第28話

 月城の動きには、無駄が無かった。

 水葉月みずはづきの背を蹴り、倒れる彼の腰に穿いた太刀を鞘から抜く。

 それを振り下ろし、斜め後ろから神鞍月かぐらづき殿の首根を斬る。

 

 そして、事態を察した一戸も動いた。

 太刀を引き抜き、立ち竦む羽月うづき殿の胸の中心を貫く。

 

 三者とも声を上げる間も無く、倒れるよりも早く体が墨色に染まり、霧散した。

 乾いた泥のように周囲の景色も崩れ落ち、見慣れた『魔窟まくつ』の闇と巨大な月が頭上を舐めるように現れる。

 和樹たちが着ていた武官装束も剥がれ落ち、いつもの闘いの装束に戻った。



「おい、これって…!」

 上野は消え失せた三者の居た場所を見る。

 そこには、塵も臭いも残っていない。

 佇んでいた馬たちも消えている。


「『時映ときうつしの術』か!」

 一戸は、薙刀なぎなたの先端を下にして持ち変える。

 術に掛かっている最中に振るった太刀は、雨月うげつの基本装備の薙刀なぎなたに戻っている。

「……俺たちは、山門が開くのと同時に『術』に引っ掛かったらしいな。騎乗していたら、連れて行かれてたってことか…!」

 苦々しく呟き、間一髪の所を救ってくれた月城を眺める。

 月城は刀を握ったまま、放心したように突っ立っていた。

 

 和樹は月城を気遣い、笑顔で駆け寄る。

「あの……水葉月みずはづき…って呼んで良いのかな…?」


 しかし月城は目もくれず、口を閉ざしたままだ。

 よそよそしい態度を崩さない彼に気後れはするが、素直に礼を言う。

「助けてくれて嬉しいよ。ありがとう」

「……いつかの夕食の礼だ……」

「そんなこと……そう言えば、どうやって此処に来れたの?」


 彼に、『三途の川のエキス入り醤油さし』を渡さなかったことを悔いていた。

 なのに、彼は来てくれた。

 自力で『魔窟まくつ潜行』が可能なのだろうか?


「話は、現世に戻ってからにしよう…」

 一戸は、月城の前に進み出る。

「俺の望む『夢』は見られなかったが……助けてくれて感謝する」

 

 薙刀なぎなたを地に置き、身じろぎもしない月城に両手を回し、抱擁した。

 それは意外なことだったのか――月城はピクリと肩を浮かせる。

 豆鉄砲を喰らったように見ていた上野だったが、あることを思い出し、早口でまくし立てた。

「おい、イチャノヘ。前に、オレとのハグは拒否ったくせに、ひっでー!」


 そして、据わった眼差しで月城を問い正す。

「チュキピロ。お前も『水葉月みずはづき』の下に、セカンドネームが付いてるんだよな? 『珍太郎』とか『スケキヨくん』とか」

「……こうが……」

「は?」

水葉月みずはづき恒河こうが……星の『恒星』の『恒』に、『氷河』の『河』で『恒河こうが』……」

「はああぁ?」


 上野は、目を白黒させて突っ込む。

「何で、そんな気取った名前を付けてんだよ! イチャノヘなんか、ブラックチョコモンブラン(バナナ入り)だぞ!」

「そんなことは、どーでもいい」

 一戸は、上野のベレー帽をもぎ取り、彼の口を塞ぐ。


「……仲間が、ようやく揃ったらしい。先程の体験は、俺たちの過去世……」

 言い掛けた一戸は、景色の色彩の変化に気付き、三人に目配せした。

 薄い月光に照らされた闇の中、銀灰色の炎が上がり、よじれ、それは人の姿に形を成していく。

 烏帽子えぼしに墨染の小袖と長袴、透けた白絹の水干姿の女性が闇から抜け出し、眼を吊り上げて一同を睨んだ。

 

「……妖月あやづき姐さんの御登場だぜ」

 上野は、チッと舌打ちした。

 和樹は『白鳥しろとりの太刀』を抜き、一戸は『白峯丸しらみねまる』を取り、月城は刀を置いて、右手で左腕に嵌めていた腕時計を撫でる。

 腕時計は数珠へと形を変え、彼はブレザーの内ポケットから霊符を取り出した。


「ん? 何だ、それ!?」

 未知の所作と道具に、上野は目を凝らす。

「そーいや、お前だけ制服っ! オレらはコスプレ状態なのに!」

「説明は後だ! 如月きさらぎ、お前の専門は守護術だ! 俺の後ろに付け!」

「くっそー! 何か、オレが一番下っ端みたいじゃねーか!」

 月城に指示され、上野は不満気に頬を膨らませた。

 だが、一戸は「いや、如月きさらぎは、絶対に前に出るな!」と叫ぶ。

 

 「今まで……妖月あやづきは、お前を真っ先に狙った!」

 一戸の内に蓄積された記憶の一部が、急浮上した。

 百年前の闘いのように、その前も、そのずっと前も――彼は、一番先に倒された。

 

 守護術の使い手を狙うのは、常套戦術でもある。

 だが一戸は、そこに奇妙な――戦術以上の執着を感じる。

如月きさらぎ、お前は俺たちが護る! お前も、俺たちを護れ!」


 一戸は命じ、和樹より数歩右後ろで身構えた。

 月城はその後ろに立ち、上野が最後尾だ。

 宿敵を前にしながら、しかし和樹の心に熱い感慨が込み上げる。

 いや、それは『神名月かみなづきの中将』の意識かも知れない。

 

 四人は、いつも一緒だった。

 生まれついての身分など、関係無かった。

 真冬の稽古でかじかんだ手を温め合い、畳をくっ付けて身を寄せ合って眠った。

 故国から追われた時は肩を寄せ合い、家族や仲間たちの無事を祈った。

 けれど、祈り虚しく……二つの国は漆黒の渦に呑まれてしまった。




「汚泥を這いずるウジ虫どもが! その醜い姿を、我らが王の尊い御目に触れさせる訳には行かぬ!」

 妖月あやづきは、身長より長い黒髪を逆立て、細身の刀を構える。

 端正な顔は憎悪に歪み、ほとばしる殺気が射られた矢のように身を掠める。


「……そうだ。オレはあんたを覚えてる……」

 如月きさらぎは、マントの襟元を握って言った。

「あんたと兄上が、一緒に居るところを何度も見た……。誰もが、あんたたちが結婚すると思ってた……でも……そうならなかった……」


「馬鹿め、くだらぬことを思い出したか! だが、お前は思い違いをしている。私は自ら望んで、王の血肉となったのだ!」

 妖月あやづきは墨染の長袴を引き摺り歩き、勝ち誇った口調で言い放つ。

「それにしても……裏切り者の水葉月みずはづきと、今更のとはな。失笑ものよ」

 

「裏切り者…?」

 和樹は呟き、妖月あやづきは刺々しく微笑む。

「肝心なことを思い出せぬとは、何と都合の良いおつむであることよ…」


 そして、唇も避けよとばかりに高笑いした。

「お前たち四人はな、国主の月帝つきみかどさまの暗殺を企てたのだ! それが発覚するや否や、隣国へと逃亡した! されど、己の罪深さにおののいた水葉月みずはづきは、お前たち三人を故国の検非違使けびいしに差し出した。お前たち三人は斬首刑に処され、亡骸は『地獄の泉』に放り込まれたのだよ!」


 それを聞かされた月城の顔色は失せた。

 霊符を握る手が激しく震え出す。

 忌まわしい行いを暴露されることは覚悟していた。

 だが、実際に耳にすると……激しい動悸と痛みが込み上げる。

 

 彼の動揺を見定めた妖月あやづきは喜々と目を細め、追い打ちを掛ける。

神名月かみなづき、まだ思い出せぬか? お前の首を撥ねたのは、水葉月みずはづきに他ならぬ。お前の最愛の女の前でな!」


「……え……?」

 和樹の構えが緩む。

 妖月あやづきが何を言ってるのか、理解できない。

 目が泳ぎ、彼女の姿が激しく揺れる。

 不可思議な奔流が意識を押し流し、その流れの中から、或る情景が浮かぶ。



 真正面に、美しい姫君が座っている。

 長い豊かな黒髪は絹糸の如く肩に垂れ、座した足元をも覆う。

 しかし、身に付けているのは喪の装束だ。

 白い小袖、墨染の長袴に、墨染の小袿こうちぎ

 その黒髪と小袿こうちぎを飾るように白い小花が散り、舞い、はらりと落ちる。

 

 白い花の精が、無実の罪人たちを憐れむかの如き情景だ。

 美しく、悲しく、儚く……

 触れたこと無き愛おしい姿を心に焼き付け、瞼を閉じる。

 

(……雨月うげつ如月きさらぎ……すぐに、追い付く……いつか、水葉月みずはづきとも会えるだろう……そして……)


 美しい姫君は微笑み、彼も微笑み返した。



 

 


 懐かしい面影は次第に遠ざかり、それを惜しみ、ゆっくりと瞼を上げる。

 目の前に立つのは、黒き衣の白拍子である。

 妖艶にして邪気に満ちた笑顔だ。

 だが、彼女のかつての優しい笑顔を知っている。

 妹や弟を、思いやる姿を知っている。

 彼女に、罪は無い。

 彼女は、闇への供物とされただけだ――。



「……止めましょう……亜夜月あやづき様……」

 神名月かみなづきの中将は、太刀の切っ先を下げた。

 構えを解き、太刀を鞘に戻し、右手を差し伸べる。

「思い出した……我らが貴女あなたに勝てない理由は、貴女あなたを斬れないからだ……」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る