレーのヒヨコプリント付きトレーナーにデニムキュロット。そして白衣を纏った方丈日那女が仁王立ちしていた。


「我が研究所のオペレーターたちよ。ここが、研究所の第2支部だ。お坊様も、よくお出で下さいました。父が、一度お話したいと申しておりましたので、御足労願った次第です」

 

 途中で口調がコロッと変わったが、すぐに元に戻る。

「遅刻組の男子オペレーターたちには、キッチンでの野菜の下ごしらえを頼もうか。猫は父が預かるから、神無代くんは私に付いて来たまえ。吉崎くん・中里くんは、他の所員と合流して良し! お坊様も、父の部屋にどうぞ」


「はい……」

 和樹は笙慶さんと頷き合い、キャリーバッグを抱えたまま、靴を脱いで上がる。

 上野は、手のひらサイズのデジタルフォトフレームを和樹のズボンの尻ポケットに差し込んだ。

 和樹は上野に目配せし、笙慶さんと共に、方丈日那女に付いて行く。



「素晴らしいお屋敷ですね。庭も広そうですし」

 笙慶さんは、廊下を歩きながら感嘆する。

「築何年ですか?」

「築60年と聞いています。木造なので、メンテナンスが大変ですけれど。水回りは、何度かリフォームしています」

「分かります。お寺もそうですよ」

「お寺の中って、独特のひんやりした空気がありますよね。私は好きです。自然と背筋が伸びます。神無代かみむしろくんは、お寺は好きかな?」


 突然に話を振られ、和樹は慌てて返答した。

「はいっ、納骨堂に祖父母や父がお世話になってて……あの、気が引き締まります」

「…父上は御無事のようで、何よりだ。ここです」


 方丈日那女は、奥まった部屋の前に着くと、慣れた様子で廊下に正座した。

 笙慶さんも正座し、和樹もそれに倣う。


「失礼します。お父さま、宇野さまと神無代かみむしろくんをお連れ致しました」

 そしてひと呼吸置いてから、襖の引手に指を掛け、少しだけ引き開けた。

 襖の縁に手を掛け直し、更にゆっくりと引き開ける。

 和樹は、和室のマナーは、かじった程度しか知らない。

(でも笙慶さんも居るし、大きなヘマはしないよね…?)と、自分を鼓舞する。


 笙慶さんは指を付いてお辞儀をし、腰を上げて中に入った。

 和樹も、緊張しつつ後に続く。

 相手は――『魔窟まくつ』で手助けをしてくれた老人と同一の存在であろう。

 

 亜夜月あやづき様を解放し、その後に再会した方丈さまは、見慣れた『影』のような姿では無かった。

 あの後は、すぐに現世に引き戻され、それ以来は『魔窟まくつ』には行っていない。

 月城に聞くと、「それは間違いなく、方丈先輩の父親だ」とだけ答えてくれた。

 これから、その種明かしがされる訳だが……



 


 一方、キッチンで下ごしらえを命ぜられた三人は、紙エプロンを付けて調理に専念していた。

 キッチンの調理スペースは広く、シンクは2台ある。

 月城と上野が野菜をカットし、一戸が凍結しているスライス肉をほぐす。

 肉の半分をボウルに入れて市販のタレを掛け、後の半分はタレ後付け用にボウルに入れる。

 濃厚なタレの匂いが立ち込め、食欲をそそる。

 

 一戸は、家では庖丁を持ったことが無い。

 時代錯誤な祖父は『男子、厨房に入るべからず』主義者で、パティシエの父でさえ家では料理はしない。

 そのような理由で、野菜のカットは上野と月城に任せた。

 

 月城は羽織を脱ぐと、鮮やかな手さばきで着物のをこなし、野菜を切り始めたのだ。

 野菜は、玉ネギ・モヤシ・ニンジン・ピーマン・スライスカボチャ・ジャガイモ・椎茸。

 上野はピーラーで根菜の皮を向き、月城が鮮やかな包丁さばきで切っていく。


 

「ありゃ、もう外で肉を焼いてるぞ」

 漂って来る匂いに、上野は鼻をクンクンと動かす。

「はぁ~。ジイさんから、ジックリ話を聞けると思ったのににょ」

「……俺は昨年の秋に、この庭の池に流れ着いた」


 唐突に月城が話し出し、二人は思わず手を止める。

「池って?」

「……おそらく、方丈さまは長い時間を掛けて準備をしていた筈だ。俺が現世に辿り着いた時の着地点として。お前たちが、この街に転生したのも偶然じゃない……」


「それで、この家を知っていたのか。俺たちは、方丈さまの手のひらで転がっていたと言うことか」

 一戸は、すりガラスの向こうのぼやけた空を眺める。

「池に流れ着いたと言うのは……ずっと『黄泉の川』を放浪してたんだろう?」

「気が付いたら、裸で池の中に居た。池は『黄泉の川』と繋がる時期があるらしい。現世に流れ着いた俺を引き上げてくれたのが、舟曳ふなびき先生だった……」


「準備が良すぎだろ。まさに手のひらだな」

 皮を剥き終えた上野はプハーッと息を吐き、ニンジンのカットに取り掛かる。

「そーいや、お前が住んでるマンションは……」

「俺は記憶を失くしていて、不安に駆られつつも、この家で過ごしていた。けれど、突然記憶が戻った。年の末も近い日だつた」


「ナシロが、親父さんの幽霊と再会した頃じゃね?」

 上野は合点が行ったとばかりに、月城を覗き込む。

「それで?」

「生きているのが、信じられなかった。死にたいと思った。すると、玄関に方丈先輩が立っていて『ここが嫌なら、駅前の集合住宅に行け』と、案内してくれた。現地に着くと、『仲間たちは、お前を待っている』と言い残して、去って行った……」


「そうだったのか……」

 一戸は肩で、手元を見つめて軽く微笑む。

「ひょっとして、その着物はこの家で来ていた物か?」

「着の身着のままで、飛び出したからな……」

「……前に、余計な事を言ったかな。制服で街を歩くと目立つ、って」


「……お前は忘れているだろうが、俺は覚えてる……」

 月城は、庖丁を動かしながら言う。

「俺たちは故郷の『月窟つきのいわ』を追われ、『花窟はなのいわ』に匿われたが、近衛府の先輩たちも命を落とし……覚悟を決めた雨月うげつは言ってくれた。『身分柄、お前は僧になれば命は助かる。生き延びられる者は、生き延びるべきだ』と……なのに……」


 月城は声を詰まらせ、うつむく。

 切りかけの玉ネギを握り締める手は震えている。

 上野は切ったニンジンをザルに移しながら、軽く流した。

「なのに、ベジタボーカットさせられるとは思わなかったよな?」


「……ああ……」

 月城は手の甲で顔を拭おうとし、上野は慌てて叫んだ。

「アホ! 玉ネギ汁が目に入るぞ!」







 ――方丈家の当主らしいその男性は、奥の間で布団に横たわっていた。

 年齢は40代後半に見えるが、髪は真っ白だった。

 方丈日那女は二人を部屋に入れると、襖を閉め、無言で立ち去る。

 布団の左横には、座布団が2枚置いてあり、笙慶さんに促された和樹は、当主の頭に近い方に座る。


 だが当主は目を閉じており、表情はピクリとも動かない。

 血色も悪い。


 和樹は、床の間をチラと見た。

 掛け軸の上方には朧げな月、下には桃色の花が描かれている。



「……美名月みなづきを出してやりなさい。チロの写真もな」

 当主が口を開いた。

 やつれ具合に反して、口調はしっかりしている。


「は、はいっ」

 和樹はキャリーバッグのジッパーを開き、ミゾレを出してやる。

 尻ポケットからフォトフレームも出し、膝元に置いた。

 黄色いフレームの中に、赤いベストを着たお座りポーズのチロが映っている。

 ミゾレはその横に座り、ハシバミ色の瞳で当主を見つめた。


「押し入れに、キャットフードとドッグフードを用意してある。2匹にあげてくれ」

「はいっ」

 和樹は立ち上がり、畳の縁を踏まぬよう慎重に動き回り、キャットフードのパウチを開封し、小皿に移してミゾレにあげた。

 チロの前にもドッグフードを供える。


「良い子たちだ……」

 当主は首を動かし、ミゾレとチロを眺める。

「普段は、縁側に面した部屋に寝ているのだが……楽しんでいる生徒たちの前に出るには、相応しからぬ姿だ」

「いえ、そんな……」

「……現世で顔を合わすのは初めてだな、神無代かみむしろ和樹くん……」


 当主は、骨ばった手を布団から出した。

「私の現世での名は、『方丈 幾夜いくや』。『魔窟まくつ』にて語った通り、『花窟はなのいわ』に在る『黄泉の泉』の最後の水守みずもりだ……」

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