第2章 時映しの術と水影の巫女
第3話
「ああぁ……」
目覚めた和樹は、肩で息をする。
カーテンの隙間から差す春の光は優しい。
けれど、心音は穏やかでは無い。
初めて蓬莱さんの夢を見て、動揺している。
蓬莱さんは、水の中を全裸で漂っていた。
瞼を深く閉じ、眠るように浮遊していた。
黒髪が流れに揺れ、白い肌がぼんやりと輝いていた。
……昨夜の『悪霊退治』は、驚くほど簡単だった。
蓬莱さんの力で『三途の川』の水が浴槽に引き込まれた。
母の沙々子も、脱衣所でその様子を見守ってくれた。
母によると、潜行開始から戻って来るまでの時間は124秒だったらしい。
だが『魔窟』に潜っていた体感時間は、15分ほどだと思う。
「驚いた……『三途の川』の水が来た途端、体の内側から霊体が引っ張られる感じがした。岸松おじさんは、お湯に手を突っ込んだそうだけど、私には無理。これ以上、近付けない。ごめんなさいね……」
『
和樹としては、その方が良い。
母には、深く関わって欲しくない。
万一、自分に何か起こって……
そう考えた和樹は、はっと目を見開く。
自身の危険は承知し、覚悟していたつもりだが……
(……僕に万一のことがあっても……)
着替えをしながら、ついつい考えてしまう。
あんなことがあったから、
そして短い間にも、和樹の考えも変化した。
自分に万一の事態があれば、母は
その時は、迷うことなく再婚に踏み切って欲しい。
弟か妹が出来るかも知れない。
それなら嬉しい。
それを思うと、自然と瞳が濡れた。
目尻を拭い、ハロゲンヒーターを消し、部屋を出る。
昨夜の残りの里芋汁とご飯、海苔と漬物の朝食を摂っていると、メイクを終えた母が向かいに座った。
「ねえ、和樹。昨日のバイトの話だけど……」
「うん。近所のスーパーで募集してるから、申し込むよ」
「やめなさい」
「え……?」
和樹は箸を空中で止めて、母をまじまじと見る。
「和樹……実は去年からなんだけど、岸松の
「そんな……おじさんに迷惑は……」
「私もそう思って断ってた。でも事情が変わった。あんたの『悪霊退治』のことを考えれば……あんたの負担は、少ない方が良い」
「それは、そうだけど……」
「今はオンライン予備校ってのも在るのよね? 授業料も安いらしいし、それなら母さんにも負担できる。あんたに必要なのは、バイトじゃない」
「……いいの?」
「心配しないで。部活に入って、高校生活を楽しみなさい。じゃ、先に出るから。お弁当とお茶、忘れないでね」
沙々子は微笑み、コートを羽織って出勤した。
和樹は食器を片付け、お弁当と水筒をバッグに入れて、家を出る。
久住さんたちと合流し、バスの中で上野たちとも合流し、学校に着いた。
しかし着くまでの間、和樹の心は重かった。
進学のことで、岸松おじさんにも迷惑をかけることになる。
ありがたい話ではあるが、素直に喜べない……。
さて今日は、授業や部活についてのオリエンテーションと、身体測定をする。
昼に弁当を食べて、部活のオリエンテーションの後に下校となる。
担任の坂井先生からは来年の選択科目の説明もあり、和樹の心の重さは増す。
文系を受けるだろうが、将来は平凡なサラリーマンになるのだろうか?
闘いが終われば、平凡な日常が戻る筈だ……
右の女子ゾーンをチラ見すると、久住さんと蓬莱さんも熱心に話を聞いている。
上野もメモを取っているし、今日も欠席した
しかし、こんな時でも油断は禁物なのは辛い。
かくして、身体測定を含めて午前のプログラムは終わり、昼食の時間となった。
久住さんと蓬莱さんは、他の女子と四人で机を囲んでいる。
和樹と上野、一戸も集まって食べていたが、一戸は独りで食べていた『
「はぁ~、優等生は違うねえ」
上野は、購買部で買ったちくわパンを口に放り込む。
和樹は、残り少ない鶏そぼろご飯を弁当箱の端に集めつつ言った。
「でも
「……人に気ィ使いすぎだよ、あいつ」
「え?」
「……それより、学校で異常とか感じるか?」
「何も。気を付けてるつもりなんだけど。蓬莱さんも異常なし」
「なら、良いけどな。で……お前、部活どうする?」
「母さんには、入れって言われた。バイトはやめろって。上野は?」
「美術部でも入ってみるかなー。いずれは、予備校行くだろうけど」
たわいない話は進み、そして昼休みは終わり、部活のオリエンテーションのために体育館に移動する。
ステージ上での教頭先生の挨拶の後、部活紹介が始まった。
トップバッターは剣道・
続いて、バスケ・バレー・陸上・ダンスなどの運動系。
その後には、美術・パソコン・茶華道・吹奏楽……と文科系のデモンストレーションが続く。
「やっぱ、野球部とかサッカー部は無いのな」
「作るって、教頭が言ってたじゃん。お前、サッカーやらない?」
「今から作っても、本格始動は来年だよな」
男子生徒たちが、ささやいている。
文科系最後の英会話部の紹介が終わり、続いて同好会の紹介が始まった。
eスポーツ・ボランティアと続き……白衣姿の五人がステージに上がる。
三人はステージ中央に仁王立ちに並び、二人の生徒が棒に取り付けた横断幕を背後に掲げた。
幕には、『桜南巨大ロボット研究所』と、ゴシック体の太字で印字されている。
同時に、放送部の紹介音声が流れた。
「次は『
生徒たちは顔を見合わせ、和樹たち五人は『
ましてや、中央に立つのは『ほっちゃれ先輩』である。
彼女を知る和樹・久住さん・蓬莱さんは息を呑む。
『ほっちゃれ先輩』は、スタンドマイクを持ち、大股でステージの端ぎりぎりまで前進し、喋り始めた。
「新入生諸君。私は当研究所の所長、
すると左右に立っていた生徒二人が、ステージ左手の奥から台車に乗せた段ボール製の椅子を引っ張って来て、慎重にステージに降ろした。
……言われて見れば、コックピットに見えなくも無い。
『ほっちゃれ先輩』は椅子に座ると、置いてあったヘルメットを被って、シートベルトを締めた。
「質問がある者はおらぬか!?」
「すいませーん。その白衣って意味があるんですか~?」
別のクラスの男子の声が上がり、『ほっちゃれ先輩』は不敵に笑って即答した。
「昭和のロボットアニメを知らぬのか? ロボット研究所の博士は、白衣を着るのが定番なのだよ! もちろん、パイロットには専用スーツを用意する。量販店で入手予定の全身タイツに、私が専用パーツを接着する」
生徒たちの間から笑いが
「興味を持った者は、誰でも大歓迎だ。なお、今年は正義に目覚めたパソコン部の協力のもと、モニター付きのコックピットを制作する。我らは、工作室で諸君らの入所を待っている。以上だ」
『ほっちゃれ先輩』は敬礼をし、椅子から立ち上がると、それを台車に乘せて退場する。
一部の男子生徒からは拍手が湧き、「いいぞー!」と歓声が上がった。
「かっこいいです、センパーイ」と叫ぶ女子もいる。
「おいおいおい……ナシロたちが声を掛けられた先輩ってアレか?」
上野は何とも言えない顔で言った。
「どーすんだよ……『
「……俺は剣道・
一戸は口をへの字に曲げて言ったが、和樹は久住さんと蓬莱さんを見た。
自分は仕方ないとして、彼女たちを誘うのは余りにも気の毒だ。
「入部届け提出期限は二週間だろ……まずは、僕が下見するよ……」
しかし、その時……異様な感覚が頭を刺した。
和樹は振り向き、生徒たちを押し退けて後ろに進む。
入り口の両隣には教師が待機していたが、その手前に……
ズボンのポケットに両手を突っ込み、前方を睨んでいる。
和樹は無意識に近付いたが、声を掛けて来る者は居ない。
後ろの生徒たちが、もの珍しそうにチラチラと眺めているだけだ。
「あの……同じクラスの
和樹は彼を見上げ、恐々と訊ねた。
何故か、額に冷や汗が浮かぶ。
前にも、同じようなことがあったような気がする……
「……あの女に気を付けろ」
訊き返す
「部活紹介のオリエンテーションを終了します。生徒は教室に戻ってください」と放送部の音声が響き、和樹は出入口を見つめながら、1組の列に戻った。
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