第27話

「お姫さま、下がってください!」

 フランチェスカは腰を落とし、身構えた。

 チロも尻尾を立て、激しく吠える。

 しかし、妖月あやづきは歯牙にも掛けない。


「分をわきまえよ、クソ猫にクソ犬。そんな淫乱女を守ろうなど、愚の骨頂よ。そう言えば、今は『魔窟まくつ』で弦月げんげつなる若い男と、睦まじくお過ごしと聞いたが……奴は神名月かみなづきの父親だったか。息子だけじゃ不足で、父親にまで手を付けるとはな」


 妖月あやづきかん高く哄笑し、フランチェスカは憤慨した。

「お前っ! お姫さまと弦月げんげつさまを侮辱するなっ!」

「そうか。クソ猫は、弦月げんげつとやらに惚れているのか……なかなか興味深い趣向だ。汚いクソ猫は、ネズミの尻尾でも舐めてりゃ良いものを」


 秘めた想いをあざけられたフランチェスカの頭の中が暗転する。

 罵られた怒りよりも、暴かれた恥ずかしさが勝り、反論の声も出ない。



「……今の言葉は、あなたの本心ですか?」

 月窮の君は座したまま――滔々とうとうと言う。

「私の知る亜夜月あやづき殿は、高潔な御方でした。神鞍月かぐらづき殿の変貌に真っ先に気付き、彼を説き伏せようとして……命と力を奪われました。今のあなたは、神逅椰かぐやの影なのですね? 私が、蓬莱の比丘尼びくにの影であるように」


 月窮の君は、頭にかついでいたうちきを外し、『影』を直視する。

「私を侮蔑するのは構いません。けれど、私以外の者の真心まごころを嘲笑するのは止めてください。どうか、今一度……亜夜月あやづきであった頃を、思い出して欲しいのです。そして……あの御方を止めてあげてください。それが、私の願いです……」


 すると、妖月あやづきは悔しそうに唇を噛んだ。

 忌むべき境界に踏み入ったことを悟ったように、踵を返す。

「……ふん、もう遅いんだよ!」

 捨て台詞を吐きつけ、妖月あやづきの姿は掻き消えた。


 フランチェスカは張り詰めた糸が切れたように、ストンと座り込む。

 チロは尻尾を振り、慰めるように彼女の膝に顔を擦り付ける。

 月窮の君は膝立ちで進み、目を閉じてフランチェスカを抱き締めた。


「……お姫さま……あ…あたし……あたし……」

 フランチェスカはしゃくり上げ、ポロポロと涙をこぼし……ぎこちなく微笑んだ。

 傷付けられた心を、必死に縫おうとしているのが分かる。

「……あたし……あたし……くやしい……くやしいです……」

「……私たちは、あなたが大好きてすよ……」

「……お姫さま……!」


 二人は固く抱き合い、それをチロは大きな瞳で眺める。

 几帳きちょうの後ろからは、先程と同じ遣り取りが聞こえた。

 


『……やはり、亜夜月あやづき様は、尚侍ないしの女官として、後宮に入られるようですよ』

月帝つきみかどさまは、叙任の儀の時から、お気に召されていたとか』

『それで、神鞍月かぐらづき様が寝込んだと……お気の毒』



「お姫さま……あの女房たちは…」

 フランチェスカは目をこする。

 月窮の君は彼女から離れ、几帳に近寄り、垂れ布を捲り上げた。

 そこには黒い煙のような人型が二つあり、丸く開閉する口元から声が出ている。


『……やはり、亜夜月あやづき様は、尚侍ないしの女官として、後宮に入られるようですよ』

月帝つきみかどさまは、叙任の儀の時から、お気に召されていたとか』

『それで、神鞍月かぐらづき様が寝込んだと……お気の毒』


 彼女たちは、かつての街の住人で、今は身も心を失った『影』だった。

 フランチェスカは、敵の非情さに肩をブルッと震わせる。

「ひどい……あの人たちは、何も悪いことしてないのに……」

「私たちは、山門が開いた瞬間から敵の術中に陥っていたようです」

「それじゃ……他のみんなも、術に掛かってるんじゃ?」

 

 フランチェスカは立ち上がり、急いで桟敷の下の踏み台に置いていた靴を履く。

 月窮の君も草履を履き、チロを抱いて大路に降りた。

 先ほどまで祭を見に来た人々が往来していたが、亡霊のような黒い『影』たちが、海藻のように風に揺れて佇んでいる。

 末世のような、無気味な情景だ。

 

「お姫さま、みんなは宮殿に居るのでは!?」

 フランチェスカは大路の北を指差す。

 都大路の北に、月帝の住まう『月照殿げっしょうでん』が在る筈だ。

 すると、大路の北方向から白炎びゃくえんが駆けて来た。


「無事だったんだ! 良かった!」

 フランチェスカが手を振ると、白炎びゃくえんは立ち止まっていなないた。

「お姫さま、乗りましょう!」

「ええ!」

 フランチェスカは鞍に飛び乗り、月窮の君は鐙に足を掛け、鞍の後ろに座る。

 チロも鞍に前足でしがみ付く。

白炎びゃくえん、ご主人の所に向かって!」

 フランチェスカは、力強く手綱を引いた。





「はぁ~、少し身軽になったね!」

 背に付けていた長い『きょ』が外され、上野はクルクルと回って見せる。

 これから騎乗し、都大路に集まった人々にお披露目をするのだ。


「でも、馬なんて乗ったことないよ。大丈夫かな……」

 和樹は、殿舎の手前に並ぶ赤毛の四頭の馬を見て、形容しがたい不安を募らせる。

 空の頂点に昇った日輪からは、うららかな光が差している。

 伝令たちが行き来し、行列に花を添える近衛童子たちの列も門の向こうに見える。

 不快なものは何も無い。

 なのに、胸騒ぎと不吉な予感は消えない。

 そもそも、自分たちは何のためにここに来たのか?

 何故か、はっきり思い出せない……。


「そう言えば……白炎びゃくえんは、どこに連れて行かれたのかな?」

「ここの馬屋だろ?」

「そうかもな……」

 一戸は整列している四頭を見るが、浮かない顔だ。

 やはり愛馬の姿が無いのは、落ち着かないのだろうか。



「みんな、神鞍月かぐらづき様と羽月うづき様だ」

 水葉月みずはづきが、殿舎の庭を横切って近付く男性二人に気付いた

 二人とも藍色の袍に薄緑色の袴姿で、足早に近付いて来る。


 和樹たちの前に立った二人は、異なる個性を持っていた。

 くっきりした目鼻立ちから意志の強さが感じられる長身の男性と、どこか白鳥を思わせる落ち着いた佇まいの男性だ。

 二人とも、二十代後半ぐらいだろう。

 

「どうした? アラーシュ……ああ、もう『如月きさらぎ』と呼ばなきゃいけないんだな」

 長身で肩幅が広い男性は、親し気に上野に呼び掛ける。

 だが、相手が誰か分からない上野は、無言で頷くのみだ。

 

「叙任の儀は、とても素晴らしかった。今日からは、君たちが国の守りの要だ」

 落ち着いた佇まいの男性は、穏やかに微笑む。


「……いえ、まだまだです」

 一戸は恐縮して答え、和樹を横目で見た。

 和樹は、口をに結んで沈黙を続ける。

 二人の名は『かぐらづき』と『うづき』らしいが、この状況に不自然さを感じる。


「……あ、あの……うづき様……」

 和樹は、どうにか重い口を開いた。

「……僕たち……何で、ここに居るか分からないんです……」

「何でって……君たちは『八十九紀 近衛府の四将』だ。これから、臣民にその姿を披露するんだよ」


「いえ、そうじゃなくて……僕たちは……」

 和樹の脳裏に、不意に事象がよみがえった。

 体育館横の水飲み場で、殺意に満ちた瞳を向けた女性の姿。

 自分たちは、それを追って『魔窟まくつ』に来た高校生だ。

 『近衛府の四将』とやらでは無い。


「どうしたんだよ、神名月かみなづき

 水葉月みずはづきは、渋る仲間をかす。

「ほら、門の前でつづみが鳴ってる。出立の時間だ。さあ、馬に乗って」

「でも」

「今更、お披露目は嫌だとか言わないでくれよ」

「うん……」


 和樹は馬を見上げた。

 鞍や手綱は、美しい織布や組紐で装飾されている。

 月帝つきみかどの守護を務める四将に相応しい豪奢さだ。

 和樹は、金色と朱色の糸で編まれた手綱に手を伸ばす。



 その瞬間に、割れるような轟音が響いた。

 水葉月みずはづきの胸から、鋭い刃が飛び出る。

 苦悶の声が上がり、和樹たちは三人は目を見開いた。

 空間が裂け、金色の光線が周囲にほとばしる。

 空間の裂け目はたちまち広がり、ガラス片が散るように辺りの風景が四散する。

 馬は消え、殿舎も消え、空も、周囲の子どもたちも破片と化して散った。

 残ったのは、真後ろから胸を貫かれた水葉月みずはづきと、呆然と立つ神鞍月かぐらづき殿、羽月うづき殿だ。


「チュ…チュキピロくん!?」

 和樹は叫ぶ。

 水葉月みずはづきの胸を貫く刀の柄を握って立つのは、高校の制服姿の月城つきしろはるかだった。

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