第7章 近衛府の四将、再び

第30話

 平和な朝だ。

 けれど、世界のどこかでは、悲惨な出来事が起きているに違いない。

 それらは記録に残り、後世に受け継がれるだろうか。

 ダンテや芸術家たちが描いた『パオロとフランチェスカ』のように。


 そして、自分たちは『魔窟まくつ』なる異界の闘いの記憶を有している。

 地球の歴史上には残らないけれど、自分たちの魂と『霊界の記録庫』には刻まれた闘いだ。

 その闘いが終われば、自分たちは『大人』になれるのだろうか。

 大人になり、老い、死を迎え――そして……

 



 

 和樹、久住さん、蓬莱さんは今日も定時のバスに乗り、通学する。

 だが、いつもと違う顔ぶれが傍に居る。

 月城 はるかだ。

 三人がバスに乗った時、彼は乗車口付近に立っていた。

 和樹は迷わずに隣に立ち、小声で挨拶する。

「おはよう……月城」

「……おはよう」

 彼は、こちらを見ずに返事をしたが、和樹は嬉しくて堪らない。

 

 離れ離れだった仲間と『魔窟まくつ』で再会し、一緒に闘った。

 妖月あやづきに過去世のことを揶揄されたが、何の禍根も感じない。

 おそらく『神名月かみなづきの中将』たちが、彼を恨まなかった故だろう。

 今はただ、長い時を経て、四人が集えたことを喜びたい。

 

 そう思っていると、知らず知らず笑みを零していた。

 横では久住さんと蓬莱さんも、微笑みながら二人を見つめている。

 久住さんには、バス停に向かうまでの間、昨夜の闘いの顛末を簡単に話した。

 ミゾレのおかげで敵の女性を倒さずに説き伏せられたこと、月城が過去世での仲間だったことなど。


 ただ、自分たちの過去世全てを話すべきでは無いと思う。

 久住さんは大切な友達だ。

 だからこそ負担は掛けたくないし、血生臭い話は避けるべきだろう。



「おっ、集まってるねえ」

 次のバス停で乗り込んで来た上野は、元気よく手を振り、和樹の隣に立つ。

「月城も、元気そうで何よりにょ♪ あの御札おふだの出し方を頼むぜ」

 馴れ馴れしく、月城の顔を覗き込む。

 今までは、月城と一歩距離を置こうとしていた感じだったが、昨夜で吹っ切れたのだろうか。

 

 そして次のバス停では、一戸が乗り込む。

 他の乗客も居るので、斜め後ろの乗降口付近に立ったが、目で合図しあった。

 彼も、いつもよりは穏やかな顔付きだった。

 何はともあれ、全員が無事に朝を迎えられたことが嬉しい。

 亜夜月あやづき様を、暗闇と孤独から解放してあげられて、心から良かったと思える。





「お~、みんな顔色が良いな。おはよう」

 バスを下車し、校門をくぐると――方丈日那女が迎えてくれた。

 いつも通りのサバサバした口調で、ツカツカと足音を立てて、近寄って来る。


「さて、諸君。今週末から黄金週間である。諸君には……姉の件で、空より高く感謝している」

 彼女は、一瞬だけ表情を和ませた。

 和樹は、(亜夜月あやづきの……妹だったんだ)と気付く。

 だが、驚きは無い。

 今の自分の記憶には無くても、納得し、理解する。

 表層の記憶の奥深くの――『神名月かみなづきの中将』の記憶は、今も健在なのだ。

 

「月城も一緒で、私は嬉しいぞ。それで、次の土曜日か日曜日。諸君たちは、予定を入れているかな?」

 方丈日那女が訊ねると、一戸はそっと手を上げた。

「土曜日は部活がありますので…」

「では日曜日に、諸君らを我が家に招待する。庭でジンギスカンパーティーを開く。感謝のしるしだ。肉が苦手な月城のために、大豆ミートも用意するぞ」


「……あたしも…ですか?」

 久住さんは遠慮がちに訊いたが、方丈日那女は大きく頷いた。

「もちろん! ニャンコも連れて来たまえ。ニャンコのご飯も用意しよう。ワンコの写真も持って来い。ワンコご飯もお供えしてあげよう」

「……はいっ」

 上野は鼻をすする。

 

「それと……剣道部くん。君の親類のお坊さんも、来てくれるだろうか?」

 方丈日那女は、声をひそめる。

「お坊さんは、大豆ミートは食せるだろう? まあ、聞きたいことがある訳だが」

「はい……声を掛けて置きます」

 一戸は頷いた。


「では、期待して待つ。時間は後で決める。我が家の場所は月城に聞け。では!」

 方丈日那女はクルリと反転し、大股で校舎に向かった。


 和樹たちとしては、彼女に聞きたいことは山ほど在る。

 が、日曜日までは間があるし、多少の記憶の整理が出来るかも知れない。

 それまで、『悪霊』たちが動かなければ良いのだが……。



 同じ思いを抱きつつ、一同は校舎に向かう。

 月城は、最後尾を少し離れて歩く。

 共闘はしても、日常で行動を共にするのは気後れするのだろうか。

 和樹の脳裏に、妖月あやづきの言葉が浮かぶ。


『お前たち四人はな、国主の月帝つきみかどさまの暗殺を企てたのだ! それが発覚するや否や、隣国へと逃亡した! されど、己の罪深さにおののいた水葉月みずはづきは、お前たち三人を故国の検非違使けびいしに差し出した。お前たち三人は斬首刑に処され、亡骸は『地獄の泉』に放り込まれたのだよ!』


(そうだよ……この僕が、国主さまの暗殺を企てたなんて何かの間違いだよ。それに水葉月みずはづきも戻って来た……)

 和樹は思い直し、歩く速度を落として、月城と並ぶ。

 

 彼は、かけがえのない仲間だ。

 彼が来なければ、今回も妖月あやづきに負けていたかも知れない。

 彼を、お互いを信じよう――。

 自分に言い聞かせ、上野たちに続いて教室に入る。

 

 すると、クラスメイトたちの視線が集まった。

 月城の姿に驚いたのだろう。

 でも、そのうちに慣れてくれるだろうから、気にはしない。



 スマホを後ろのキャビネットに置き、授業の準備をしているとチャイムが鳴った。

 担任の坂井先生と副担任の信夫しのぼ先生が入って来た。

 が――今朝はその後ろに、もう一人いる。

 上野は「はあっ!?」と裏声を上げ、生徒たちはざわつく。

 日直が「起立!」と声掛けし、生徒たちは立ち上がる。

 廊下側の前から二番目の一戸は、振り返って和樹を見た。


 信夫しのぶ先生に続いて入って来たのは、『ふなびき ゆきのり』を名乗った『霊界の上司』である。

 茶色の小袖に、深緑色の羽織姿だ。


 日直の号令の元、生徒たちは着席する。

 坂井先生は、生徒たちを見回して話し出す。

「おはよう。週末からゴールデンウィークが始まるが、その後には中間テストが控えている。夏には模試も、期末テストもある。気を抜かずに過ごすように」

 

 口数の少ない坂井先生は、最低限のことしか言わない。

「そして、今日から茶道部の顧問を勤める先生を紹介する。一時間目は、このクラスの授業を見学して頂くことになった。では、先生……」


 声を掛けられると、彼は黙礼し、黒板に名前を縦書きした。

 その字は、『舟曳 千紀』――。

「初めまして。転勤になった和田先生の代わりに、茶道部の顧問を勤めます。名前は、『ふなびき ゆきのり』と読みます。みなさんとは、お話する機会が少ないとは思いますが、校内で見かけたら、気軽に声を掛けてください」


 愛想よく微笑み、深い会釈をする。

 外見は、『霊界』で出会った時と変わらない。

 30代後半で、ストレートヘアを肩まで伸ばしている。

 こう見ると、恋愛ドラマで主役を務められそうなイケメンだ。

 物腰も柔らかく、信夫しのぶ先生もチラチラと目線を送っている。


 それを見た和樹は、頭を抱えたくなった。

(……来てくれるのは良いけどさ……面倒なことになりそうな……)

 

 すると――丸めた紙が、横に座る『中越さん』から回って来た。

 気付いたらしい月城が肩越しに振り返ったが、すぐに向き直る。

 和樹は、紙を開いた。

 紙には、一戸の字でこう書かれていた。


『舟曳・曳舟=えいしゅう。ほうらい・ほうじょう・えいしゅう』


 和樹は「あっ」と口を開ける。

 岸松おじさんの忠告を思い出す。


「中国の神話に、仙人が住む三つの山が在る。『蓬莱』『方丈』『瀛洲えいしゅう』だ」

「『蓬莱』と『方丈』が居るのだから、『瀛洲えいしゅう』も現れるかも知れない。参考までに覚えて置いた方が良い」


 その予測通り、ここに来て『瀛洲えいしゅう』の登場である。

 闘いに大きな転機が訪れているのを、ひしひしと感じる。


 自分は、黄泉に沈む『宝蓮宮ほうれんのみや』を見た。

 傍らに立つ『方丈さま』は言った。


「我らが、どこに居るか分かるか? ここは、『魔窟まくつ』上空の巨大な月に他ならぬ。『花窟はなのいわ』は、この『月窟つきのいわ』に囲繞いじょうされている。取り込まれたと言うべきか……」

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