第31話

 アジのフライと野菜サラダ、茄子とワカメの味噌汁、おぼろ豆腐、ご飯にカツオのふりかけに奈良漬け。

 神無代かみむしろ家の本日の夕食である。

 仏壇には、お茶とご飯、奈良漬けを添えた。


 夕方のニュースをBGMに、沙々子は和樹に学校での出来事を訊ねる。

「茶道部はどうだった? 続けられる?」

「うん。活動は火曜日と木曜日だし。今日のお稽古は、新しい顧問の先生と部長さんが、お点前を披露してくれた。あと茶道の簡単な歴史と心得、お道具の説明とか」

「部員は何人?」

「12人。殆どが、華道部と掛け持ち。新入生は……久住さんと蓬莱さん、僕と月城くん」

「あら、月城くんも入ったの?」

「授業後に誘ったら、『ヒマだから』って入ってくれたんだ」

「そう。良かったわね」

「うん。男子は、僕と月城くんだけだし」


 和樹はアジフライに醤油を掛け、箸で切る。

 衣がサクサクと音を立てる。

 揚げたてのフライは美味しい。

 野菜サラダも摘まみつつ、部活に必要な道具代について話す。

「それに、茶室も立派なんだよ。学園祭では、着物を着てお茶をたてるんだって」

「お父さんの着物を着る? 紺色で羽織も付いてる」

「うん!」

 

 和樹は、屈託なく返答した。

 複雑な過去世は、蔦のように絡みついてくる。

 悲惨な記憶もある。

 けれど、今日は熱い喜びで心が満たされた。

 

 

 実は、昼休み――和樹たち四人は、体育館横の水飲み場に集まった。

 

「すまん。どうしても、知りたいことがあって来てもらった」

 浮かない顔付きの上野は、晴れた空を見上げた。

 四月下旬の北海道は、春の盛りだ。

 桜は散り、夏に向けて木々が緑を増し、雀たちが活発に飛び回る。

 上野は、いつに感傷的な顔で、雀たちを目で追う。


「月城……ラスボスは、如月きさらぎの兄か?」

 彼は率直に聞いた。

 和樹と一戸は、口をつぐむ。

 妖月あやづきの術の中で出会った若者は如月きさらぎの兄で、かつ倒すべき敵であることは間違いない。

 想像し得なかった、憂慮すべき事態だ。

 上野は、月城の真正面に立って問う。


妖月あやづきに見せられた過去をオレなりに整理した。亜夜月あやづき様と、如月きさらぎの兄の神鞍月かぐらづきは恋人だった。けれど二人の仲はこじれ、神鞍月かぐらづき亜夜月あやづき様を殺し、挙句にブッ壊れた。オレたち四人はで処刑され、月と花の二つの国は『魔窟まくつ』と化した。これで合ってるか?」


「9割近くは合ってる……だが、俺は処刑されていない……」

 月城は顔を背けた。

 が、一戸は穏やかな声で追及する。


「月城……お前に取っては辛いことだと思うが……『近衛府の四将』だった俺たちの最期を話してくれるか? 妖月あやづきは、水葉月みずはづき神名月かみなづきを斬首したと言った。では、雨月うげつ如月きさらぎは……」


「俺たちが『四将』に叙任された翌日、神鞍月かぐらづきは『月窟つきのいわ』の宰相となり、神逅椰かぐやと名乗った。やがて月帝が病に冒され、俺たちが毒を仕込んだと濡れ衣を着せられた。危険を感じた俺たちは『花窟はなのいわ』の王后の手引きで、そちらに身を寄せた。王后は、月帝の妹君だった……」

 

月城は木にもたれ、息苦しさを感じたのか、シャツの第一ボタンを外した。

「あの日、処刑場に引き出された囚人はお前たち三人、『花窟はなのいわ』の国の王と王后、そして玉花ぎょくかの姫君だ……」


「……その姫君が、蓬莱さん……?」

 和樹の問いに、月城は「そうだ」と答え、鬱々と声を絞り出す。


「……神逅椰かぐやは、すでに正気じゃ無かった。友好国の『花窟はなのいわ』の王都を占拠し、王と王后の処刑を宣告した。それ以前に、多くの『月窟つきのいわ』の高官たちが粛清された。亜夜月あやづき様に続き、『近衛府』で修行中の子供たち……大臣までも。無二の親友だった羽月うづき様にも処刑宣告し……俺たちの一紀前の『四将』たちが命と引き換えに、羽月うづき様を救出したが……俺たちが、羽月うづき様と『四将』の遺髪をお見送りした……」


羽月うづき様とは、妖月あやづきの術の中に出てきた男性か……」

 一戸は、瞼を閉じた。

 和樹も、神鞍月かぐらづきと歩いていた聡明な雰囲気の男性を思い起こす。

 月城の話を聞いても、過去の凄惨な記憶は思い出せない。

 だが、彼は真実を話しているだろう。

 それは、余りに惨たらしい話だ……。


「……オレの首を撥ねたのは、兄貴か?」

 上野は確信に満ちた眼差しで月城を睨み、月城は……頷いた。

神逅椰かぐやは、下劣な言葉で姫君を罵った。すると如月きさらぎが、神逅椰かぐやに皮肉を言い……逆上した神逅椰かぐやは『せめてもの情けに、仲間の死体を見る前に殺してやる』と言って、斬首した。直後に、姫君の飼っていた仔猫が処刑場に紛れ込んでしまい……神逅椰かぐやに殺された。仔猫の名は、美名月みなづきだ……」


「……ひどすぎる……」

 元気に笑うフランチェスカを思い浮かべ、和樹は唇を噛む。

 月城も陰惨な光景を思い出したのか……呼吸が荒さを増す。

 しかし、彼は話を続ける。


「王と王后は隠し持っていた毒針で自害し、お二人を丁重に葬るようにと指示をした雨月うげつが次に斬首され……お前たちを裏切った俺が、神逅椰かぐやの命令で、神名月かみなづきを斬首した……その後のことは、覚えてない……。気が付いたら、『黄泉の川』を浮き沈みしていた……」


「お前だけが、俺たちと共に転生できなかった理由は……」

 一戸が指すると、月城は自嘲気味に言った。

「お前たちと美名月みなづきの亡骸は、禁断の地に在った『黄泉の泉』に沈められた。泉は、『地獄』に通じていると伝えられていたが……実際は、この『俗界』に通じていた。お前たちの魂はここに運ばれ、生まれ、死ねば『霊界』に行く。『俗界』と『霊界』の往来を繰り返している。だが……俺はお前たちを追い、生きたまま『黄泉の泉』に入ったらしい……」


「まさか……お前、水葉月みずはづき本人なのか!?」

 一戸は驚愕して叫び、和樹は絶句し、上野は恐ろしいものを見たように青ざめる。

 妖月あやづきも、独りで闇の中に居た。

 だが約50年ごとに、自分たちが立ち向かっていた。

 けれど、水葉月みずはづきは本当に独りきりだった……。


 彼は、どれほどの時間を独りで彷徨さまよっていたのか――。

 月城は、呆然自失の三人を見回し――震える手で顔を押さえた。


「『黄泉の川』を流れてる間に、体は『俗界』仕様に変化したみたいだが……そう、俺は水葉月みずはづき本人だ。一度も転生していない……」


「この野郎、早く言えよ!」

 上野は詰め寄り、月城のブレザーの襟を掴み――木に押し付ける。

「何で黙ってたんだよ……ひとりで背負おうなんてバカだろ……お前が、神逅椰かぐやの尻拭いをする必要なんて無いんだよ……」


 上野は泣いていた。

 和樹の脳裏に、遠い日の――出会った当時の『アラーシュ』の面影が浮かぶ。

 慣れない質素な生活を嫌がり、「邸に帰りたい」と泣いていた子供がそこに居た。

 

 何も変わっていない。

 姿は変わっても、名前は変わっても、『心』は変わらない。

 『想い』は、少しも色褪せていない。

 


「……みんなで進もう……」

 一戸は言い、二人の肩を軽く叩く。

「『戦力を分散させないことは兵法の基本だ』と、ナシロと上野には言ったよな? 俺たちは、こうして巡り合えた。全員で闘おう……」


「そうだよ。誰が欠けても、先には進めない」

 和樹は感無量で、月城の手を取った。


「……ごめん……」

 月城は顔を伏せる。

 和樹はその背に腕を回した。

「いいんだよ……月城は悪くない……」


 仰いだ空は、碧く澄んでいる。

 こうして向き合うと――『近衛府の四将』の叙任式の情景が鮮やかによみがえる。



「我ら四将の『絆』は、時の果つるまで続くであろう」



 あの時、雨月うげつは高らかに宣誓した。

 その誓いは、絆は、時空を超えた。

 四人とも、溢れる熱いものを止められない。

 離別を乗り越え、四人が集った。

 ここからが、本当の闘いだ。


 和樹は気持ちも新たに、闘いへの決意を固める。

 闘わなくては、先に進めない。

 先に進むためには、闘わなくてはならない。

 『魔窟まくつ』を常闇から解放すれば……闘いは終わる筈だ。

 そして、自分たちは『大人』になれる――。

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