第27話
「お姫さま、下がってください!」
フランチェスカは腰を落とし、身構えた。
チロも尻尾を立て、激しく吠える。
しかし、
「分をわきまえよ、クソ猫にクソ犬。そんな淫乱女を守ろうなど、愚の骨頂よ。そう言えば、今は『
「お前っ! お姫さまと
「そうか。クソ猫は、
秘めた想いを
罵られた怒りよりも、暴かれた恥ずかしさが勝り、反論の声も出ない。
「……今の言葉は、あなたの本心ですか?」
月窮の君は座したまま――
「私の知る
月窮の君は、頭に
「私を侮蔑するのは構いません。けれど、私以外の者の
すると、
忌むべき境界に踏み入ったことを悟ったように、踵を返す。
「……ふん、もう遅いんだよ!」
捨て台詞を吐きつけ、
フランチェスカは張り詰めた糸が切れたように、ストンと座り込む。
チロは尻尾を振り、慰めるように彼女の膝に顔を擦り付ける。
月窮の君は膝立ちで進み、目を閉じてフランチェスカを抱き締めた。
「……お姫さま……あ…あたし……あたし……」
フランチェスカはしゃくり上げ、ポロポロと涙をこぼし……ぎこちなく微笑んだ。
傷付けられた心を、必死に縫おうとしているのが分かる。
「……あたし……あたし……くやしい……くやしいです……」
「……私たちは、あなたが大好きてすよ……」
「……お姫さま……!」
二人は固く抱き合い、それをチロは大きな瞳で眺める。
『……やはり、
『
『それで、
「お姫さま……あの女房たちは…」
フランチェスカは目をこする。
月窮の君は彼女から離れ、几帳に近寄り、垂れ布を捲り上げた。
そこには黒い煙のような人型が二つあり、丸く開閉する口元から声が出ている。
『……やはり、
『
『それで、
彼女たちは、かつての街の住人で、今は身も心を失った『影』だった。
フランチェスカは、敵の非情さに肩をブルッと震わせる。
「ひどい……あの人たちは、何も悪いことしてないのに……」
「私たちは、山門が開いた瞬間から敵の術中に陥っていたようです」
「それじゃ……他のみんなも、術に掛かってるんじゃ?」
フランチェスカは立ち上がり、急いで桟敷の下の踏み台に置いていた靴を履く。
月窮の君も草履を履き、チロを抱いて大路に降りた。
先ほどまで祭を見に来た人々が往来していたが、亡霊のような黒い『影』たちが、海藻のように風に揺れて佇んでいる。
末世のような、無気味な情景だ。
「お姫さま、みんなは宮殿に居るのでは!?」
フランチェスカは大路の北を指差す。
都大路の北に、月帝の住まう『
すると、大路の北方向から
「無事だったんだ! 良かった!」
フランチェスカが手を振ると、
「お姫さま、乗りましょう!」
「ええ!」
フランチェスカは鞍に飛び乗り、月窮の君は鐙に足を掛け、鞍の後ろに座る。
チロも鞍に前足でしがみ付く。
「
フランチェスカは、力強く手綱を引いた。
「はぁ~、少し身軽になったね!」
背に付けていた長い『
これから騎乗し、都大路に集まった人々にお披露目をするのだ。
「でも、馬なんて乗ったことないよ。大丈夫かな……」
和樹は、殿舎の手前に並ぶ赤毛の四頭の馬を見て、形容しがたい不安を募らせる。
空の頂点に昇った日輪からは、うららかな光が差している。
伝令たちが行き来し、行列に花を添える近衛童子たちの列も門の向こうに見える。
不快なものは何も無い。
なのに、胸騒ぎと不吉な予感は消えない。
そもそも、自分たちは何のためにここに来たのか?
何故か、はっきり思い出せない……。
「そう言えば……
「ここの馬屋だろ?」
「そうかもな……」
一戸は整列している四頭を見るが、浮かない顔だ。
やはり愛馬の姿が無いのは、落ち着かないのだろうか。
「みんな、
二人とも藍色の袍に薄緑色の袴姿で、足早に近付いて来る。
和樹たちの前に立った二人は、異なる個性を持っていた。
くっきりした目鼻立ちから意志の強さが感じられる長身の男性と、どこか白鳥を思わせる落ち着いた佇まいの男性だ。
二人とも、二十代後半ぐらいだろう。
「どうした? アラーシュ……ああ、もう『
長身で肩幅が広い男性は、親し気に上野に呼び掛ける。
だが、相手が誰か分からない上野は、無言で頷くのみだ。
「叙任の儀は、とても素晴らしかった。今日からは、君たちが国の守りの要だ」
落ち着いた佇まいの男性は、穏やかに微笑む。
「……いえ、まだまだです」
一戸は恐縮して答え、和樹を横目で見た。
和樹は、口をへの字に結んで沈黙を続ける。
二人の名は『かぐらづき』と『うづき』らしいが、この状況に不自然さを感じる。
「……あ、あの……うづき様……」
和樹は、どうにか重い口を開いた。
「……僕たち……何で、ここに居るか分からないんです……」
「何でって……君たちは『八十九紀 近衛府の四将』だ。これから、臣民にその姿を披露するんだよ」
「いえ、そうじゃなくて……僕たちは……」
和樹の脳裏に、不意に事象がよみがえった。
体育館横の水飲み場で、殺意に満ちた瞳を向けた女性の姿。
自分たちは、それを追って『
『近衛府の四将』とやらでは無い。
「どうしたんだよ、
「ほら、門の前で
「でも」
「今更、お披露目は嫌だとか言わないでくれよ」
「うん……」
和樹は馬を見上げた。
鞍や手綱は、美しい織布や組紐で装飾されている。
和樹は、金色と朱色の糸で編まれた手綱に手を伸ばす。
その瞬間に、割れるような轟音が響いた。
苦悶の声が上がり、和樹たちは三人は目を見開いた。
空間が裂け、金色の光線が周囲にほとばしる。
空間の裂け目はたちまち広がり、ガラス片が散るように辺りの風景が四散する。
馬は消え、殿舎も消え、空も、周囲の子どもたちも破片と化して散った。
残ったのは、真後ろから胸を貫かれた
「チュ…チュキピロくん!?」
和樹は叫ぶ。
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