第29話

「ふん。信じていた仲間に首を吹っ飛ばされた無念を思い出して、気がふれたか?」

 妖月あやづきは、口角を高く吊り上げる。

 

 だが、神名月かみなづきの中将は――静やかに彼女を見た。

 醜悪な笑みと憎悪が重なった層の奥底に、いまだ消え得ぬ『亜夜月あやづき』の高雅な輝きが視える。

 遠い日の――彼女の悲痛な声もよみがえる。

 

 

「ガレシャ! どうしても、私を信じられぬと申すか? ならば、私を斬り刻め! ただし、他の誰をも傷付けるな! ……お願い……そのしゃくを捨てて。誰も来ない『蓬莱』の御山のふもとで、二人で暮らしましょう……」



 哀願が耳を揺らし、それは一戸たちにも伝わった。

 贅沢な望みでは無い。

 二人だけで静かに生きる。

 しかし、その願いは叶わなかった――。

 



「……俺なら、亜夜月あやづき様を救える!」

 月城は、我を取り戻す。

 

 彼女の魂は、滅びていない。

 邪悪な影に囚われているだけだ。

 教頭に取り憑いていた霊を引き剥がしたのと同じ要領で、闘えば良い。

 霊符に術を込めて、彼女に放つ。

 そして、彼女の魂を包囲している『邪』を引き離す。

 だが、彼女の移動を阻む必要がある。


亜夜月あやづき様を頼む…!」

 三人に呼び掛け、『魂の救済』を霊符に綴る。

 

 術を放つだけの攻撃なら、霊符は不用だ。

 敵に向かって、『怒り』を打ち込めば済む。

 だが『近衛府』の術士は、霊符に『念』を綴って使用するように訓練される。

 隣国との諍いも起きず、攻撃術を使う機会は激減した時代だ。

 ゆえに無益な殺傷を防ぐため、霊符に『念』を綴る方法が用いられた。

 『念を綴る間』に、その術を使うべきか否かを考慮するのだ。

 本当に敵を殺傷しても良いか――時に苦渋の判断を強いられる。

 その間の足止めは、剣士と『防護術』の使い手の役目となる。



 神名月かみなづき雨月うげつは、水葉月みずはづきの意図を察した。

 神名月かみなづきは鞘ごと太刀を抜き、雨月うげつは、薙刀なぎなたの柄を両手で握る。

 

 如月きさらぎは、両の手のひらを地面に当てた。

 『塗る』と『コピペ』し出来るが、それでは彼女の足止めは出来ない。

 『動かす』必要がある。

(ロボットアニメで、岩をぶっ壊すシーン見たことあるし! あれだ!)


 記憶を辿り、地面の着色を念じる。

 すると彼の周辺の地面が明るい土色に変化し、その色はたちまち広がり、妖月あやづきの足元まで走る。

 妖月あやづきの足元の地面が円形に割れ。彼女を乗せたまま、エレベーターの床のように急上昇した。

 

「蝿どもめ、たわけた真似を!」

 裂けた地面が五階ほどの高さに上昇した時、妖月あやづきは躊躇わずに飛び降りた。

「四人がかりだろうが、私には勝てぬわ!」


 ふわりと着地し、細身の刀を構える。

 刀身が、濃い紫の光を放ち、周囲の空間が揺らぐ。


「『時映し』だ!」

 雨月うげつが叫ぶ。

 刀身を振り、術を放とうとしている。

 だが、不意打ちで瞬時に術に落とされたので無ければ、防げる。

 

 神名月かみなづきは、高く跳躍した。

 妖月あやづきの頭を飛び越え、背後にそびえる岩面を蹴って体を反転させ、背後から右肩を狙う。


小賢こざかしい!」

 妖月あやづきはしゃがみ、構えを解い、刀身で神名月かみなづきの鞘を受ける。

 長袴を蹴るように足を半回転させ、すると長袴の裾が延びて、雨月うげつの足を払おうとした。

 雨月うげつは、足元に迫った長袴を刃を刺し、動きを封じようとする。

 妖月あやづきはその僅かな隙に、水葉月みずはづきに向かって扇を投げた。


 だが、それは彼に届かない。

「ワン!」

 可愛い吠え声が聞こえ、飛び上がったチロがそれを咥えて着地する。


「…姫さま……美名月みなづき!」

 如月きさらぎは、白炎に乘って近付く二人を肩越しに見る。

 美名月みなづき白炎びゃくえんを停め、飛び降りて走り、叫ぶ。

「もう、止めよう! こんなの意味無いよ!」


 その切実な声は、仲間の動きを止めた。

 しかし妖月あやづきは、神名月かみなづきの太刀を振り払い、長袴の裾を破り、素早く体勢を立て直す。

「懲りないクソ猫だな! お前、自分が私に殺されたのを覚えているか!?」


「あたしは、今は幸せだよ!」

 美名月みなづきは、水葉月みずはづきの横に立ち、声を絞る。

「過去がどうだろうと、優しい人たちと暮らしてる。……好きな人が居る。さっき、罵られた時は悲しかった。でも、あたしにも、あなたの声が聞こえた。だから、もう傷つけ合うのは止めよう……」


 美名月みなづきは、周囲を見回した。

 如月きさらぎが描いた岩の周辺には闇、そして頭上には巨大な月。

 けれど、他に動く生き物は無い。


「あたし、箱に入れられて道端に捨てられたんだよ。寒くて、お腹が空いて、とても不安だった。亜夜月あやづき様も淋しかったんでしょう? こんな暗くて寒い所で、独りっきりで……あたしたちを倒したら、明るい所に行けるの……?」

 

そして美名月みなづきは目を拭い、妖月あやづきの目が固く強張る。

「……お前たちの魂を『時映ときうつし』で封じれば……あの御方は喜んでくれる……!」

「……それが成功した後は……亜夜月あやづき様は、どうするの……?」


 妖月あやづきは――返す言葉を失い、唇を閉じた。

 彼女を包囲する『邪まなる闇』が、少しずつ薄れている。

 彼女の意思は、次第に強くなる。

 彼女は思い起こす――

 目前の敵を封じれば、あの御方は………

 目前の敵を封じても、あの御方は………

 



 沈黙を続ける妖月あやづきを見守っていた月窮の君は、白炎びゃくえんから飛び降りた。

 妖月あやづきの内に封じられていた意志が、目覚めたのを見取ったのだ。


水葉月みずはづき殿……霊符を……」

「……はい……姫さま……」

 月窮の君は、彼の手から霊符を受け取った。

 霊符は温かな光を発し、五色に輝く。

 両手で霊符を掲げ、それを妖月あやづきの許に運ぶ。


「……長い間、苦しかったでしょう……亜夜月あやづき様……」

 労わりを込めて霊符を、開いている右手に置く。

 妖月あやづきは、両の手で光を受け止め、ゆっくり瞼を閉じた。


 

 すると、上空の月が鳴った。

 それは苦悶の叫びに思わせ、亜夜月あやづきに張り付いていた黒衣が引き千切れていく。

 黒衣が消えると――そこには仄かに光り輝く白鳥が居た。

 立ち尽くす一同を見つめ――やがて純白の翼を広げると、優雅に羽ばたく。

 汚れなき白鳥は天を目指して昇って行き、やがて姿をが見えなくなると、闇の空に白い閃光が走った。

 

 閃光に打たれて力尽きたように、巨大な月は地平へと沈む。

 寄せる波のように、激しい風が吹きすさぶ。


「みんな、集まるんだ!」

 一戸はフランチェスカの腕を掴み、和樹は月窮の君の肩を押さえる。

 チロは上野の懐に飛び込み、月城は白炎びゃくえんの手綱を掴む。

 

「これは……!」

 唸る風が少し鎮まり、和樹は目を凝らした。


 『闇』は、取り払われていた。

 そして、『闇』沈んでいた街が姿を現している。

 通りは広く、両側には長い塀が続いている。

 だが……塀の下には、『影』の如き住人たちが佇んでいた。

 牛車を引く牛も『影』で、それに付き従う従者たちも『影』だ。

 しかし動くものは、その場でよろよろと足踏みを繰り返している。

 まるで、ゼンマイ仕掛けの玩具のように。


 見上げた空も、まだ黒い雲で覆われている。

 時に真紅の稲妻が閃き、地上に落ちる。



「……どこかに、池は無いでしょうか?」

 月窮の君は、立派な門構えの塀を見やる。

 いかにも貴族の邸の門、と言う風情だ。


「見て来ます!」

 和樹は、塀に飛び乗る。

 跳躍力が失われていないことに安堵し、塀の内側を見渡した。

 手入れの行き届いた庭の中央に、大きな池が在る。

 貴族の寝殿造の豪邸なら、池も在るだろうと推測したのは正しかった。

 しかし、なぜ月窮の君は、池を探せと言ったのだろう。


 疑問に思いつつも塀から飛び降り、庭を横切って池に辿り着く。

 屈んで覗き込んだ和樹は、思わず呟いた。

「え…?」

 

 信じられない景色に、和樹は自分の目を疑った。

 だが、澄んだ水底に潜む景色は鮮明に訴えて来る。

「えっ……えっ!?」


 水底には、確かに建築物が在る。

 屋根の形や庭の作りも、この邸と似ている。

 そうした邸が二つほど並んでいるのが、はっきり見える。

 人影らしいものも見える。

 街全体は見えないが、自分の知る『平安京』に似た景観だ。


「まさか……黄泉の川に沈んでいるのか!?」

 何となく、和樹は察した。

 自分たちが『魔窟まくつ』に潜行する際に必要な水――。

 その流れを『三途の川』、または『黄泉の川』とも呼ぶと聞いた。

 想像しえなかった景色に、ゴクリと唾を呑み込むと……覚えのある声が聞こえた。


「そう……お前さんたちは、先程まであそこに居たのじゃよ……」

「方丈…さま…?」


 和樹は振り返り、あまり驚かずに訊ねる。

 背後に立つのは、中肉中背の老人だった。

 修行僧のような白衣びゃくえの装束を纏い、錫杖を携えている。

 しかし声も話し方も、和樹たちが知る『方丈老人』と同じだ。

 体格が異なっていても、直ぐに分かる。


「間違いない……あなたは、方丈さまだ……」

 『影』だった頃の老人には無かった畏怖感に気圧され、敬意を表して片膝を付き、顔を上げる。

 素顔を見るのは初めてだが、微笑みをしたためた顔には深い皺が刻まれている。

 まるで仏像のように、均整の取れた美しさと穏やかさと叡智を感じる。

 

「……あの……ここは……」

 和樹は恐る恐る訊ねたが、老人は親しみを醸し出す声で答える。

「この街は……かつて、お主らが過ごした街じゃ。そして、この下に沈んでいるのが『宝蓮宮ほうれんのみや』……お主らが目指す場所じゃよ……」

 

 老人は瞼を上げ、遥か底の街を見つめる。

「我は、『黄泉の泉』の『嚮導きょうどう』……。『黄泉の泉』の最後の水守みずもりである……」


 白衣びゃくえの老人は、右手の錫杖を振る。

 銀鈴の清らかな音が響いた。

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