第18話
「ごめん……二人とも……ごめん……」
和樹は、鼻を啜りながら呻く。
この闘いの中心に居るのは、間違いなく『蓬莱の尼姫』だ。
そして『
自分たちの為に『
「何で、お前が謝るんだよ。オレを舐めんじゃねーぞ」
上野は、シガレットチョコの箱を、和樹の膝元に差し出した。
「過去のオレたちに何が在ったかは……今のオレには分からん。でもよ……オレは、オレの意志で決断した結果だと思う。お前に責任なんて無い」
「俺にも1本、分けてくれるかな?」
一戸が手を伸ばし、チョコを取り出す。
包み紙を破り、歯で折ってひと口で食べきる。
「……俺たちなら、乗り越えられる。今までも、乗り越えて来たんだ」
「私も1本、欲しいな」
知らない声が割り込み、三人同時に顔を上げると、目前に30代後半ぐらいの齢の男性が立っていた。
ライトグレーのスーツを着て、肩まで届く髪が風に
その表情は、ただ穏やかで……心に突き出た棘がスッと消えていく感覚に捉われた。
「……あなたは……僕たちが視えていらっしゃる?」
一戸は、何となく敬語で問いかけた。
男性は上野の手から小箱を取り、チョコを1本失敬し、小箱を和樹の膝に置いた。
チョコをかじりつつ、ふわりとした眼差しで和樹を見降ろす。
「うん、美味しい。君も食べなさい。甘い物を食べると落ち着くよ」
「……はい……」
さわやかな笑顔に釣られ、和樹はボソボソとチョコを取り出し、口に運ぶ。
「……あの……僕たちは……」
「知っているよ。私は……君のお父さんを、君の家の浴室に派遣した者だ」
「何だってえええ!??」
上野は一戸と共に立ち上がり、上擦った声で問い正した。
「つまり……『霊界』のお偉いさんってこと!?」
「まあ、そんな所だ」
「あの……オレの顔、消えたんだけど……何とかしてくれますよね!?」
「そのために来たんだよ。君たちが一緒に浴槽に入ったから、隙間が無くて出られなかった」
「あ……」
和樹と上野は、顔を見合わせる。
「あの、もしや浴槽に入ったのが僕一人なら、出て来てくれたってことですか?」
「体を縮小することは可能だが、実行すると、湯に浸かっている君たちの体に負担が掛かるからね」
「……僕たちが『
「ルートミスってところかな」
男性は、背後に出現した切り株に腰を降ろして説明を続ける。
「君たちが『三途の川』と呼ぶ川は、『
「『記録庫』……ですか?」
一戸が訊ねると、男性は頷いた。
「この場所は、過去の記録だ。過去を記した本の中を歩いているに等しい。それに『記録庫』と言っても、担当者が取捨選択をしている。全ての記録から、重要では無いと判断されたものは抹消される。君たちの『記録』は、全て保管されているが」
「つまり、オレらは『VIP』ってことですか?」
上野の声は、心なしか弾む。
歴史上の重要人物だと言われると、満更でも無い気分なのだろう。
「それで、オレの顔が消えた件は……」
「木工用ボンドが劣化して剥がれたようなものだよ。いずれは、そうなるとは思っていたが、予測より早かった。強力な瞬間接着剤が要るな」
「じゃあ、『三途の川エキス』に耐性が付いて、効果が薄れたのですか?」
一戸が訊くと、男性はスーツのポケットから四角い醤油さしを取り出した。
「これを持っていなさい。濃度が高いエキスだ。だが、中身は出さないように気を付けて欲しい。人体には、きついだろう」
醤油さしを3個、上野に手渡す。
「君たちはレアケースだ。『霊界』と『俗界』間で、物の受け渡しが可能な」
「はい。僕のお年玉を『霊界』で使ったら、実際に減りました…」
和樹は、ついつい未練がましく答えてしまう。
男性はクスリと笑い、三人の顔を見回す。
「よし。私は、たまに君たちの世界を訪問する。その時、君たちに『特製エキス』を必要な分だけ渡そう」
「あなたは、現世に簡単に来られるんですか?」
和樹は当然の疑問を口にしたが、すぐに気付いた。
考えて見れば、自分たちだって『
『霊界』の高位の立場にあるらしい男性が、現世に移動できても不思議ではない。
「じゃあ、そろそろ戻ろうか。ここに、長時間の滞在することは勧めない」
男性は、目の前に忽然と出現した舗装路を指した。
「道を真っ直ぐ進むと戻れる。今後は、明確な行き先を指定しない『潜行』は止めなさい。またルートミスが起きる」
「……気を付けます。あの……ありがとうございます!」
「いずれ、ゆっくり話をしよう。さあ、帰りなさい」
「はい……!」
三人は深く会釈し、駆け足で道を進む。
振り返らず、ただ前を見て。
哀しい情景を忘れることは出来ない。
大人になれない痛みは消えていない。
けれど『霊界』の男性に会い、不思議と心は落ち着いた。
もっと話を聞きたかったけれど、今は帰ろう。
家族が待っている。
和樹は消えていくチョコの甘さの余韻に浸りつつ、足を速めた。
「戻ったか!」
岸松おじさんの声が耳に響き、和樹と上野は瞼を開けた。
向き合って湯船に浸かっており、四角い醤油さしがプカプカと湯に浮いている。
上野は、慌てて拾い集める。
「上野くん、顔が戻ってるよ!」
「マジですか!?」
上野は壁の鏡を覗き込み、歓喜する。
「良かった! オレの顔が在るぅ!」
「良かったな、上野!」
和樹も浴槽に腰かけ、上野の肩を叩く。
「しかし、その醤油さしは……」
「後で話します! 蓬莱さんたちにも知らせないと!」
二人は浴槽を出ようとし、岸松おじさんは慌てて浴室から飛び出した。
『三途の川エキス』の混じった湯を浴びるのだけは、避けたい。
「おっはよ~、一戸くん」
翌朝、サッパリ顔で登校した上野は、一緒にバスを降りた一戸に改めて挨拶した。
一戸も、四人を見て笑顔で応える。
「顔は無事に付いてるな」
「皆さまのご協力のお陰でございます♪」
「でも良かった。みんな無事で……」
久住さんは、気遣ってみんなを見回す。
昨夜の『霊界』での出来事は、久住さんは知らない。
和樹たちの前世を、知らない。
蓬莱さんにも三人の様子は視えたらしいが、和樹は「久住さんには黙っていて」とメッセージを送って置いた。
前世の話は久住さんには関係ないし、心配の種を増やさせたくなかった。
ただでさえ、『
「心配しなくても大丈夫だよ」
和樹は安心させるように言い、そっと蓬莱さんを見た。
蓬莱さんは、ひっそりと頷く。
「あれ……ほっちゃれ先輩だ」
和樹は、方丈日那女を見つけた。
パソコン部の部長と並んで歩いている。
過去世の自分たちの葬儀に現れた女性は、彼女とそっくりだった。
『
機会を待って、確かめなければならない。
「すみません……ちょっとお訊ねしますが……」
背後から声を掛けられ、五人は同時に振り向いた。
そして久住さん以外の四人は、「あっ」と口を開けた。
そこに居た藤色の和服に緑色の羽織姿の男性は、『霊界』で出会った男性と瓜二つだった。
「お手数ですが、職員用の玄関を教えて頂けると
「……職員用……ですか?」
和樹は、動揺しつつも返答する。
「あの……校舎の裏門の正面ですが……」
「そうでしたか。では、裏に回ります」
「いえ……その……あの……」
「ああ、私ですか?」
男性は、浅く会釈して自己紹介した。
「今期より、茶道部の顧問をさせて頂くことになりました。『ふなびき ゆきのり』と申します。では……後ほど」
そう名乗った男性は、踵を返して校舎の裏に向かう。
和樹は、唖然とその後ろ姿を見送る。
茶道部の新顧問と、昨日出会った『霊界の上司』が、同一の存在であることは、疑う余地が無い。
その低い物腰と笑顔に惹かれたらしい女生徒たちが、彼の後ろ姿を眺めながらヒソヒソ話をしている。
味方が増えるのは嬉しいが、前途多難感は拭えない。
そして……放課後、上野は生徒指導室に呼び出され、スケキヨマスクを没収されたことも付け加えて置こう。
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